歴史にしかと刻まれし祖父母の名前 | misaのブログ

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遊びに来てくださって ありがとうございます!

昨日の朝、丹波布工房の大谷さんがホテルまで車でお迎えに来て下さり、「丹波の森公苑」へと向かいました。

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駐車場には、既に丸ちゃんが待っていて下さいました。

1ヶ月ぶりの再会になります。

★白鹿神社に参拝

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18日から、「丹波布に魅せられて」という、丹波布復興60周年記念のイベントが開催されているのです。

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館内は撮影禁止でしたが、全体の様子と祖母のコーナーだけ、特別に撮影を許可して頂きました。

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祖父母は、丹波布を復興させた第一人者だったのですが、「よそ者」という理由からか、丹波布の歴史から名前が消されてしまっていたのです。

「婦人画報」に載った祖母と祖母の織った丹波布⬇︎
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それを、親族でもない滝川氏がで検証もして下さり、今回新たに「年表」も作って下さったのです。

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丹波布復興60周年の年に、天国でどんなにか祖父母は喜んでいる事でしょう。

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両親も叔父たちも、高齢で記念行事に来ることは出来なかったので、私だけでも訪れる事が出来て良かったです。

祖父母ら丹波の山奥に住んでいた村の人々は、閉ざされた深い雪の中で織物を氣持ちや暮らしの支えにしていたのでしょう。

草木染めも、寒い氣候の方が発色するそうです。

丹波布は、そんな山奥の庶民から編み出され、親しまれ愛されてきた織物なんだと分かりました。

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会場で、初めて木工工芸職人でもあり、兵庫県民藝協会会長でもある笹倉徹氏とお会いする事が出来ました。

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笹倉氏は、叔父と知り合いだった為、それがキッカケとなり、滝川氏の出版などの流れにつながったのです。

不思議な巡り合わせに感謝いたします。

会場を後にしようとしたら、ひとりの女性から声がかかりました。

何と、今回MISAOさんのCDが当選されたuem**さんだったのです!

私とは、以前に龍神レイキの会場で一緒に写真を撮ったとの事で、顔を覚えていて下さったようです。

そういえば、当選の時のメッセージで、丹波布の会場に行く時間を聞かれていましたが、まさか本当に京都からいらして下さるとは。。

びっくりしました。

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なので、4人でランチしに行きました。

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uem**さんから、ステキなうさとの手提げを頂いたのですが、それがシンギングリンを入れるのにぴったりだったのです。

本当にありがとうございました。

ランチ後は、大谷さんに教えて頂いた岩瀧寺に丸ちゃんと2人で行ってみる事にしました。

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岩瀧寺は、弘仁年間に住吉明神からの霊夢を受けた嵯峨天皇が、弘法大師をこの地に遣わし、坊舎や七堂伽藍を整備したことに始まると伝わります。

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映画「源氏物語千年の謎」のクライマックスシーンの撮影に使われた山門⬇︎
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ちょうど紅葉がきれいでした。

本堂⬇︎
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弘法大師ゆかりの、四国八十八箇所の本尊佛⬇︎
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独鈷の滝⬇︎
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浅山不動尊⬇︎
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この洞窟の奥に、弘法大師が彫ったとされる本尊の不動明王があります。

役行者像⬇︎
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登りの階段が結構キツかったです。
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自然が溢れていて、静かな佇まいのいい場所でした。

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丸ちゃん、1日お付き合いをありがとうございました。

長い間、歴史から消されていた祖父母が引き寄せてくれたこの度のご縁。

60周年というひとつの区切りに、ようやく丹波布の年表にも名前が残り、ホッと安堵する祖父母の様子が目に浮かぶようです。

祖父母の無念が報われた一年となりました。

何も知らされていなかった私が、事実を知ることが出来て、本当に良かったです。

滝川さんはじめ、関係者の方々に深く御礼申し上げます。

何十年もブランクのあった丹波に、今年は3回も訪れています。

私の第二の故郷、丹波。

美しい自然と、丹波布がいつまでも大切にされて行きますように。。

ありがとうございました。