紀元前からあったとされる「パレンケ遺跡」が最も栄えたのは7世紀で、パカル王とその息子の時代が最も繁栄を極めていました。
ところがその後、9世紀頃から徐々にこの地より人が去り始めたようです。
この「宮殿」は、王族の住居であり、マヤ建築としては珍しい4階建ての塔を中央に備えたパレンケの中心的な存在です。
ここでは、水洗トイレやスチームバスの設備跡も発見されており、当時の人々が高度な知識をもっていたと推測されています。
また、他のマヤ遺跡同様、パレンケでは天体観測技術も発展しており、冬至の日に天体観測所から見て太陽が「碑文の神殿」に沈む仕掛けになっているそうです。
「宮殿」の内部には、パカル王が即位した際のレリーフ⬇︎があります。(現在は細かい網で覆われている)
そこには、母サク・クックが息子パカルにドラム型の王冠を手渡す様子が描かれています。
パカル王が即位する以前、パレンケはカラクムルからの度重なる攻撃を受け、弱体化していたそうです。
そのような困難な時代にパカル王は12歳で即位したのだそうです。
パカル王⬇︎
母の指導のおかげか、パカル王はパレンケを立て直し、多くの建造物を建てたのでした。
パカル王は、カラクムルとの抗争に敗れたティカル王の亡命をも受け入れているそうです。
パカル王は603年に生まれ、683年に亡くなっています。
「宮殿」と「碑文の神殿」の間の道をゆくと、お土産物屋さんが開店準備をしていました。
パカル王が80歳で亡くなった後、王となったのはパカル王の息子であるキニチ・カン・バラム2世でした。
「宮殿」の東南側に位置する「十字グループの神殿群」は、息子のキニチ・カン・バラム2世が建てたものでした。
レリーフの分かりやすい画像お借りしてます⬇︎
「太陽の神殿」は、地下世界と、キニチ・アハウと呼ばれる太陽神を祀っています。
地下世界の太陽はジャガーとされていて、この神殿が象徴するのはレリーフの中央に槍と楯があることから「戦争」だそうです。
だけどマヤ文字って、なんか可愛い。
「葉十字の神殿」は、いまだに修復されておらず、ピラミッド部分は土に覆われているんだそう。
中央の捧げ物の台からマヤの世界樹が伸びて、左右に二人の人物が立ち、 その外側に碑文が刻まれています。
世界樹の十字の先から葉が伸びているため、「葉の十字の神殿」と呼ばれるようになりました。
その葉っぱの部分のアップ⬇︎
「葉十字の神殿」のテーマは、食べ物のようで、顔のあるトウモロコシの神が描かれているのです。
なんかユニーク。
いつも疑問に思うのだけど、鼻から出てる「鼻ちょうちん」みたいなのは何?
パカル王の石棺のレリーフにもあるんだけど。。
ちなみに、マヤ神話では「人間はトウモロコシからつくられた」とされているんだそうです。
ピラミッドの頂上からの眺め⬇︎
パカル王が80歳と長命だったため、息子のキニチ・カン・バラム2世は即位した時、既に48歳になっていました。
彼の治世は18年間と決して長いものではなかったのですが、「十字グループの神殿群」の他、たくさんの建造物を建てています。
パカル王墓が埋まっていた「碑銘の神殿」を完成させたのも彼だと考えられています。
次に「十字の神殿」にも登ってみることにしました。