連絡を長い事絶っていた父から手紙が来た

最後に会ったのがいつだったか思い出せない

こっちへ来る事になって、荷物を取りに家に帰った時あの時以来だろうか?

その家は家賃が高すぎるから、近いうちに出ると言っていたが、出る事になったのだろう

私の知らない住所だった

それにしてもこちらの住所は教えて居ないのに、どうやって調べたのか


手紙の内容は、祖母の容態が悪い事

父が腕が片方しか動かず運転が出来なくなったこと

今はリハビリでなんとか、短時間なら文字を書けるようになったこと

右目を失明した事などが書かれていた

最後に私が幸せであるようにと締めくくられていた


私はこれを読んだ時、因果応報だと思った

自分の悪い所は棚に上げ、他人をこきおろし、自分の不始末は全部他人に任せていた


だけどしばらくすると、本当に優しかった頃の父との思い出も蘇ってきた

そうそれこそ、途切れた記憶の片隅に追いやられていた記憶が


熱を出した時看病してくれたこと

私の好きな苺を買って来てくれたこと

読書が好きな私に、本の読み聞かせをしてくれたこと

しかも同じ本でも、またかと言いつつも何度も読んでくれたこと

テストで良い点を取ったり、資格を取ると嬉しそうにしてたこと

そしてそれを自分の事のように自慢げに話していたことなど


だけどその分人が変わったように豹変する態度が怖くて仕方なかった

突然暴行を加えてきたり

酒に酔って奇声を上げたり、大暴れしたり

何でも八つ当たりをされたり

貯金を勝手に使われたり

言わなくてもいい事を周りに言ってこきおろしをして、私の評価を下げる事をしたり

私の失敗をいつまでも根に持って話されたり

血液がB型だっていうだけで「我儘」だと決めつけられた事もあった


家に居る時はいつも機嫌を損ねないように、腫れものに触るような態度でびくびく接していた事を思い出した


家を出る時こんな話をしていた

私は記憶になかったけれど父は毎年正月には帰ってきてたそうだ

その時、空港で私は泣きながら父を見送ってたという

その姿を見て「本当は抱きしめたかったけれど、それをやったら辛くなるから我慢した

親の愛情が一番欲しかった時期にそれをしてやらなくて悪い事をした、ごめんな」と

だけどあなたが帰ってきたのは私が6歳の時だよ

それからでも幾らでも注ごうと思えば愛情は注げたよね

毎晩帰らなかったり、酒に酔って暴力を加えたり、どうしてそんな事をしたの?

