昨日、川崎大師へお参りし、
新しいダルマさんをお迎えしました。
女性は最初に右眼を入れるそう。
このつぶらすぎる瞳のシュールな可愛さが
「全く理解できない」と夫には言われたけど(笑)
今年も本人的には可愛く描けて大満足なのです。
そういうことって世の中結構ありませんか?
先日ふとこんな記事を書きましたが、
こんなふうに言葉にしてみたのは
私自身がいろんな“外側にある基準”に
まだまだ囚われていたなぁと思う気付きがあったから。
例えばね、ダルマさんの眼に関しても、
「眼を点睛するのは、
だるまに魂を入れる行為なので、
中心から外にむかって丸く、
カッと大きく開いた眼を描くとよい」
なんて情報を目にしたりすると、
以前の私はたぶん
「あー、そうするべきなのかー」
と、大きく描きなおしていたかもしれません。
いや、描く前にたぶんどんな大きさで描くべきか?って
調べてから描いていたかもしれないなー。
実際、このブログを書くにあたってネットで調べたとき、
検索窓に『だるま 目』って入れたらすぐに
『だるま 目 大きさ』ってワードが表示されて、
あー、それだけ調べてる人が多いってことかー、なんて思ったり。
もちろんならわしとか言い伝えとか
私はそういうことがとても好きなので、
大切にしていきたい気持ちもあるのだけれど、
だるまさんの眼を大きく丸く描いたほうが
“カッと大きく開いた目”に見えるかどうかだって、
人の主観によるところも大きいんじゃないかと思うし、
昔の人がたまたまそう感じたからそう受け継がれてきただけで、
私にはちょこんとつぶらな瞳に描いたほうが
目をカッと見開いて、まっすぐ見つめる力強い目に見えるし。
去年のだるまさんはすっとんきょうな顔に見えるけど。(笑)
なによりね、このシュールな可愛さが好き、
ってただそれだけで、このだるまさん見ると幸せになる。
それでいいんじゃないかなーって。
きっと家にだるまさんを飾ることすら
自分の美意識が許さないって人も
世の中にはいるわけだしね。
だるまさんに目を入れるのは、
もともと無かった目を入れるのではなく、
心の目の開眼を表現したものなんだそう。
ならば、私の目は私の好きに描けばいいよね。
毎日のひとつひとつを“心の目”で見て
つくっていきたい。