「愛は自由の副産物だ それは自由の溢れる喜びだ・・・」

OSHO(和尚)の言葉です。

「依存からは、自覚と発想の変化がないと、自由になれません」と、内海聡医師は言います。

苦難・困難は、不自由なのですが、
不自由を「選択している」場合もあります。

「自覚と発想を変化」させる、新しい分野に飛び込むとか、やり方、パターンをがらりと変えてみる、ということは意外と盲点というか、結構やってみると簡単なのに、やらない場合が多い気がします。

でもそれで、苦難や困難から逃れられるのなら、凄い大きいのだと思います。

人は、自分の人生を、「小さな額縁」に、入れてしまいがちです。
そこには、「安心・安全」もあるのだから、
という考えが、「小さな額縁の中の苦難・困難」を住まわせてしまいますが、

・・・俯瞰してみてください!斜め上から、物事を見てください。
本当は、そこに、安心も安全も、一滴もないのです。
そこには、「社会的な、脅しとも思われるような暗示」があるだけなのかもしれません。
そういう、ありもしない不安を煽るような情報の、奴隷になってはいませんか。

「逃げるな」「一生懸命やれば何とかなる」

日本に流れる、「優秀な奴隷をより一層働かせる」ための、凄い暗示。

こんなものの、「奴隷」になる必要は、一切ありません。

「自らの幸せとリラックス」だけが、大切です。

「自ら”だけ”の幸せ、らくちん、やりたい放題」の人たちから逃れるには。

こういう、エゴイストで人間らしさのかけらもない人々には、愛、が絶対的に足りないです。

そういう人たちへの、最大の愛は
「やんわりと逃れて、否定すること」です。

真っ向から否定したりしてはいけません。そして、闘ってもいけません。非難もしないでいましょう。

彼らに「気づき」のチャンスを、与えてやることだけが、愛です。
決して、認めないで、逃げるのです。
それだけです。

私は、困難から逃れることを考えるとき、
「地の果てまで逃げること」
を、いつも考えます。

いつもこう思う。 「それは出来ない話じゃないよね!」

ぱっと、楽しくなってくる。
地球は、凄い、凄い、広いのだから。

逃げられない、そう思うのは、捨てられない利益があるからです。
さみしさを埋めてくれているとか、金銭、とか。

でも、一番言いたいのは、「困難・苦難を与えている相手にとって、一番の修業しなくてはならない場を、あなたがいることで”お預け”になっている」ということ。

これは、「愛とは真逆」ですから、あなたにも不幸が来るに決まっているのです。 

誰かだけが原因で、そのことは起こりません。ほとんどのことは。

アフリカの地の果てまで逃げることが想像できる時、私は大丈夫だ、誰かを愛することが出来る、そう思えます。

手を差し伸べていることが、甘やかしになっていては、相手の守護霊様が怒ります。私もよく、そういう目に遭います。所詮そんなときに「相手の為」なんて思ってやっていることは、偽善でしかない、自己満足でしかない、寂しさを突かれていることでしかない。

基本的に「放牧させる」ことが、一番の子供の教育だと読みましたが、
社会に出て、人関係によって自らを磨き合う時も、「放牧」させる、という考えは大切だと思います。群れて、傷をなめ合ってはなりません。

学んで、成長することが、総ての魂の目的なのです。

最初に自由がなければならない
その時愛は溢れだす」


OSHO(和尚)の言葉は、こう結ばれています。
「自らの枠、牢屋」について考えてみること、それが困難からの第一歩を踏み出すのだと思います。

愛をこめて♪