松原照子さんの「幸福への近道」より
卑弥呼の弟は本人だった?
<世見>2016.1.14
聖徳太子に卑弥呼。
この二人は未だに謎が多い。だからこそ興味をそそられる。
武田信玄と上杉謙信も川中島の戦いだけではなく生き方にも興味が湧きます。
ケネディとヒトラーは月刊ムーの読者が興味をそそる人達。
豊臣秀吉と徳川家康は人の運とはに興味が湧く。
坂本龍馬と近藤勇も2才~3才の年の差と35才までの人生に興味が踊る。
織田信長と明智光秀に至っては人との出逢いには吉凶ありし興味津津となる。
私は「興味」と云う言葉には凄い力があると思っています。興味を覚えるから知りたくなり学びも出来る。
私ネ。一番興味のあることが“歴史”。
真実かのように伝えられているけれど現在のように記録の量が多いわけでもないのにどれだけのことが真実なのかわからない。
だからと言って私が不思議な世界の方に教えていただくお話が真実とは言えません。
ただネ。ニューヨークでの出来事が起きると不思議な世界の方のお話を信じてしまいます。
3世紀の終わり頃の書「魏志倭人伝」
卑弥呼は女王であり、邪馬台国の女王であると記されてもいますが謎だらけに思えるのです。
あの頃、日本人を倭人と云っていました。
卑弥呼は巫女であって女王ではなかったのではと心の底でこのようなことも思ってしまいます。
あの時代は巫術が中国に広がっていました。
卑弥呼とは才長けたる巫術を手にした巫女で、卑弥呼の魂が動かしていた気がする。
それと、一人二役を演じていた気もしています。
卑弥呼の弟は本人だった?
<転載終わり>
照子さんは以前の世見で、
『卑弥呼が女王になった時、50才をもうすぐ迎える齢であったようだが、もしかすると弟と双子だったのではと私は書きながら思ってしまいました。
以前、卑弥呼は「ふたなり」つまり男と女の両方を持つ人だったと教えられた記憶がある。
それと顔にはあばたがあったのではとも思っているのです。
では何故、卑弥呼が時の人になったのか?
それは星を見るだけで天候を読みとれ、人の心の内もよく見ることができたからのようなのですが、この卑弥呼は人と会うことを極力避けていました。』
と書いています。
「魏志倭人伝」の記述には、「卑弥呼は弟しか近づけず、自室に引きこもり食事も一人寂しくすまし、外に出ることを嫌い、政治は弟を通して仕切っていた」とあるそうです。
卑弥呼は1000人の侍女を従えていましたが、あばたのせいでしょうか、人前に顔を出すことは一切なく、宮殿の奥に引きこもっていたようです。
そんな彼女の元にただひとり出入りしていたのは卑弥呼の弟であり、食事の受け渡しやお告げを伝達していたそうですが、照子さんによるとそれも本人だったという訳です。
ひとり二役を演じていたと言うのです。
謎ですね。
さて、17日のコラボ講演会がいよいよ近づいて参りましたが、今回、中山さんも今までほとんど話した事のない臨死体験中の話をされるとの事です。
残席はあと40席だそうで、事前申込は本日14日までとなっておりますので、迷っていらっしゃる方はお急ぎ下さいね。
当日申込みだと1000円アップしてしまいますので。
ken2さんのブログ
高木義之・中山康直コラボ講演会~臨死体験者が語る『宇宙とこれからの地球』」
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http://utyuujuku.wix.com/manakarearity
早く皆さんとお会いしたいですね。
ken2さんが、私用に名札を作って下さったようです(汗)
つけた方がいい?ちょっと恥ずかしい感じ。。