こんにちは

 

 

  秋も終わりに近づきます…とはいえ季節外れの夏の暑さでいよいよ秋は影が薄くなったようです!

 

 でも秋はやってきました…あなたの周りの、小さい秋にも…♪

街のスーパーの店頭にブドウやリンゴ、梨や柿が並びます…

まるで子供みたいにこっち向いてホイ!とやっています…この顔つきに負けてつい買ってしまいます…!

 

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」とは正岡子規の秋の名句です…!

よほど柿が好きだったと見えて、柿を頬張る子規の顔が浮かびます…

 

 柿の木には、春先はまだ子供のように笑ってる青い実が一斉になります…

やがて夏が過ぎ、大きく赤く熟し、やがて少しずつ葉を落とした木には、今はすっかり大人の顔になって色づいた柿の実…秋が深まります…!

 

 少し前にはどこの家の庭にも柿やイチジクの木がありました…

子どもと猿は同義語、いかにも登りやすそうな柿の木の枝振りは格好です…それなのに折れやすいからと大人に言われて登れなかった木です…

 

 

 太郎柿、次郎柿のような子供っぽい身近な名前から、富有柿のようないかにも美味しそうな名前、ナルホドと思わせる筆柿、日に干して白い粉をまとった枯露柿、お酒につけてシブを抜いた樽柿まで加工方法も食べ方も様々です…気がついたら、子ども心にも柿だらけの昔の秋でした…

 

 柿は不思議な木です…昔の人はこの木の葉には殺菌作用があるからと、柿の葉で押し寿司を作ったり、小鉢でテーブルを彩ります…

 

 林檎は、種をくり抜きそこに砂糖とバターを溶かして入れて焼いた、見るからに美味しそうな焼きりんご…昔、古いホテルのデザートがコレでした…スキーに行くたびにあの頃が蘇ります…大きなダイニングや一緒に滑った仲間の顔を思い出します…味の記憶が時の記憶にもなっているのは、きっと食い意地がはった年寄りになったからかもしれません…

 

 そして梨!…ガキの頃は長十郎が全盛、いかにも梨らしいゴツゴツとした茶色は、それこそあの頃のイガグリ頭にそっくり…それに対抗するような梨らしくない青っぽい色で果肉も白く、なんとなく学生服がよく似合ういい子の20世紀が登場…この二つが梨の双璧だったんですが…その頃から糖度が高く、食べやすく上品だからと20世紀がもてはやされます…いかにも田舎モンで無骨な長十郎はだんだんと姿を消します…今では品種改良も進んで豊水や幸水など都会派の梨が幅を利かせます…ラフランスのような洋梨も出回ってます…僕には

用無し(ダジャレです)でも、果肉がやわらかくレシピも多いと若いご婦人には人気です…

 

 個人的に「長十郎」が大好きな僕は、ほんの一時店頭に並ぶこの梨を目で探します…!

 

 よく言われたのが「りんごは王様に剥かせろ。梨は乞食に剥かせろ」

王様は鷹揚だからりんごの皮は放っておいても薄く剥く、けれどガツガツした乞食は皮を厚く剥く…の例えです…確かに長十郎の皮はしゃりしゃりと口に残ります…皮を厚く剥いた方がお上品です…

 

 でも僕は生まれつき乞食なのかもしれません…

りんごも柿も梨も丸々そのまま食べます…! 放っておいてもらおうか…です

 

 

 さて家の中で母は一番の猫またぎでした…続いて妹…この二人が魚を食べる時、猫は諦めています…

反対に猫が喜び、それも大喜びするのが僕…食事に魚が出ると僕の周りで猫が円陣組んで、残り物を目指して今や遅しとばかりに舌舐めずりです…

 

 そんな母が食事が済んだ最後に残った鮭の皮にお湯をかけて「バカだねぇ、ここが一番美味しいのに」と言って美味しそうにすすっていました…魚の時だけは僕も母のお気に入りのいい子です…!

