前回は、毒だらけの人が、癒しスクールの経営を大々的にしているお話を書きました。

以前に、岡村靖幸さんが、幼少期の傷を、麻薬の時の裁判で訴えた話を書きましたが、私はその時、
「その傷は、癒すべき?癒されてたら、あの名曲は無かった?」
と思って、そう書いたと思います。

幼少期の傷におびえる方、自覚のある方は少なくないでしょう。

一体どれぐらい癒さなくてはならないかわからなくなる、怖い、
そういう不安を聞いたことはありますが、
セッションに来てしまって、前世を見たいといっても、潜在意識が
「そこじゃーないわ。」
っていったら、出てしまいます。

この話を聞くと、さらに、ヒプノが怖くなった方もいらっしゃるかもしれませんが
「自覚できてない盲点」
こそが、「解放場所」であって、

ご自身が、「どれだけ傷があるかわからない」的な考えには
自覚できない盲点が、必ずあるのです。

そこが、実は
「恐怖体験」「虐待現場」であるケースばかりかというと、実際催眠では、
「は?こんなことだったの?」
っていう、全く怖くない現場が、出てくることの多いこと、多いこと。

ついでに言うと、1回で凄い感動されて帰って、変わってしまったケースも、結構聞いているんです。そして、この私が、やはりそういう人なので。

幼少期にずっと続いた酷い状態を、長々とお話しいただいた末にセッションすると、
「何じゃ?」
っていう、緊迫感のない場面が原因だった、っていうのが意外と多い。
脱力、です(笑)ご本人も、「何じゃ?」でしたりして!
年齢退行は、怖くないわ、早いわ、って感じです。
っていうか、ヒプノ自身が、そうなんですよ。
早い。

意外と、幸せそうな人が気軽に来て、重い課題を前世で見ちゃって、っていうケースが多い気がする。 前世のほうが、どうだろう、2本ぐらいは見ないと、って場合もあります。

生々しいけど、年齢退行のほうが、早さは感じます。

ただ、岡村靖幸さんの話になりますが、やはり痛みを感じていても、ただただ癒すとかはしなくて良かった気がします。

自力で頑張ってどーにかならなくなったら、人の手を借りる、頑張り過ぎない
人生の鉄則ですよね。

ただ「痛みを解放して、音楽してたら、またどんな名曲が生まれていたでしょうか?」
なんて、欲だらけの考えも、浮かぶのです。
音楽は靖幸にとってセラピーの手段であったことには変わりないのですが
傷があったから、音楽に走ったという一面もあるでしょうし、
やはりきれいごとだけでは、何かが生まれないのですが

緊張感のある木がつける実は、少ないと思います。
もう手放してもいいよね。
ヒプノじゃなくてもね、なんか方法があるかもね。
でも、傷をどうにかしたいと思うかどうかは、本人の自由だ。

「リラックス無敵説」と、「ラクでしょうがないわ~~」って私ですから、
傷なんて、いらん!って思いますけど!

前回書いたヒプノスクール創始者も、・・・あんだけ作っちゃってるひとだったし、
笑顔のレベルは、悪かったな~~。目が怖い。
嘘は、つきだすと、エンドレスでやばいです。

年齢退行で癒されない人は、世間体を気にして、嘘を身に付けてしまっているが上に、「世間体の常識」から抜け出せないという傷のほうが、大きいです。
世間の影響のほうが、ずーっと大きい。

ヒプノスクール創始者さんも、そーだと思う。
ご自身は、生まれ育ちのお話ばかりしてたけど、出してたけど、
あの場では出さなかった毒のほうが、実はばっちり重いのだと思う。

出さないだろうな、あれだけ凄いと。
「身に着いちゃってる」から、傷を自覚できないレベルかもなあ。っていうか、創始者だし、セッション、行かないだろうなあ。

皆、「自己催眠」なんて自然にやってるんだからさ、誰だって「催眠スクールの創始者」になれると思います。
そこを、勘違いして、オリジナルブランド立ち上げて、っていうのは、・・やばい。
村井教授もますみ師匠も、そういう点では物凄く謙虚かつ勉強熱心で、真の平和主義者だしね。
大体、多くの方は・・・名誉欲とかお金が、目的なんです、謙虚さゼロ。
この人種は、インチャを何とかしないと、って感じ・・。
上っ面だけかどうかなんて、ばれるよね。実際。

自己催眠も、テーマがあって探るんだし
ご自身が、傷を傷と思わなかったら、永遠に見ないんだろうなあ。
この世の一番厄介なもの、「無自覚」。
そして、前世もとらえ方ひとつで、意味が変わったりするから、それで私も痛い目に遭った時もあります。

年齢退行で家族間の仲裁ばっかりしてても癒されない場合には、
世間体の裏を、本質を説いて説得するヒプノをします。
親や祖先がそれを無条件で信じて埋め込んでいたりするので、
私はがっつり、そこに「本質」を語って、説得に入ります。

それしかない、って思ってるから。
人の純粋性や、物事の本質の力を、信じています。

そこで私は、地味に、数字に出ない結果を出して、来年から仕事をします。

リラックスのつける実を、一つでも味わいたいのです。

縁のある方だけが訪れて、

私の腕が上がれば、儲からないんでしょうね、

でも私は研究努力探究の1年にしますよ!

2月を目指して頑張ります!
オープンの日は、瞑想会にしようかな♪なんてね♪