一昨日はA.RI.KUでピラティスインストラクター勉強会でした。
今回はご参加くださった皆さんと写真撮るのを忘れてしまったため、
お帰りになったあとのスタジオを、哀愁ただようガイくんの背中とともに。(笑)
今年から始めたこの勉強会は、マットピラティスのグループ指導を磨くこと、
インストラクター仲間との情報交換が主な目的。
個人で活動しているインストラクターは、仕事にしても勉強にしても
自分ひとりで完結することがほとんどだったりします。
だからインストラクションの技術も、お客様からのフィードバックをたよりに、
日々試行錯誤しながら磨いてゆく、という感じになる。
でも、カラダの癖と同じように、インストラクションの「癖」もあって、
それは自分ではなかなか気づくことができなかったりするんですよね。
そういうときに頼りになるのが、同業の仲間からのフィードバック。
そして、それぞれが試行錯誤してきた経験をシェアしあうことで、
未経験のケーススタディをアイデアとして取り入れることができるのも、
とても良い相乗効果を生み出しているなぁと感じています。
「いっぱい気づきがあった。明日からの指導に活かしたい」
「毎回毎回、自分の課題も見つかり、とても楽しい時間」
と、ご参加くださった皆さんからも嬉しいコメントをいただいてますが、
ファシリテーションさせていただいてる私自身も、毎回気付きがいっぱい!
今回のインストラクター勉強会を終えてみてあらためて思ったのが、
自分がいかに「感覚的」に指導してるか、ということでした。
後輩インストラクターちゃんから質問をもらったとき、
自分のやっていることを「言語化」することができなくて。
そのとき思ったのは、
「感覚を言語化する能力を磨くことが“教える”ときには必要なんだな」
ってことでした。
身体で感じる
↓
言語化する (つまり他人に分かるように伝える)
↓
他の人がそれをテクニックとして使えるようになる
という感じでしょうか。
「感覚」は固有のもの。
「ことば」は共有できるもの。
そういう意味でもピラティスのことをブログに書いていることは、
言語化能力を磨くための良いトレーニングになっているのだろうな。
もともとの私はたぶん言語化能力がけして高いほうではないので、
ピラティスの記事を書くときは、いつもすごーく時間がかかってしまうのだけれど、
このブログの存在はきっとインストラクション技術の向上にも役立っているはずなので、
これからも分かりやすい文章に落とし込んでくことへの努力はおしまず続けていこう。
「ことば」による「感覚」の共有を目指すのだー。