 たしかに果物も魚も本当に美味しいのは身と皮の間のようです…

 

 

 ムダ話です…

 以前ブログにも書きましたが…何にでもイキがる江戸っ子はうなぎを「とおとうみ」と言ったそうです…

漢字では「遠江」、遠は遠州、例の森の石松が遠州の出ですが、あの一帯の地域です…

「江」=みとは「三方良し」の近江商人の「おうみ」、今の滋賀県の「近江」です…

 

 気付いたと思いますが、片方は「近く」てもう一つは「遠い」と書きます…

江=みとは湖のことで、江戸以前の日本の中心は京都、そこから見て近い湖が琵琶湖で、遠い湖は浜名湖ということで遠近がつきました…だからこの地は「遠江」というわけです…そのお隣が「三河」…だから「身と皮」の間がことのほか美味しいから「遠江」となるわけです…くどいと言ってしまえば身も蓋もないんですが…でもこの言葉から、当時は地政的にも京の都が中心だったとわかります…

 寿司屋の縁側っていうのは…もともとはヒラメの筋肉部分が家の縁側の板目のようにキレイに通っているからだそうです…言葉の意味には身も蓋もあります…

 

 ところで、この話を聞かせてくれた田舎の先生は「遠江」の本当は実は「ふぐ」の皮だということを知ってか知らずか、僕たちには「かばやき」と教えました…大人になって「かばやき」を食べたのですが、思ったほど美味しくなく、母にも笑われて…その時調べて実は「ふぐ」だとわかりました…!

 

 めったに食べられない「ふぐ」…先生も食べたことがないし、生徒も食べることもないだろうという、先生のヨタ話だったのかもしれません…そんな先生のお顔とお名前は今でも目に浮かびます…いい先生でした!

 

 そう言えば京の夏は琵琶湖の「鱧」はも料理、浜松市周辺の名物が浜名湖の「うなぎ」と、共通点もあります…両方とも小骨が多いそうです…浜名湖近くの「うなぎ」屋さんには、関東と違って焼かずに蒸した「白焼」がありますが、どうも苦手です…ついでですが蒲焼の「ひつまぶし」も僕には「ひまつぶし」と読めて仕方がありません…「ロータリー」が「ロリータ」に読めるヒロシさんみたいです…最近はソロキャンプで有名人です!

 

 また、北斎の「富岳十八景」の「遠江」には木挽きの風景に富士山の遠景が描かれています…

そもそもこの地では「木挽き」が盛んだったのでしょうか?…元大工には興味があります…

 

 

 そんな母が、台所に立って来客に長十郎を剥きます…皮は剥き始めから終わるまで途切れのない熟練の技です…その皮を捨てるなんて、それこそ勿体ない…僕にはことのほか美味だからです…!

 

 

 

 ところで人間の奥歯は「臼歯」です…つまり「臼」うすのようにすり潰す「歯」があります…

果物、特に秋の果物を「臼歯」を使って皮ごと噛むと、甘味や酸味、歯ごたえまでその全てが渾然一体の美味しさになって口中に広がります…まさに秋を噛み太陽と地の恵みを噛んでいるんだと実感します…!

 

 改めて「臼歯」の存在、というより有り難みを知ります…確かに母の言ったように身と皮の間が美味しいのだと知ります…下品に見えても結構、乞食に見えても結構…この食べ方が一番です!

 

 子を思うあまりに、厚剥きして皮を捨てる母親…その愛情が硬いものを噛めずに「臼歯」やアゴの筋肉が発達しない子供に育てていませんか…そして何よりも季節の恵みの全てを噛み砕き、記憶することを子供たちから取り上げていませんか…?

 

 梨もりんごも柿も、その美味しさは身と皮の間にあります…秋は僕の「臼歯」も大活躍です!

それにしても、同じように見える土から梨やリンゴや柿が生まれる不思議…一体あの味や形の違い、水気はどうやって集まるのでしょう…⁈

 

 

 「柿食うて おれば鐘なる 法隆寺」とは子規の高弟、河東碧梧桐の句です…

あははは…俳句の面白さです!…柿を見るとこの句を思い出します…先生と生徒、いい関係ですね!

 

 都会も田舎も…それぞれに秋が暮れます…お元気にお過ごしください…

 

 

 

 僕たち年寄りには、白秋…次には玄冬が来ます…負けずにやり過ごしましょう…

ね、ご同輩!