テルエルアマルナの次に向かったのは、トト神の神殿でした。
この神殿は、中に入るための申請が非常に厳しく大変なんだそうで、特別許可が降りたのが直前のアマルナにいた時でした。
なので、ネットで探してもほとんど情報が出て来ません。
私たちは、どんだけマニアックなツアーに参加してるのでしょう(汗)
ここからは、お話も少しマニアックになります。。
●トト神について
トト(トート)は、古代エジプト神話で『知恵・学問の神』とされている神で、ヘルモポリスという都市で熱心に信仰されていたようです。
ヘルモポリスという都市名は上エジプトにも下エジプトにもどちらにもある事から、トト神の外見が二つに分かれた模様です。
◆ 上エジプト発祥がヒヒ(バブーン)の姿⬇︎
(ヘルモポリス・アシュムネインの野外博物館にて撮影)
◆ 下エジプト発祥がトキの姿⬇︎
下エジプトと上エジプトの知恵の神が融合し、一柱の神として信仰されていったようです。
ヘルモポリス神話において世界は、8柱神(オグドアド)によって作り出されたとされています。
(8柱の神々は、四つの男女の一対で構成されています)
この神々が眠りにつき世界が終焉を迎えた時、また新しい世界を生み出すために目覚めさせなければならないという、その役目を請け負ったのがトトだとされています。
トトは「月の神」でもあるのです。
ヌトがオシリスたちを生む前にラーが「その子供たちは災いを生む」と言って子供を産むことを禁じました。
困ったヌトは、トトに相談を持ちかけ、トトは月と賭けをして勝ち、時の支配権を手に入れました。
そこで太陽神の管理できない閏日5日間を作ったと言います。
これは、古代エジプト文明に「太陰暦」と「太陽暦」の2種類の暦を計算出来る天文学があったことを意味します。
そしてヌトは、この間にオシリス・セト・ホルス・イシス・ネフティスの5柱を生んだのです。
そしてトトは、太陽の沈んだあとの夜の時間、地上を守護する事になります。
トトは太陽神ラーの欠かすことのできないブレーン・参謀という意味で「ラーの心臓」とも言われています。
また、トトは「数学・天文学・医学・暦法・言語」にも精通しており、また「全42巻の魔術書(トートの書)」を書き残したとされています。
トトはイシスに死者を蘇らせる復活の呪文・魔術を教えたり「巨大なピラミッドの建設方法」を指導したとも、古代エジプトの「ヒエログリフ」を発明したとも言われています。
またトトは、全ての人の名前や行動を生前の内から記録しており、アヌビスが死者の心臓を計りにかけ、トトは、死者の名前を記録する作業を行いました。
王が即位した時には、その王の名前をイシェドと呼ばれる永遠に朽ちない葉に書き記していたそうです。
<以上、トト神についてのまとめ終わり>
ピラミッドの建設方法やらヒエログリフやら、どんだけトト神って凄い神様なんでしょう。
トト神殿に行く前に、アシュムネインの神殿跡を訪れました。
こちらは、紀元前27年のエジプト地震で倒壊してしまったそうです。
(エジプトは、ほとんど地震の起こらない場所なので、ちょっと前の巨大地震って言うと、紀元前にあった地震を指すんだそうです)
そして、いよいよトゥーナ・エル・ガバルにあるトト神の神殿に入ることになりました。
ここは、サハラ砂漠の中にあり、地表に出ている建物部分はほんのわずかでした。
他の場所と違い、砂の粒が非常に細かく、歩いていてもサラサラなのが分かりました。
中に入るとそこは、カタコンベと言う地下墳墓になっていました。
内部はもちろん撮影禁止でしたが、壁に沢山穴があいている所がありました。
ネットより画像はお借りしました
この穴に、トト神であるトキやヒヒをミイラにしたものを箱に入れて埋葬していたようです。
それから、内部は迷路の様になっていて、映画「ハムナプトラ」のモデルとなった場所のようです。
そこを管理しているエジプト人が、皆んなにトト神である小さなヒヒのミイラを触らせてくれたりしました。
サハラ砂漠の岩盤の下には、まだ発掘されていない大きな街があり、あのセラピウムと繋がっているのではないかと言われているそうです。
おそるべしサハラ砂漠!
そして、次は近くにある小さな神殿に歩いて向かいました。
途中、遠足で来ていたのか、たくさんの子どもたちに囲まれました。
観光客も滅多に訪れない場所なので、、あるいは日本人が珍しかったのかも知れません。大歓声でした。
あまり私たちに近づき過ぎると大人たちに怒られていました。
ここは、紀元前350年頃のトト神の神官であったペトオシリスの神殿型の墳墓でした。
写真は1枚だけと言われて撮ったもの⬇︎
ペトオシリスさんは、こんな立派な神殿を造ったけれど、結局ここでは眠らずに、トト神殿の方に埋葬してもらったそうです。
各所で、銃を持った観光警察の方が、常に同行してくれるので、安心して旅を続けられます。
そこから、3時間の道のりをアビドスに向かってバスを走らせました。
その日の宿は「ハウス オブ ライフ ホテル」
翌日は、意味深な「アビドス神殿」です。