今わたしの中でセックスについて
大幅に書き換えないといけない
事態になっています。

 

自分の身体を好きになること...
自分の生まれた場所を知ること
性器に名前をつけて呼ぶこと
触れること
気持ち良さをとことん追求すること

 

これらが何より大切だと
ブログに2017年から

1年間書いてきました。

 

わたし自身が性に対し人一倍
興味のある人生を送るなかで
上記とは正反対のことが意図的に
常識とされてしまっている社会に
気付いたからでした。

 

すなわち
自分の身体を恥ずかしいと思うこと
自分が生まれた場所について詳しく考えないこと
性器の名前を口にしないこと
触れることへの罪悪感
気持ち良さを追求するなんて

恥ずかしい、はしたない、

どうせこんなものというセックスへの諦め

 

それら常識とされていることのすべてが
自分の命の否定に繋がっていると感じたから
性に対する拒否感を解き放ちたいと

 

なるべくはっきり
なるべく堂々と
なるべく具体的に
書いて書いて書きまくり


もう書くことはないと感じて
今年の6月にブログを終了しました。

 

 

 

 

だけどそれから半年たった今


そもそも人に肉欲という意味での
性欲は備わっていない


セックスは快楽が目的ではない


肉体を結合させることじゃない


相手を変えたりやり方を変えたりして
追求するものじゃないということが

 

ここ最近の自分と照らし合わせて
本当に腑に落ちるんです。

 

 

それはわたしが徹底的に避けてきた

 

❮セックスは受胎の為のものか否か❯

 

というテーマに真正面から
向き合あうことになるので
ここに書くのは

正直いって怖かったんです。

 

 

 

不妊の人、欲しくない人の権利を
侵害してしまうという恐れと


誰にでも当てはまることとして
性を語りたいという欲求もありました。

 

だからセックスの目的は

気持ちよさ=快楽で

妊娠は結果に過ぎないと
ブログでは断定してきました。

 

 

それは間違いだったと
今ならはっきり分かります。

 

 

性に対するブロック自体を
解放することは必要でした。

 

だけど快楽を追求することに
片寄りすぎたのは大きな誤りでした。

 

どこをどう触れば気持ちいいのか
どうしたらイケるのか

そこにこだわっている限り
肉体の結合から先の世界を
見ることは出来ません。

 

 

せっかく性に対する拒否感がなくなったなら
その次の

結婚生活こそが地上の楽園
という世界を皆さんと一緒に味わいたい。

 

 

 

今でもアクセス解析を見ると

1ページづつ読んでくださっているかたが

いらっしゃるので
今後改めて新たな性への思いや
結婚と妊娠とセックスについて
書き加えていけたらと思っています。

 

 

2018年12月13日

辰原奈緒











セックスが先かこどもが先か