空海が若い頃修行した場所を訪ねて | misaのブログ

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遊びに来てくださって ありがとうございます!

「修善寺プチ旅報告」も今日でラストです。

2日目に訪れたのは、修禅寺奥の院・正覚院。



奥の院は、791年に18歳の空海が修行をしていたところなんだそうです。

ここは、修禅寺から約5キロとかなり離れていて、車がないとなかなか行く人もいないので、意外と穴場なパワースポットになっています。

中伊豆に住んでいて、しょっちゅう修善寺を通っていた私でも、テレビで見るまで、実は奥の院の存在を知らなかったのです。

千手観音の石碑⬇︎

頭に5匹の蛇を乗せた石像⬇︎


石段を上って行った先には、馳籠の窟(かりこめのいわや)という岩洞があり、その岩壁には阿吽の滝と呼ばれる小さな滝が流れています。

中央に18歳の空海の像⬇︎

そこだけ別世界のような静寂がありました。

滝の右横には、火山によってできた板状節理の岩が連なっており、迫力の景色を作っています。


その下には、実に味のあるお顔の石仏たちがいました。


その石仏たちの後ろに、降魔壇(こうまだん)と書かれた修行石があります。


なんでも、天魔地妖(てんまちよう)がこの岩屋に封印されているとの事。

空海は修行の場として、この修善寺の地を選んだのですが、天魔地妖が多くいて修行の妨げとなり、里人も煩わされていたので、天空に向かって大般若の魔事品(まじほん)を書いたところ、金色の経文が空中に現れ、魔衆は窟に閉じ込められ、その後仏法が広まり国土が治ったんだそうです。


空海は18歳でも、すごいパワーがあったのですね。


また、修禅寺夜話によると、伊豆の国のあたりには、天魔地妖がたくさんいた模様です⬇︎

「伊豆の国の魔の谷には、天魔地妖が跳梁して、人々の悩みは一通りではない。この儘にしておけば、世は悪魔に踏みにじられてしまう。」

これを耳にした三蔵法師は、「これは聞き捨てならぬ事である。よし、真言秘密の秘法を以て、一切の悪魔を降伏して、衆生の災患を除いてしまおう」と、錫を飛ばしておいでになり、庵を結んで、護摩を焚いて一切の悪魔を降伏なさいました。

この時焚いた護摩を修禅寺護摩といって、日本で護摩を焚いた初めだそうでございます。。



修禅寺が護摩焚きの始まりとは、あまり知られていないと思います。


空海が修行した場所だけあって、かなりのパワースポットでした。

そして、この地からどんどん世の中が平和になっていったのを感じます。

そこから、私たちはいきなり天城へ飛ぶのでした。

伊豆の踊子の像⬇︎

浄蓮の滝へ、皆んなをお連れしました。


下の方に白い滝が見えます⬇︎

1万7000年前に火山が噴火した際に出来、玄武岩溶岩流を流れ落ちている滝だそうです。


滝の落差は25m、幅は7mで、岩盤は柱状節理になっています。

滝の名前の由来は、かつて滝の付近に「浄蓮寺」というお寺があったからだそうです。


天城と言えば、この曲よね。



わさび田です。

伊豆あたりでは、生わさびをすりおろし、ご飯にのせてかつお節と海苔と醤油をかけて食べます。


帰り際、美味しいパン屋さんがあるとの事で行ってみました。

そしたら、以前に来たことがある東府やベーカリーでした。



テレビで何回か紹介されたらしく、パン屋さんはものすごい混みようでした。


足湯にも行列が!

温かいパンを頬張りながら、今度は沼津にある巨木に向かいます。

岡宮浅間神社


ここに、樹齢千数百年と推定される大楠の巨木があるのです。

じゃ〜ん!!


スマホの画面に入りきらないほど大きいので、パノラマで撮影しました。

その手があったのね、と皆んなに感心されました。

この巨木は、目通り約8m、根まわり約14.1m、高さは約21mあるそうで、クスの木は樟脳(しょうのう・防虫剤)の取れる木として知られています。

ケイ素がいっぱいの木ですね。


クスの木は本州の関東以西、四国、九州、台湾、中国に分布する常緑樹ですが、岡宮浅間神社のクスの木は近辺には珍しいほどの巨木だそうです。

昭和44年に県の天然記念物指定され、さらに「ぬまづの宝100選」にも選ばれているそうです。



力強さを見せる木に、元氣をもらえました。

長野県や東京の仲間たちに、地元の素晴らしさを沢山見て頂けて良かったです。

皆さまも、是非伊豆の玄関口に遊びに来て下さいね!

これにて、修善寺プチ旅報告は終了です。

お付き合い下さりありがとうございました!