他人が居る時だけ、優しいお父さんを演じないでよ


一度父が失業した時もこんな風に弱さを見せたよね

だけど再就職が決まった途端、またこきおろしをしたよね

自分の弱った時だけ、いつもずるいよ


ごめんなさい、やっぱり私あなたの事を許す事は出来ません

例えそれが世間から非人間的だと非難されようとも






ある時父と祖母が例の小言の煩い伯母の元に旭川まで行った

なんでも病気で入院してるそうだ

「一緒にくるか?」

と言われたが嫌いな人に会いたくないので「宿題があるから」と断った

後でこれまた例の家庭裁判所で務めている伯父の元へも行ったそうだが

「お前も来れば良かったのに

寿司だろ、果物もお菓子も旨いもんたらふく食べれたのに」

「えー、良いなぁ」

「今度退院の日にまた行くけれど、どうする?」

「行きたい!」

それは本当に子供心から出た言葉だった

遊びに行けばお菓子が沢山食べれる♪とそんな軽い遠足気分だったのだ

この言動であんな事になるとは思ってもいなかった


まず昼間はその伯母の所へ行った

「アリカちゃん、よく来たわね、明日退院なのよ」

「そう…ですか」

この人の外面モードと内面モードの切り替えはどうなってるんだろう

一見ただの愛想のいいおばさんんしか見えないのに、誰も居ない時は鬼の形相で辛辣な事を言うから怖い

その後お寿司を食べに行き、夜は従姉の作ってくれた手料理だった

「うちのYは本当によく出来た子だ

アリカも料理位そろそろ出来るようにならないとな」

「…」

あなたの前で作ってないだけで、料理自体は小学校2年生の時から作ってますが何か

父をキっと見ると、えへらえへら笑っているだけだった

お前!自分の娘が貶されてるのに無視かよ

そして食べ終わって、さぁ、これから寝ましょうって時だった


「アリカ大事な話がある」

と伯父の方から切り出された

時間は夜23時を回っていたと思う

「もう眠いんだけど、どうしても今日じゃなきゃダメなの?」

「お前の方から聞きたいって言ったんだろう?」

この人は一体何を言ってるのだろう

「とにかく座りなさい」

この人がこう言い出したら、梃子でも動かない

仕方なく聞く事にした

「長い話になるから」

とオレンジジュースを出して貰った

「お前のお母さんは生きてるんだ」

「え?」

今までずっと死んだと聞かされていたので、まさに青天の霹靂だった

「あとお前には、3歳差のお姉ちゃんも居るんだ」

これはもっと聞かされていない話だったので驚いた

とにかく同じ話を何度もフィードバックさせながら話すので、要約するとこんな話だった


父による借金と母の育児ノイローゼが原因で離婚調停中に産まれたのが私

家庭裁判所の判定で母は姉が父が私を引き取る事になった

だけど父は東京勤務で周りに知り合いは居ない

そんな中で育てるのは大変だから施設へ入れてしまえというのが親族の総意

だけどそれじゃ可哀想だからと引き取ってくれたのが祖父母だそうだ


「嫌いになって別れたんじゃないんだから

大人になったら戸籍謄本調べて会いに行けるんだから

お前は我儘だから、誰とも上手くやっていけないだろ?

うちのYもあの子は嫌いだって言ってたぞ」

こっちだって大嫌いだ

いつも良い顔しておきながら、その人が居なくなった途端に悪口言う女なんて

ふと父の方を見ると、曖昧に笑って見せた

初めからこうなる事を判って誘ったんだ

自分の娘の事も自分で言えないのかと思うと、失望をした

この人には何度失望させれれば良いんだろう

「とにかくいつかお母さんに会った時に恥ずかしくない様に生きなさい

そしてまた一緒に暮らせば良い」

この人はどうしてこんなに馬鹿なんだろう

今更一緒に暮らした所で何になるんだろう

私は誰かから見て恥ずかしいか恥ずかしくないかを基準に生きなきゃいけないんだろう

そんなつまらない生き方してたまるか

一生他人から見て良い人生を選んで生きていけばいい

私はそんな人生まっぴらだ


帰りの車の中でやっと口を出た言葉が

「いつかちゃんと話さなきゃと思っていたんだ」

だったら自分で話せば良いだろうが!

「お菓子があるって言えば付いてくると思ったんでしょ?上手い手使ったね」

「お前がショックを受けると思ったから、お前の為を思って」

「そういう時だけ言うの止めてくれる?疲れたから寝るね」

閉じた瞼の裏で、ああこの人はまた自分の手では何も下さず他人を使ったなぁ

そしていつも自分が悪者になるのをとことん避けたがる

どうしてこんなに汚いんだろう

最近ホームシックになってる友人と一緒にお出かけ

こんなにこの友人と一緒に過ごしたのは、高校以来だ

同じふるさと出身でもこんなに感じる事は違うんだね

ホームシックにかかった事のない私には、その気持は全く理解出来ない

それでもいつか帰りたいと思う場所がある事は良い事だと思う

彼女のご両親にもお会いした事があるが、本当にちゃんと愛されて育ってきた人特有の温かさがあって、その家に居ると凄く心地良かった

昔の友達には会いたいけれど、その土地に足を踏み入れるのが本当に苦痛です


初めて横浜に来た時あのMMを見て一度で気に入ってしまった

大好きな海と、船、煉瓦道が続くけれど、要所には公園があって、くつろげる場所もある

下手に干渉してくる人もいない

だけど、さりげなく気遣いしてくれる人も居る

田舎みたいにどっぷりとしたもてなしではないけれど、私にはその距離感が嬉しかった


親の有難味がとか色々言われたけれど、これまた申し訳ないくらい思いませんでした

それどころか、とっとと家出れば良かったと思う位

そんな私にとっては「○○(前に住んでた町)が良かった」

と事あるごとに言われると、じゃそこで住めばいいじゃんって思っちゃう

ただの適応障害じゃん

自分が今これ以上ないと思ってる場所で、言われると嫌だなぁ

しかもそれを上手くかわすだけの余裕もないです

少なくともとっては私にとって横浜は最高の街だと思ってるから、余計嫌なんですね


そんな彼女は今度旦那さんになる人の元へ静岡に行きます

静岡は道路の狭さが嫌とか言ってたけれど、大丈夫かな?