手術入院 その4 | アリママのブログ〜卵巣がん発見から治療までの闘病記〜

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2013年1月、結婚式を終えた翌年の29歳で卵巣がん告知。卵巣がんの中でも珍しい、卵巣胚細胞腫瘍の未熟奇形種グレード3(悪性)のⅡ期。(卵黄嚢腫瘍も5%以下で混合)無事手術が終わり、抗がん剤も終了しました。マイペースに日々感じたことを書いていけたらと思っています。


手術後、一人での長い長い夜が始まったDASH!
麻酔から目が覚めた私はビックリ。
身体中にたくさんの管が繋がれていた。血栓予防の足のマッサージ機、点滴、心電図、尿管、お腹の中からも一本管が出ていて、お腹の皮膚の下からも一本管が出ていた。あと、背中からも麻酔の管に、鼻から喉を通して入っている管。酸素マスク。
とにかく大変な手術をした人みたいだった!(したのか・・・あせる

看護師:どこか痛いところはありませんか?痛かったら痛み止め使えるので、我慢しないで言ってくださいね。

アリママ:お腹の傷が痛いです・・・あと膀胱に違和感があります。おしっこがしたいような・・・どうしたらいいですか?

看護師:おしっこは管を入れているので、そのままで大丈夫ですよ。痛み止め使ったらそのうち、違和感もなくなってくると思います。痰や唾は飲み込まずにティッシュに取って捨ててください。

アリママ:わかりました。

熱もあった。手術後、熱が出ると聞いていたので仕方ない。1番嫌なのは、鼻から入った管だった。これがとにかく痰が出るし、飲み込めないし、喉も痛かった。

床ずれ防止のために、寝返りも打たないといけないのだが、自分では動けないため、数時間おきに、看護師さんが来て、身体の下に枕を入れて身体を、右向けたり、左向けたりしてくださった。
自分では何も出来ないので、本当にありがたかった・・・。優しくて、神様に見えた星

数時間おきに、体制を変えるので、熟睡出来ず夜が長くて、看護師さんが来る度に「今何時ですか?朝はまだですか?」と聞いていた。
ごめんなさい汗

そうしているうちに、夜が明けて待ちに待った、朝になった晴れ

寝たままレントゲンを撮り、(寝たままレントゲンを撮れることにビックリ)お昼前には、心電図と足のマッサージ機と酸素マスクと鼻から喉を通っていた管が抜けた!(これが1番嬉しかった!)酸素マスクの代わりに今度は酸素のチューブを鼻に当てていた。(これはあと一日つけなければダメとのこと)

鼻からの管が抜けて、ベッドに座ったまま歯磨きをした。水も飲んでいいと言われて(約二日ぶり)最高に嬉しかったアップ

氷水を飲むと、スーと身体の中が潤った感じがして“水ってこんなに美味しかったかしら・・・”と幸せだったニコニコ

午後から家族が来てくれた。
看護師さんから、体重を測りたいから立ってみて、歩けたら歩いてみましょうと言われた。(手術後歩くことで、血栓予防や癒着の予防に繋がるらしい)弾圧ストッキングも脱いでスッキリビックリマーク

まずは、ベッドに腰掛けることから!
「ヨイショっと!」
動いたり、お腹に少しでも力を入れると
「痛たたたたたっ!」

ただ座るだけなのに、一苦労だった。

次は立ってみましょう。

「どっこらしょっと!」そんな声が出そうだった。
体重計を近くまで持って来てくれたので、測ってみると52kgビックリマーク
「えっ!何も食べていないのに!すごい増えてる!」

どうやら手術のあとは、身体に水分を溜め込むらしい。
そういえば・・・手を見たら赤ちゃんの手みたいにムチムチに浮腫んでいた。

看護師:歩けますか?

アリママ:はい、ちょっと歩きたいです。

ナースステーションの周りを、点滴とたくさんの管を引きずりながら看護師さんと一緒に2周歩いた。

「手術後一日目で2周も歩いた人は初めてです。」

と褒められて嬉しかったニコニコ

“私やるじゃ~ん!まだまだ若いな!”と調子に乗ったv(^-^)v

家族が帰って、その日の夜が一番長く感じたショック!ダウン

鼻からの管は抜けて少しスッキリしたものの、まだまだ身体に色々な管が入っていて自由に寝返りが打てないのが本当に辛かったダウン

この日まで、手術をした人が入る病棟に入院していたのだが、大きい4人部屋に入院していたのは私だけだった。
身体の自由がきかず、一人でとても心細かった。明け方までずっとテレビを付けて過ごした。

“明けない夜はない”

誰かの名言。

この言葉を頭の中で唱えたのは、初めてだった。

明日は、きっともっと楽になるし、やっと普通の病棟に戻れるからあと少し・・・

きっと

“明けない夜はない”

から


その5へ続く・・・




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