「アブ・シンベル小神殿」はハトホル女神に捧げられた神殿で、ラメセス2世がネフェルタリ王妃のために造った神殿であります。
大神殿から100mほど歩くとすぐ見えて来ます。
左右のネフェルタリ王妃の像を挟むようにしてラメセス2世が立っています。
「ネフェルタリ」という名前は、「最も美しい女性」という意味で、ラメセス2世の7人いた王妃の中で、最もファラオの寵愛を受けたとされています。
古代エジプトでは、王妃はファラオの足元に小さく刻まれるのが普通だったので、ラメセス2世と同じ大きさで刻まれているのは、とても珍しいことなのです。
王妃の為に神殿が捧げられたのは、古代エジプト史上初めてのことだったそうで、ネフェルタリはとにかくラメセス2世にとって別格の存在だったようです。
しかし、吉村教授はラメセス2世は愛妻家ではなく、恐妻家だったのではないかと推測しています。
もしも、彼が愛妻家ならば、自分と同じ墓に入れる、と。
しかし、ラメセス2世は、自分の墓とは別に王妃の谷にネフェルタリの為のお墓を建造しています。
あの世では、別々が良かったのかな?
けれども、ネフェルタリ王妃の墓は、王家の墓の中でもとても保存状態が良く、息を飲むほど美しいようです。
今回は、ネフェルタリのお墓は行けませんでしたが、いつか訪れたいものです。
それにしても、ラメセス2世には100人以上の子供がいるというのに驚きました。
当時、平均寿命が35〜40歳だった古代エジプト時代に、90歳という長寿を全うし、子孫も多勢残せて、ラメセス2世はさぞかし人生を謳歌したのでしょうね。
その中で、こんなにも愛されたネフェルタリも、とても幸せだったのではないでしょうか。
こちらも1月の段階では、内部は撮影禁止でした。
アスワン・ハイ・ダム建設による水没を免れるため、1枚岩を分割して移設した跡が、良く見えました。
再び、大神殿の方に移動したら、観光客がほとんどいなくなっていたので、様々なポーズでの写真撮影が行われました。
ここは、夜に「音と光のショー」が演出されているそうです。
次回に来れたら、観てみたいです。
砂漠での緑は新鮮です。
クルーザーの部屋に戻ったら、今度はゾウだった。。
ゾウには会っていないけど。。なぜゾウ??
夕食では、再びお誕生日会が開かれました。
クルーザーに泊まる最後の夜です。
もっと泊まっていたかった〜〜!
翌朝早くに「イシス神殿」が待っています。
続く。。