能登半島をゆく③ 空海伝説が残る『見附島』 | misaのブログ

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能登半島への旅③


昨日からの続きです。


『氣多大社』近くにある『地震石』にご挨拶をした後、私たちは能登のシンボルとも言われている『見附島』へと向かいました。



道中、龍神さまのような長い雲が頭上にあることに氣づきました。



ナビと照らし合わせると、その方角はちょうど見附島をまっすぐ指し示していたのでした。


まるで、こっちだよ、早く来なさいと言わんばかりに。



そして、1時間15分をかけてようやく辿り着きました。


わぁ〜!写真やテレビで見たことがある〜💕


『見附島』は、青い空に映えて、めっちゃすてきでした。


高さ28メートルの大きな岩がそびえ立ち、軍艦がこちらに向かってくるかのような大迫力です!




『見附島』は、先端部分が突き出たその独特の見た目から別名「軍艦島」とも呼ばれているのです。








踏み石が並べられているため引き潮の時間帯には、島の近くまで歩いていくことができるのですが、途中、ジャンプしなくては進めない場所があったので、無理せず引き返しました💦




ちょうど1年前と1ヶ月前に珠洲市で大きな地震があり、見附島の岩がかなり崩落してしまったとニュースでやっていました。




これ以上、何回も何回も大きな地震が起こると、今のような美しい姿は見られなくなってしまうかも知れません。


そうならないように祈るばかりです。


ところで、『見附島』『弘法大師空海』と関係があるのをご存知ですか?


『見附島』は、弘法大使が佐渡島から能登へ渡った際に最初に見つけたことが名前の由来となっているのです。



見附島と空海伝説


【弘法大師空海は唐の国に渡り恵果阿闍梨のもとで修行され、三国伝来の伝承者と認められ、金胎両部の潅頂をうけ密教伝来の三杵を授けられた。



唐の僧達はその三杵を奪い返さんと日本に帰ろうとする空海を海岸まで追いつめて来た。


その時空海は東方を望み「密教有縁の所に行きて我を待つべし」と三杵を大空高く投げられた。


帰国された空海は三杵を求めて海路佐渡より能登沖を通られた時波の音とともに法華経を誦する声が聞こえてきたので島を頼りに着岸された。


そこで村人達の案内により山の桜の樹に探し求めていた三杵の一つ五鈷杵が光り輝き白夜法華経を唱えていた。


空海は深くお喜びになりここに一宇を創建され吼木山法住寺と名づけられた。


そして三鈷杵高野山の松の樹に、独鈷杵佐渡島の小比叡山の柳の樹に掛かっていた。


それより島を見附島と呼び縁結びの神を祀り、海難の守り神と共に小社を安置し4月18日を祭日とし舟を繰り出し島上に登り祝詞を奉じた。】



高野山の「三鈷の松」に引っかかっていた三鈷杵のお話は有名ですよね。私も何度か行きました。


でも、3カ所もあったのは知りませんでした。


来月、ちょうど佐渡島に渡るので、小比叡山の真言宗のお寺にお参りして来ようと思います。


そしたら、三カ所コンプリートだわ😆


佐渡島に行くのは、見附島が空海さまと関係しているなんて知らなかった頃に計画していたので、能登半島を訪れたらやたらと佐渡島の名前が出てくるので驚きました。


まぁ、位置的に近いからでしょうね↓


そして、自分も佐渡島に行かなくてはならない理由がなんとなく分かって来ました。(そのお話は来月に。。)


それから、見附島を後にして私たちはいよいよ能登半島の先端へと車を走らせるのでした。




続きます。。