ヒプノセラピーみたいな「自己探求」モノ、に出逢うのは、
人生の節目、ショックの後始末、そういう時期かもしれないです。


そういうひとのセラピーって、やっぱりちょっと特別というか
自分も、先日義父の死後、やってみて
「わ、・・・・凄い!!」
「なんかメッセージが、・・・(いつもより、さらに)深い!!!」
って、思ったんですね。

そして、その深さと共に、いつも「正確さ」に感動します。
自分の奥深くの心、潜在意識って、本当に、「間違わない」し、「良く知ってる」のです。

こういうセッションは、本当に感動してしまうというか、
他人のだろうが、自分のだろうが

変な話、ロングセッションしても、疲れないのです。不思議です。
出る元気も、いつもよりさらに影響大らしく、最近出会う人出会う人が、私を見て
「びっくり」
するんです。

パッと出逢った瞬間に、目を、見開くので
こっちが驚くのです。逆に。
なんか、変なもん付けてんのかな??的な心配に走っちゃうんですけど、
ついでに、顔もいじってませんけど

そのあと、いつも
「何か違います~~」
「この間より、凄く元気に見える」とか
じろじろ「何だろう?」って顔で見ながら言われるので、照れますがな・・・。



私自身は、「初ヒプノ」自体が「節目」になってしまったような、
節目を作ってしまったものでして、

「節目にヒプノ行ってみるか」では、正確には無かった気がします。

やっぱねえ、
「節目ヒプノ」は、
・・・例えば結婚とか、就職とか、引っ越しとか、家族の亡くなった後とか
お勧めかも~~♪ です。


ヒプノのタイミングとして、前向きな、いいタイミングかもしれないです。
人生の階段を昇るのに、縁の下から力をくれます、そんな感じ。
変化による不安のストレスが、ばっちり、変換できますね♪

「節目ヒプノ」、っていう単語、流行らせたくなった(笑)
印鑑とか作る前に、ヒプノいかがっすか?みたいなね(笑)

もちろん普段も、いいんですけどね。
なんか、行ってみたくなった時が「節目」を、
私の「初ヒプノ」の例にもあるように、「作ってくれたり」する場合もあるもんね。


変化のない人生なんてありません。
世界催眠(世間の常識範疇のこと)の枠内から外れると、
妙な不安が生まれたりするものですが、そんな時、「誰に聞く?」。「誰に頼る?」
「これでいいのか?」って。

答えは「自分」、に聞く、です。



専門家や頼れる家族、友人、ではないです。 自分、が、優先順位1番、です。

変化自体はポジィティブなのに、
変化のストレスで、邪魔が入ったりすることって、ある気がするんです。

そんなストレスいりません。
そんなストレス、さようなら、しましょう。

普通、ネガティブな感情を吐き出す技系のセッションルームって、
セラピストがもらっちゃうとか
場が不浄になる
っていって、皆、ルームスプレーとかで場を浄化したり、塩風呂入るって聞くけど

ヒプノの場合は、「ストレス」が出たほうが、疲れないし、場が汚れるって感じしません。
なんだろうなあ。
でたでた、あーすっきり♪、終わり♪、ですよ。逆にやりがいがあっていいです。

そんな、疲れるよーな仕事、私しませんよ。不浄に向かっていくようなこと、無理ですよ。
ヒプノで悪いものが出て不浄になるって考えが、良くないなあ。
さっぱりわからない・・・



嘘くさいけど、師匠もやはりセッションが「疲れない」ようなことは言っております。
精神的な疲れはないなあ~~ 的な。

そして私が、
「本心がどういうものを出してきても、『本心』自体は美しい穢れのないもの」
って考えだからなあ。

潜ちゃん(潜在意識)、いいもんなあ。ストレス出て穢れるって感じしない。
潜ちゃん、嘘つかないんだもーん!いいよね♪

でも、誰でもヒプノでこの境地に辿り着けるかは、やはりないんだろうなって気がします。 
あなたにとって、私のヒプノみたいなものが見つかれば、いいですね。

潜ちゃん(潜在意識)を開くもの、ツール、仕事、は、ヒプノだけじゃないですからね。

それがわからなくなったら、・・・ヒプノで探れます♪
どうぞ、「節目ヒプノ」、いらしてくださいね♪