前の日記では牛の写真の話を書いた。
読んだ方はうんざりかもしれないれど、
まだまだ完結していていないので、引き続きしつこくこの話題を提供したいと思う。
まず私の中のインド写真の牛率が減ったのはおそらくデジカメの影響が大きいと思われる。
フィルムだと「ちょっと今のちゃんと撮れてた?もう一枚念のため・・・」が重なり結局現像したら5枚もあったやんってな感じなことがよくある。
日本に帰国すると、まっさきに旅の写真を現像にいく人が多いと思う。
写真屋さんから現像された写真を受け取り、家路に向かう時の胸の高鳴り。
なんだったら家路に向かう途中に見たいくらいである。
その気持ちを抑え、家にやっと到着し、写真の束を一枚一枚めくっていくと・・・・
なんと同じ個体の牛が5枚連続で出てきたりする。
牛5枚連続の次はサンセット5枚連続、その次はタージマハール10枚連続である。
パノラマサイズであったり、ふつうの写真サイズであったり、少し近づいてみたり、遠かったりするが、すべて真正面から全く同じ角度で撮られているタージマハール。なぜ横幅20センチ近くもあり、アルバムに収めきれないパノラマモードにわざわざ切り替え撮影したのか当の本人も真相がわからない、全く意味不明・・・・。応用編としてはタージマハールを片手に持ってみたり、タージマハールを指先でつまんでみたり、タージマハールと私とのツーショットが並ぶ。このポーズは現地の人に教えてもらい、親切にも写真を撮ってくれたのだ。一人でタージマハールを訪れたとは感じさせないタージマハールを全身で満喫している写真だ。
きわめつけはタージマハールの近くの公園で戯れるシマリスである。公園にリスがいるということにえらく感動した私はズームインしたり、背景をぼかしたり、素人が考えられるカメラの技法を使ったオンパレードで野生のリスを10枚ほど撮った・・・・
加えてその時に出会ったインド人グループの写真・・・撮って撮ってとしつこかったため撮影したが、知り合いでも何ともない通りすがりの自意識過剰インド人数名の写真数枚・・・。
おそらくインドを旅行している人は何度もインド人の「写真撮って」攻撃には何度もあったこと思う。
私も実際何度も見知らぬおっさんの写真を撮らされた。いやと言えない性格の私は相手のペースに巻き込まれ、頼んできた人だけでなく、家に行って家族まで撮らされたこともあった。
インド人の子供は写真を撮られるのが好きなのか、単に外国人に行ったら合言葉みたいなので覚えているのかわからないが、とりあえず旅行者を見つけると「フォト!フォト!」と叫ぶ。子供だから期待に応えたいと思いシャッターを切るが、やっぱりフィルムの残数が気になるのである。
しかし数年後私は旅行にデジカメを持ちあるくように・・・
もう"インド人から写真を撮って"攻撃をされても、どんとこいってな感じなのだ!
あとで消せばいいのだから(失礼!)、フィルムの残数を気にしたり、あとで現像したときに「なんだこのおっさん、どこで会ったんや・・・記憶ないやん」というような写真の処分に困ることもないのだ。
インド人の半数は自分がカメラに収まったという事実だけで満足する方なので、写真を撮ればあとは放置。勝手に消しちゃうけど(失礼、でも知らない人の写真は要らないのだ)
あとの半分は自分の姿をデジカメの画面で見たら満足しちゃう人(これも後で消しちゃうーーゴメン)
最も面倒なのは残り半分のインド人、住所を教えるから送ってパターン。
メモとペンを持っていても、面倒なので「ごめん。メモとペン持ってない!」ととりあえず言って逃げようとするが、こういう人は大体がめついので、人を待たしてでも商店かどこかで調達してもってくる。
本当は断りたいのだが、メモをもらっといて断るのも大変失礼なので、送ってほしいとリクエストがあれば律儀に送る私なのだ。
あっ、余談だけれどインド人が「写真を撮って」と頼むときは、たいがいその人のワンショットである。
とびきりのワンショットが欲しいものだから、その辺にいる店員や顔見知りに腕時計やらサングラスやら携帯電話などインドでのTHE・お金持ち的な小物類を身に着けてから、やっとシャッターを切らせてもらえるのである。(数年前の話んだのであしからず)
実際は鳴ってもいない他人の携帯電話を片手にもって、思いっきり屋内のさびれた食堂でマトリックスバリの真っ黒のサングラスをかけてポーズを決めていたり、それはあまりにも滑稽な写真ができあがるのである。カメラマンの私としてはそのシャッターを切る瞬間のコンセプトが全くわからない自意識過剰なインド人の絵を独り占めできるのが唯一の楽しみであり、ちびまるこちゃんの野口さんバリにクックックと気味悪く笑うのだ。
送った写真はあまり返事がきたことないので、本当に現地についているかわからないが、まだまだカメラをもっていない家庭も多くあるので、私の撮った一枚で喜んでもらえるのなら、見知らぬ人を撮っても撮り甲斐があるというものである。
