美しい態度を自動化する | 呼吸からはじめるピラティスライフ

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昨日の記事の続きです。

 
 
思いがけず長い連載になってしまったので
そろそろまとめに入りたいと思います。(笑)
 
 
【丁寧に、1つずつ】ができる人。
 
 
そんなフィードバックを
数名の方からいただいたときに
私の中に芽生えた違和感と疑いの根本
 
 
「私はそれができない人だから
 1つずつ丁寧に事を運ばないと
 間違いなく失敗するから
 絶対に気を抜いてはいけない
 
 
という思い込みにありました。
 
 
でもね、今あらためて思うのは
「丁寧」ができない人なんていない
ってこと。
 
 
いるとしたら
「丁寧」に関心がない人
だけなんじゃないかな。
 
 
例えばね
字が汚い子がいたとします。
親はキレイな字を習得してほしくて
お習字を習わせたりする。
でも、まったくキレイにならない。
それは「キレイな字を書くこと」に
関心がないから。
 
 
「丁寧」もそれと同じ。
 
 
私はむしろ「丁寧」な物事が好き。
私がたまらなく惹かれるものたちは
すべて「丁寧」だ。
 
 
 
 
ならば「できない」はずはない。
「しなかった」だけだ。
 
 
とはいえ、今「できている」なら
そんなことはもはやどうでもいいのでは?
と思われるかもしれませんが
私はそうではないと思っています。
 
 
自分は「できない」「足りない」と
不安から頑張って「やって」いるのと
自分は「できる」ことを知っていて
ただナチュラルに「やる」のとでは
同じ「する」でも全然違うもの。
 
 
それは、カラダでいうところの
と同じことなんじゃないかな。
不安から頑張って丁寧にしようとするのは
手応えを得ようとすることに近い気がします。


「丁寧」は特別なことではなく
きっと人に備わっている基本機能だ。


そして。


「丁寧」に関心がないならいざ知らず
「丁寧」に惹かれ好きなのであれば


それを当たり前に使わない、とか
自分には「できない」とする、とか
ましてや「できないからしない」と
決めつけるような甘えた態度は
本当に愚かだし美しくない


それは丁寧を蔑ろにする態度だし
つまりは関わる全てを蔑ろにする態度だし
何より自分を蔑ろにする態度だな
と思いました。


頑張ってやっているという手応えはいらない。
ただ、当たり前に「する」。
最初はうまくできなくても
これからは、ただ「する」をやっていこう。
5万回、反復しよう。
 

美しい態度を「自動化」しよう。


というわけで、長々と綴ってきた連載も
これでおしまいです。
長らくのお付き合いをありがとうございました。ほ