今年一番楽しみにしている番組 | misaのブログ

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遊びに来てくださって ありがとうございます!







🟠お知らせ

昨日の『新春特別企画』に予想を上回るご応募を頂きました為、申し訳ありませんが、急きょお申込みを締め切らせていただきました。

お申込みのご当選の方々には、5日までの間にはご連絡を差し上げます。

この企画、大変ご好評のようですので、いつかまた同じような機会を設けさせて頂きますね。

たくさんのご応募を頂き、ありがとうございました❣️


🟣この記事にまた大笑いして下さい!


🔵ばぁばも大ウケ🤣孫ちん初めての炭酸ジュース❣️




🟢私が今、最も楽しみにしている番組

それは、9日から始まるNHKの大河ドラマ!

『鎌倉殿の13人』!!

なんたってこの方が脚本を手掛けているのですから、面白くないわけはない!


●三谷幸喜が贈る予測不能エンターテインメント!

平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。



だが流罪人・源頼朝と姉・北条政子の結婚をきっかけに、運命の歯車は回り始める。 



1180年、頼朝は関東武士団を結集し平家に反旗を翻した。

北条一門はこの無謀な大博打ばくちに乗った。

頼朝第一の側近となった義時は決死の政治工作を行い、遂には平家一門を打ち破る。 

幕府を開き将軍となった頼朝。

だがその絶頂のとき、彼は謎の死を遂げた。

偉大な父を超えようともがき苦しむ二代将軍・頼家。

“飾り”に徹して命をつなごうとする三代将軍・実朝。

将軍の首は義時と御家人たちの間のパワーゲームの中ですげ替えられていく。
 
義時は、二人の将軍の叔父として懸命に幕府の舵かじを取る。

源氏の正統が途絶えたとき、北条氏は幕府の頂点にいた。

都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。

武家政権の命運を賭け、義時は最後の決戦に挑んだ──。


タイトルも含めて“今までの大河とはちょっと違う”的なものにしたいと思い、試行錯誤を重ねて、最終的に「鎌倉殿の13人」というタイトルに決まりました。

「鎌倉殿」が頼朝のこと。

「13人」は、頼朝の死後、合議制で政治を動かした家臣の人数を示しています。

その13人も権力争いでどんどん脱落していき、最高権力者となったのが「北条義時」。

頼朝が生きているときからパワーゲームが半端じゃなく、誰が裏切るのか全くわからないので、毎回本当に手に汗握りながらワクワクして見ていただけると思います。

この時代は本当におもしろい。

おもしろいドラマ、おもしろい物語の要素が全部詰め込まれている時代です。

僕の頭では想像もつかないようなドラマが、この鎌倉時代に実際に展開していて、それを大河ドラマとして手がけられるのは、本当に脚本家冥利に尽きると思っております。




⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

ホントにワクワクドキドキ💓早く観たくてたまらない❣️

大河ドラマがこんなに楽しみなのは、久しぶりのことです。

私のように9日が待ち切れない方は、本日18時から、このような番組もありますよ!


第一線の研究者が一堂に会し、激論を繰り広げる歴史サミット。

謎に満ちた鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の死の真相に迫る。

大河ドラマ時代考証担当も参戦!

鎌倉殿が丸わかり。

通説では「落馬」で急死したとされる源頼朝。

しかし幕府の正史「吾妻鏡」では、なぜか頼朝の死の前後の記録がすっぽりと抜け落ちている。

しかもその後、2代頼家、3代実朝も相次いでこの世を去り、頼朝の血は途絶えてしまう。

病死か事故か、恨みか、暗殺か…。

暗躍したのは誰だ?

頼朝の死のミステリーをひもといていくと日本史上の大きなターニングポイントとなった鎌倉幕府の真実が見えてくる。

<転載終わり>

頼朝さんは、どうやら暗殺されたのではないかと言われています。

それも、義父・北条時政に。。😱

『鎌倉殿歴史サミット』や『鎌倉殿の13人』では、どのような検証がされているのかも楽しみです。

そして、実は頼朝さんには頼家・実朝の他にもう一人息子がいたのです。


貞暁(ていぎょう)は、源頼朝の三男で第4子(庶子)。

母は伊達氏の祖と言われる常陸入道念西の娘・大進局。

異母兄・頼家の4歳年下、異母弟・実朝より6歳年長になる。

母・大進局は大倉御所に出仕する侍女であったが、頼朝の寵愛を受け懐妊する。

しかし頼朝の正室・北条政子がこれに氣づいたため、その怒りを畏れた頼朝によって遠ざけられ、家臣の長門景遠の宅にて男児を出産する。

政子の嫉妬を恐れて出産の儀式は省略され、景遠は母子を匿った事を知った政子の勘氣を蒙り、子を連れて逃げ深沢の辺りに隠居した。

その後も政子を恐れて乳母のなり手がないなど、人目を憚るようにして育てられる。

異母弟の実朝が生まれる3ヶ月前の建久3年(1192年)5月19日、7歳の時に仁和寺の法眼隆暁(一条能保の養子)に弟子入りして出家するため上洛する。

頼朝は出発の夜、密かに息子の元を訪れ、太刀を与えている。

同年6月16日、頼朝の義弟一条能保に付き添われて仁和寺の勝宝院に入室した。

法名を能寛と名乗り、更に修行を重ねた後、法名を貞暁と改め、高野山に登ってより一層俗界から遠ざかった。

これ以降、源氏一族が権力闘争の中で次々に命を落とす中で、世間と隔絶した中で一人修行に励み、人々の尊崇を集めた。

建保7年(1219年)に異母弟源実朝を暗殺した甥の公暁は、貞暁の受法の弟子であった。

その晩年には遂に政子も貞暁に帰依し、彼に源氏一族の菩提を弔わせるべく援助・出資を行なった。

これを受けて貞暁は、高野山の経智坊に丈六堂という阿弥陀堂を建立、この中に安置した阿弥陀如来座像の胎内に父・頼朝の遺髪を納めて供養したほか、異母弟である3代将軍実朝に対しても五輪塔を設営して追善を行なっている。

一説によると、実朝の死後その野心を政子に疑われ、4代将軍就任を打診されたが、片眼をえぐり出してこれを拒否したと伝えられる。

政子は貞暁の潔さに落涙し、二度と彼を疑うことがなかったという。

寛喜3年(1231年)、高野山にて46歳で死去(自害したという説もある)。

これにより、頼朝の男系男子の子孫は断絶した。

<抜粋終わり>

私は、この史実を知り驚愕しました。

嫉妬深く、夫の浮氣を絶対認めなくて『日本三大悪女』のひとりと言われている北条政子の心もとかした貞暁さんの清らかさに。。

そして、私は今、数年間放置していた一冊の本をようやく読み始め、半分くらいの所まできました。


これまで老眼で、本を読むのが苦痛だったのですが、3焦点の「眼内レンズ」を入れた為、すいすい読めるようになりました!!

読み始めたら、これがなかなか面白いのです。

もっと早く読めば良かったと思えるほど。

でも、今が読むタイミングだったのでしょうね。

新年になった途端に「伊豆山神社」もTVに映りました。


頼朝と政子の想い出の場所です。

今年は、鎌倉殿から目が離せません💓