読んだ方はうんざりかもしれないれど、
まだまだ完結していていないので、引き続きしつこくこの話題を提供したいと思う。
まず私の中のインド写真の牛率が減ったのはおそらくデジカメの影響が大きいと思われる。
フィルムだと「ちょっと今のちゃんと撮れてた?もう一枚念のため・・・」が重なり結局現像したら5枚もあったやんってな感じなことがよくある。
日本に帰国すると、まっさきに旅の写真を現像にいく人が多いと思う。
写真屋さんから現像された写真を受け取り、家路に向かう時の胸の高鳴り。
なんだったら家路に向かう途中に見たいくらいである。
その気持ちを抑え、家にやっと到着し、写真の束を一枚一枚めくっていくと・・・・
なんと同じ個体の牛が5枚連続で出てきたりする。
牛5枚連続の次はサンセット5枚連続、その次はタージマハール10枚連続である。
パノラマサイズであったり、ふつうの写真サイズであったり、少し近づいてみたり、遠かったりするが、すべて真正面から全く同じ角度で撮られているタージマハール。なぜ横幅20センチ近くもあり、アルバムに収めきれないパノラマモードにわざわざ切り替え撮影したのか当の本人も真相がわからない、全く意味不明・・・・。応用編としてはタージマハールを片手に持ってみたり、タージマハールを指先でつまんでみたり、タージマハールと私とのツーショットが並ぶ。このポーズは現地の人に教えてもらい、親切にも写真を撮ってくれたのだ。一人でタージマハールを訪れたとは感じさせないタージマハールを全身で満喫している写真だ。
きわめつけはタージマハールの近くの公園で戯れるシマリスである。公園にリスがいるということにえらく感動した私はズームインしたり、背景をぼかしたり、素人が考えられるカメラの技法を使ったオンパレードで野生のリスを10枚ほど撮った・・・・
加えてその時に出会ったインド人グループの写真・・・撮って撮ってとしつこかったため撮影したが、知り合いでも何ともない通りすがりの自意識過剰インド人数名の写真数枚・・・。
おそらくインドを旅行している人は何度もインド人の「写真撮って」攻撃には何度もあったこと思う。
私も実際何度も見知らぬおっさんの写真を撮らされた。いやと言えない性格の私は相手のペースに巻き込まれ、頼んできた人だけでなく、家に行って家族まで撮らされたこともあった。
インド人の子供は写真を撮られるのが好きなのか、単に外国人に行ったら合言葉みたいなので覚えているのかわからないが、とりあえず旅行者を見つけると「フォト!フォト!」と叫ぶ。子供だから期待に応えたいと思いシャッターを切るが、やっぱりフィルムの残数が気になるのである。
しかし数年後私は旅行にデジカメを持ちあるくように・・・
もう"インド人から写真を撮って"攻撃をされても、どんとこいってな感じなのだ!
あとで消せばいいのだから(失礼!)、フィルムの残数を気にしたり、あとで現像したときに「なんだこのおっさん、どこで会ったんや・・・記憶ないやん」というような写真の処分に困ることもないのだ。
インド人の半数は自分がカメラに収まったという事実だけで満足する方なので、写真を撮ればあとは放置。勝手に消しちゃうけど(失礼、でも知らない人の写真は要らないのだ)
あとの半分は自分の姿をデジカメの画面で見たら満足しちゃう人(これも後で消しちゃうーーゴメン)
最も面倒なのは残り半分のインド人、住所を教えるから送ってパターン。
メモとペンを持っていても、面倒なので「ごめん。メモとペン持ってない!」ととりあえず言って逃げようとするが、こういう人は大体がめついので、人を待たしてでも商店かどこかで調達してもってくる。
本当は断りたいのだが、メモをもらっといて断るのも大変失礼なので、送ってほしいとリクエストがあれば律儀に送る私なのだ。
あっ、余談だけれどインド人が「写真を撮って」と頼むときは、たいがいその人のワンショットである。
とびきりのワンショットが欲しいものだから、その辺にいる店員や顔見知りに腕時計やらサングラスやら携帯電話などインドでのTHE・お金持ち的な小物類を身に着けてから、やっとシャッターを切らせてもらえるのである。(数年前の話んだのであしからず)
実際は鳴ってもいない他人の携帯電話を片手にもって、思いっきり屋内のさびれた食堂でマトリックスバリの真っ黒のサングラスをかけてポーズを決めていたり、それはあまりにも滑稽な写真ができあがるのである。カメラマンの私としてはそのシャッターを切る瞬間のコンセプトが全くわからない自意識過剰なインド人の絵を独り占めできるのが唯一の楽しみであり、ちびまるこちゃんの野口さんバリにクックックと気味悪く笑うのだ。
送った写真はあまり返事がきたことないので、本当に現地についているかわからないが、まだまだカメラをもっていない家庭も多くあるので、私の撮った一枚で喜んでもらえるのなら、見知らぬ人を撮っても撮り甲斐があるというものである。