ノアの洪水の時に天から降って来た海の水を『汚染水』で穢さないで! | misaのブログ

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富士の写真館さんより↓









原発事故の『汚染水』を24日に海洋放出か








ついに岸田政権の連中が最悪の強行手段に出てきた!


おまけに、福島原発を視察しに行った際に地元漁協関係者と話し合いを行なうものとばかり思っていたら、面会すらせずにおめおめと東京に逃げ帰ってくる始末だ。


「人の話をよく聞く」とのキャッチコピーは完全なる大ウソのペテンだったことが完全にはっきりした。


その代わりに用意されたのが、総理官邸での全漁連会長との会談というわけか。


この会談の様子を見たが、どうも全漁連の坂本会長の歯切れが終始悪いのが氣になった。


その直後に24日に強行放出されることが発表されたのを見ても、会談前に全漁連の幹部とは裏で手打ちされていた可能性が大だ。


つまり、(今は懐かしき)ノビテル氏の迷言「最後は金目でしょ」によって、漁協組織のトップは岸田政権に懐柔されてしまった可能性が大ということだ。


結局は、今回もまたまた、ピラミッド階層の下にいる地元漁師の人々や、私たち一般国民が最も重大な損害を押し付けられることになりそうだ。


岸田総理がとりわけ悪質なのは、露骨に地元の漁師を無視する行動をとりながら、驚くほどのスピード感を持って強行放出する日を決めてしまったことだ。


いつもながら、国民にとって甚大な害がもたらされる事案に限って見事なスピード感と決断力を発揮している。


米国の核物理学者であるベレス教授が指摘しているように、この汚染水の中身や安全性は真に中立的かつ科学的に証明されておらず(これまで述べてきたようにIAEAは中立的なチェック機関とはかけ離れた核フリークによる腐敗組織だ)、科学的かつ論理的に判断すれば「絶対に海に廃棄してはいけないもの」だ。


海に垂れ流してしまう以外にも方法はあるし、ベレス教授が言っているように、極力放射性物質を封じ込める形でセメント化させ、橋脚などの建設資材として使用する方が海に垂れ流すよりはだいぶマシだろう。


やはり、岸田政権も、歴代自民政権と同じように(ジャパンハンドラーからの命令通りに)日本の社会や環境資源を意図的にぶち壊そうとしているようしか見えない。


このまま放出が強行されてしまうと、特に近隣国においてはかなりの長期間にわたって日本産の海産物の輸入が禁止されることになるだろう。


これだけでも日本は経済的に相当な打撃を受けることになる。


やはりこれもまたグローバル支配層による「日本破壊滅亡計画」の一環なのだろう。


(どんな放射性物質がどれだけ入っているのかもはっきりしていない以上)何よりも日本国民自身の健康が何よりも心配だ。


そして、このまま放出が強行されてしまったとしても、日本国民は諦めることなく反対の声を上げ続けることが大事だし、少しでも放出量を少なく抑えてこれを出来るだけ早く中止させることが重要だ。


それこそが、私たち日本が持つべき責任だし、日本だけでなく海の向こうの市民の健康をも大きく害する恐れがある上に、(世界の市民の共有財産である)かけがえのない海の自然環境を破壊する汚染水の放出に、これまで以上に全力で反対の声を上げることが必要だ。


<抜粋終わり>


世界の人々の宝である美しい海を、放射能で汚染された水で穢すなんて、絶対に許せないことです。

そもそも、お金で地元住民を手懐けて原発を設置させ、今回も放出に反対する人々をお金をちらつかせて納得させたのでしょう。

何でもお金で解決させ、都合の悪いことは全て隠蔽する体質はいつの世も変わりません。

こうなったら、海の浄化力に祈るしかありません。

そもそも、水は『個体→液体→氣体』と変化する不思議な物質であり、地球上のものではないと云われているのです。

ノアの洪水の時に、月から降って来たもののようです😱

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過去記事の最後に、こんな事が書かれていました↓


『私たちは、いろんなものたちの助けの元に今を生きているのです。


だから、水にも月にも地球にも、あらゆるものに感謝して、生かされている命を精一杯輝かせて毎日を過ごしていきたいですね。』


汚染水を海にばら撒かれてしまったとしても、みんなの感謝と祈りの力で海の浄化力をアップさせる事が出来るかも知れないと思う今日この頃です。。。


よろしくです。




さらに水について



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テラヘルツも入っているビビアンさんの浄水器を使えば、私たちの身体がキレイになっていくだけでなく、地球(ガイア)の水も少しずつキレイになっていくと言うことです。