昨日、会社の同僚の飲み会に

出掛けていた夫が

ラインで他の人の

手相写真を送ってきて



これはどんな手相か

とか


この人は自分の手相に似てる

とか


この人はこの先再婚出来るか

とか


いつ終わるの?というくらい

延々と聞いてきたので

わたしも延々と返信しました。






手相を学んで

鑑定を始めたのが2012年。


11年たってようやく飲み会で

「うちの奥さん占い好き」って

酒の肴に出してくれるように

なったんだなあ、と感無量でした。





11年前に初めて

「手相習いたい」

と夫に言った時は


「はあ?手相に60万?

 ありえんし」

という反応だったので。




わたしはわたしで

男性にとって占いとは


そんなもので自分の行動を

左右されるなんて恥ずかしい

自分のことは自分で決めるわ


というゲテモノ扱いであることは

普通に共感していたし

理解も出来たし


でも世の中には

人智の及ばない世界があって


それでも何かしらの手掛かりを

常に発し続けている意識を持った

存在があるということを

抵抗なく受け入れられるのは

多分女性のほうなんだろう


という想いもあって


その両方のバランスを取りながら

今日まで手相鑑定を続けてこられたのは

やっぱり夫のそのスタンスが

一番身近にあったからだろうと

それは強く感じています。


見えない世界に触れるほど

分け入るほど

見える世界を大切にする

という訓練は

現実主義者の夫や長男のお陰で

家庭という社会で

対応可能なものでした。


*****


占いなんて

エンターテイメントで良いし

でもそういう世界があるって

知っていて良いし

気が向くときが一生のうち

一度でもあるなら

知ってたら思い出せるし

知らなかったら触れずに終わる。


たった一瞬、触れた時

思いがけないほど深い

自分の持つ空間を知って

感動するかもしれないし

すぐ忘れるかもしれない。


こどもを育てながら

結婚生活を送りながら


目に見える世界と

目に見えない世界の

両方を当たり前に話せる環境は


どちらかだけしか

ない生活より深みが増す。


怪しい、ハマりたくはない、

恥ずかしい、聞きたくない、

そういう自分の感覚は

それを知っていないと認識出来ない。


何をされているのか

分からないまま

知らない間に何らかの

操作をされ

それに気づかないまま

一生を終えることが

一番避けたいわけで。


*****


怪しいと思う話を

いつも普通に話している人の

普段のひととなりを

間近で見られるのも

また家庭生活のメリットで


強制されれば反発を生むし

自由に放たれるだけなら

ただの知識として蓄積される。


でも現在の日本では

学校でも

会社でも

マスコミでも

ほぼ深い部分までは

触れられない分野

だということが

ただただ偏っている現状で


そういう感覚すら

持ったことのない人に


そういえば

なんか

会社の同僚の奥さんで

占いやってる人いたなあ


とうすぼんやり

思い出してもらえるなら


それは夫が酒の肴に

出してくれるようになったおかげだし

本当にそのくらいのスタンスで

この先10年20年ずっと


なんか占いやってる人

として認識されるなら本望です。










*****


2023.4.20Facebookより

意外に超イイねを頂いてるので

こちらにもシェア


*****