ワクチン後遺症を「コロナ後遺症」にすり替えるメディア & 丹生川上神社 | misaのブログ

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ストップ コロナワクチン!










最近テレビでは、抜け毛など『コロナ後遺症』の事を盛んに言っていますが、決して『ワクチン後遺症』の話はしません!


でもこれ、『ワクチン後遺症』ですね↓



​ウクライナ情勢








やはり、岸田総理も安倍&菅と全く同じ穴のムジナだった。


政権発足当初こそ、国民に寄り添った政治を掲げていたくせに、オミクロンパニックとウクライナ戦争によって、いよいよ、その売国政権の本質が本格的にバレてきた。


表向きには「ウクライナ避難民への支援」などを装っているものの、現在のウクライナ政府そのものが獰猛で好戦的なグローバル軍産資本の完全なる傀儡である以上、本当に困っている市民にところには届かずに、そのほとんどが1%の戦争屋連中の懐に入るのは深く想像しなくても分かることだ。


しかし、氣になるのは、これまで安倍政権による無制限な海外バラマキを強く批判してきた人々の間から、岸田政権のこうした売国行為に対しての批判の声が非常に弱いことだ。


恐らく、大手マスコミの報道に感化されることで「ウクライナは善・ロシアは悪」との間違った思考に誘導されてしまっているのが大きな原因ではと思われる。


だが、今の岸田政権がやっていることも安倍政権と全く同じことであり、1%の国境を持たない特権支配層(強大な資本家や国際銀行家、軍需産業など)を利するための売国行為であるうえに、「見えないナチス」のコントロール下にあるゼレンスキー政権を支援・応援することは、世界をさらなる混沌に陥れては、世界の多くの市民をさらなる大量死に向かわせる、「世界の民主主義システムの最凶の破壊行為」に他ならない。


海外においては、(オリバー・ストーン監督やマイケル・ムーア監督など)グローバリストの詐欺を見抜いて人々に警鐘を鳴らしている例が複数あるけど、日本においては、ウクライナ戦争の本質をついてまっとうな指摘をしている著名人が鳩山元総理くらいしか見当たらない。


「ゼレンスキー政権を少しでも批判するだけで大炎上の集中砲火に見舞われる」現在の日本社会は異常そのものとしか言いようがない。


コロナ危機におけるmRNAワクチンの薬害問題もそうだけど、最近は、自民党を強く批判してきた人々が間違った方向に扇動される事例が相次いでいることが氣になる。


(もっとも、日本国内の世論の中でこのような”変化”が生じてくることは、前からある程度予測していたことだった)


繰り返し述べるが、日本のマスメディアは完全なる欧米のグローバル資本勢力の傀儡であり、ウクライナ戦争においても、その真実性や事実についてはほとんどなんの検証もせずに、欧米メディアのプロパガンダをそっくりそのまま垂れ流しているのが現状だ。 


そして、コロナ危機の長期化に加えて、ウクライナ戦争の長期化&泥沼化による物価の暴騰やエネルギー・食糧難などによって、ますます日本国民が窮地に追いやられるのが明白な中で、これら国民を放置して「ウクライナ難民のため」などと称して戦争屋資本への支援に明け暮れている岸田政権は、安倍政権同様の最悪の売国政権と言わざるを得ないだろう。


これまでの自民党政権よりは少しはマシかと思ってたけど、所詮はCIA戦争屋の傀儡政権だったというわけだ。


ジャパンハンドラー連中の脅しに簡単に屈して、安倍氏と変わらない売国に走っている岸田総理には心底がっかりだ。


次の選挙では、「日本国民を優先的に守る」当たり前の大原則を守る議員を一人でも多く国会に送り込んでいく必要があるのではないか。


<抜粋終わり>



丹生川上神社・三社巡り


あまりの渋滞に、吉野桜を断念し、私たちは丹生川上神社(にうかわかみ神社)を目指すことにしました。


水の神様を祀る丹生川上神社は、上社・中社・下社の3箇所があり、それぞれの場所がめっちゃ離れているのです。


まずは、メインの中社を訪れました。


◆ 丹生川上神社 中社


白鳳時代からの歴史を誇る丹生川上神社は、古くから水を司る祈雨祈願の神社として信仰を集めてきました。


そして、雨師明神とも称され、祈雨・止雨の神として朝廷からも尊崇を受けていました。


供え物と共に、祈雨には黒馬、止雨には白馬(赤馬)が献上されたという平安期には、京都の貴船神社とともに篤く信仰されていたそうです。


どちらの神社も、絵馬の発祥の地となっていますね。


朝廷による祈願の数は、96回にものぼったそうです。




しかし、戦国時代になると祈願は中断。


神社の所在地すら分からなくなってしまったそうです。


明治維新以降、その場所が調査され、1871年に現在の下市町の神社(今の下社)が、そこではないかと推測されました。


しかし、1875年には過去の文献との食い違いが発覚。


川上村の神社が丹生川上神社だとされ、上社となりました。



しかし、その後の研究により、1922年、東吉野村の「蟻通神社」こそが真の丹生川上神社だと判明したのです。


区分上、「中社」となっていますが、一番のメインの場所がここです。


1952年に三社はそれぞれ独立したそうです。


だから、それぞれの神社の場所が車でも約1時間ほど離れているのですね。



本殿前でご真言を唱え、ヤンキー坐りをしながら御神体があるとおぼしき階段上を覗きこむ私たちでありました。(場面を想像して下さい😆)


そして、てっちゃん(注: 彼氏ではありません😝)が、本殿前に置いてあった「穢れを祓い、運氣を開く」という「龍玉」東の瀧 に投げ入れたいと言うので、そちらに向かいました。


すぐ近くだと思ったら、結構遠い!


あの赤い橋のところだ!


東の瀧(ひむかしのたき)は、別名「秋津野の瀧」「龍神の瀧」ともいい、龍神が棲むといわれているそうです。




心の願いを玉に込めて、龍玉の底の穴に息を三度吹き入れ、東の瀧に投げ入れるのだそうです↓


投げ入れたとこ↓


『龍玉』は瞬時に溶けたみたい↓


再び、神社に戻り、社務所で田中さんと私は、丹生川上神社・三社巡り のコンプリ記念グッズに飛び付きました!


それぞれの神社で、がもらえる(購入するのだが)のですよ〜💕


3つ目をコンプリした所で、全てお見せしますね!!


続く。。