アナスタシア1巻の8章で
ついに!!
わたしがもっとも憧れる
アナスタシアの能力について
語られています。

 

 

 

 

一つ前はこちら

 

 

 

 

 

 

なぜアナスタシアは

シベリアのタイガの森の中に

住んでいながら、

 

現代文明社会に住む人々の

生活や考え方、話し方、

起きている出来事について

詳しく知っていて

 

違和感なく実業家メグレ氏と

会話することが出来るのか

 

その秘密の開示でもあります。

 

 

 

 

 

アナスタシアは

目に見えない

光線の助けを借りて

 

はるか遠い場所にいる

ひとりの人間の状況を

見通すことが出来るそうなんです。

 

 

 

しかも、

この光線は誰でも持っていて

ただ、それに気づかないために

使うこともできずにいるそうなんです。

 

 

 

人間はいまだに

自然界に存在しないものは

何一つ発明しておらず

 

この光線の物まねに過ぎないのが

テレビだそうです。

 

 

 

 

 

 

まじか!!

 

 

 

 

さらに、さらに、さらに

 

アナスタシアは

この光線で見ている

遠く離れた場所にいる人を

温めることが出来るんです。

 

他にも

 

この光線を使って

誰かの気分を明るくしたり

 

人の痛みを部分的に

和らげたりも出来るし

 

情報を受け取り

別のところへ伝えたり

 

 

もちろん、未来や過去を

見ることも出来るんです。

 

 

 

*****

 

 

 

アナスタシアは

シベリアのタイガの森に

一人で住んでいるのに、

 

仕事をしている、

用事がある、

一日中帰ってこない

などの記述が頻繁に

出てくるのですが

 

 

その仕事というのは

この光線を使って

 

人間が生きていく

さまざまな状況を

 

過去、現在、未来にわたり

じっと見つめて

それを映像にかたどることに

一日の大半を費やし

 

 

そうしてたくさんの人の

歩き方や声、

物事を考えるときの手順、

内面の葛藤にいたるまで

驚異的な記憶力で覚え

 

一人一人の細かな生活体験を

自分の中に取り込み

 

違和感なく自然な

一人一人の未来をかたどり

 

提案や決断、あるいは癒し

という形で遠く離れた人々を

助けているそうです。

 

 

 

 

*****

 

 

この章の最後のほうに

突然、神について

メグレ氏がアナスタシアに

尋ねるシーンが出てきます。

 

 

前章に続いて

いきなり話が飛ぶパターンです。

 

 

「アナスタシア、

神とは何?

神は存在するのか?

もし存在するなら、

どうして誰も神を

見ることができない?」

 

 

ロシア正教に馴染んでいるはずの

メグレ氏でも、

わたしが神について

疑問に思うことと

あまり変わりないな

と思いました。

 

 

 

「神は、惑星間の至高なる

源であり知性

 

神は個体ではなくて

半分は宇宙の非物質的な領域に

存在し、すべてのエネルギーの

集合体をなしている。

 

もう半分は小さな粒子となって

地球上の人間ひとりひとりの中に

分散されている。」

 

 

 

これが8章で語られている

神についての

アナスタシアの説明です。

 

 

 

 

続けて、メグレ氏の質問は

現代社会の未来について。

神と同列で聞いちゃいます。

 

 

「今後、何がわれわれの社会を

待ち受けていると考えている?」

 

 

「技術優先主義がもたらす

有害な側面への目覚め、

そして本来あるべきもとの姿に

立ち帰ろうとする動き」

 

 

これに対してメグレ氏は

 

「科学者は未熟な存在というわけか」

 

と恐らく皮肉のつもりで聞き返します。

メグレ氏は科学者こそ

この世界の最先端と考えていたはずです。

 

 

それに対してアナスタシアは

 

「でも、彼らは

まちがった道を歩いているということに

人々が気付く時期を早めてもいる」

 

と数段上回る辛辣さで答えました。

 

 

 

「ということは?

われわれがつくる

車も家も

意味がないというのか?」

 

 

 

「そう」

 

 

 

 

さらにアナスタシアは言います。

 

「テレビも電話もとても原始的。

人間ははじめから、

そういうものをみな持っている。

 

人間の想像力は

退化してしまったけど

 

わたしは自分の想像力で

どんな画像でも描けるし、

どんなに信じがたい状況でも

つくりだせる。

 

人は電話がなくても

おたがいに話ができる。

話したいという意志と願いと

発達した想像力さえあれば。」

 

 

 

 

ちなみに8章前半では

夢についても語っています。

 

 

夜寝ている間に見る夢は

人間の光線を使って

コントロールできるビジョンだと。

 

 

 

光線は、人が内面にもつ

情報と思考と直感と感情から

出来ていると。

 

 

 

人間はすべてを

コントロールできるように

創られている、と。

 

 

 

*****

 

 

 

8章では

人間の能力が

本来どれほど無限大か、

 

これまでさんざん

夢物語かアニメか映画か

お伽話のように語られてきたことが

 

すべて実際に

本来の人間に

与えられた能力であると

 

アナスタシアが断言します。

 

 

 

 

ついに、といっても

まだ本が始まって

100ページも

進んでいません。

 

 

 

人間だと言い張るアナスタシアが

当たり前のように語るこれらの能力を

初めて読んだときのわたしは

 

 

すんなりと、そうなんだ、

と入ってくるものもあったし

 

 

聞いたことあるな

と思ったものもあったし

 

 

よく分からんな、

と思ったものもありました。

 

 

 

 

 

そんななかで、唯一、

光線で離れたところの人を見る

ことについては

 

 

もう、今日から出来る、

と、そう思い込んで

 

しょっちゅう

目の前にいない

家族の姿を

思い浮かべるようになりました。

 

 

 

会社で仕事をしている夫や

 

外で遊んでいる次男や

 

部屋でゲームしている長男や

 

ベッドで昼寝している娘を

 

 

イメージで思い浮かべるのは

すっかり習慣になっています。

 

 

 

合っているかどうかを

確かめたことはありませんが

 

ただ、そうすることが

習慣になっている、というのは

アナスタシアの光線についてを

読んで以来、ずっとです。

 

 

 

そのうえで

温められるといいな

と、それは希望として

ずっとわたしの中にあります。

 

 

 

イメージの中では

仕事をしている

夫の背中を温め

 

 

遊んでいる次男に

そろそろ帰っておいでと

声をかけ

 

 

ゲームしている長男は

そのまま放っておき

 

 

昼寝している娘には

そろそろ起きて降りておいで

とやはり

声を掛けたりしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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