私が新潟にある宝徳大社の事を知ったのは、「希望の命水」でおなじみのJESの本井社長さんのブログからでした。
毎年11月2日に、「火の鳥」が舞うお祭りがあると。。
え、マジか。
さっそく興味を持った私は、社長さんのブログを読んでみました。
JES社長のブログより抜粋↓
宝徳大社とは
毎年11月2日(文化の日)の深夜、奥の宮の天空に忽然と鳳凰(火の鳥)が出現し、乱舞する幻想的な姿が見れる唯一の神社である。
宝徳山稲荷大社のHP
私は7歳の頃に不思議な力で導かれ、その時から、毎年何十回も見ているのでそれほど驚かないのだが、初めて見る人は皆ビックリする。
独立した頃、森ビルのお孫さんと知り合い、飲みに行った時、たまたまその「火の鳥」の話をした。
彼は神仏や霊界など全く信じてはいなかった。
「本井ちゃん、また騙されてるの?そんな事あるわけないじゃん。」
『いや本当なんですよ。いきなり天空に現れて、真紅に淡く輝きながら蝋燭畑の中に入っていき、祈願が終わるとまた天空に帰って行くんですよ。』
「実際の目で見えるの?」
『はい、でも小さな子供ほどよく見えるみたいなんです。きっと素直だからでしょうね。』
「大きさは?」
『そうですね、雀のような形のキラキラしたものから、鷲のように大きなものまで様々ですが、連帯で飛んでくるものもあります。』
「実際の鳥じゃないの?たとえば蝋燭畑の炎が反射して、光って見えるとか?」
『いえ、そんな事はありません。山の頂上ですから、実際の鳥が飛ぶこともありますが、明らかに光ってませんし、火の鳥とは全く違います。』
「じゃ、特殊映写機を空間で映し出す装置かなんかで、神社が広告のために映し出してるとか…」
『それもあり得ません。僕が7歳の頃にはそんな機械は発明されてませんでしたし、その神社は広告すら出していません。』
「でも途中で消えるんでしょ?」
『ほとんどはそうです。でも不思議なんですが、空間にトンネルがあって、そこに吸い込まれるように消えるんです。
中には、ずっと先まで飛んでいく姿が見えることもありますよ。』
「う~ん、本当かな?まだ僕には信じられない…」
『じゃ、今度一緒に行きますか?』
…という事になり、実家で一泊する予定で宝徳大社に行く事になった。
数十万本という祈願を書いたローソクが赤々と燃え、まるで山は火の海のように見える。
その神秘的で荘厳な雰囲気は、誰もが圧倒される。
途中に神木があった。
その神木に触ると、何らかの良くない事が起きると言う。
意地悪で森さんに言ってみた。
『森さん、こういうのも信じてないんでしょ?だったら触ってみます?』
森さんは一瞬私を睨み、ゴクンと唾を飲み、「いや…今日はよしとく…」と(笑)。
11月の深夜なので、凍てつくような寒さの中、「火の鳥」の噂を知っている信者さんたちが、じっと天空を眺めている。
神官たちの祝詞が始まった頃だろうか、10時過ぎ、いきなり火の鳥が現れた!
「うおぉぉぉ~!!!」
一斉に歓声が上がる。
その時に一番大きな声で驚いていたのが、当の森さんだった(笑)。
その後もあちこちの方面から何羽も飛んできた。
神社では「金鳥」と呼び、日本の神々が宝徳大社に集まるための、神々の道案内なのだそう。
「鳥居」とは、鳥が居ます…つまり、道案内の役割なのだ。
エジプトの神「Eduf(エドフ)」も鳥…
今度はしばらく30分経っても現れず、空を見上げている人の数も大分少なくなったので、『もう帰りましょうよ…』と私が何度も言っても、「いや、もう少し…」と言ってなかなか帰ろうとしない。
とうとう翌日の1時になり、やっと諦めて帰ろうとした途端、後ろでひときわ興奮した数人の歓声が上がった。
7羽の火の鳥がVの字で連帯を組み、南西の空に羽ばたいて消えていった。
伊勢神宮、または出雲大社の方面だろうか?
神社の言い伝えでは、日本の神々が11月2日、一斉に宝徳大社に集まり、来年の日本について計画を練った後、出雲大社に向かう…とある。
ずっと真紅に輝いたままだった。あまりの神々しさで圧倒された。。
実家への帰りの車中、森さんは終始無言だった。
「あの世なんてあるもんか!」と、人目もはばかりなく言っていた彼にとって、この現実はよほどのショックだったに違いない。
そしてその後、森さんの言動が変わった。
ある講演会では…「皆さん、あの世は間違いなく存在します。神仏はいるんです!」…と(笑)。
さて今回、朝一番で伺ったお陰か、神社で宮司先生と会談する機会があった。
そこで衝撃的な話を聞いた。。
今まで、「火の鳥の存在を公に話してはいけない…」と、口止めされていたが、私ならそろそろ話しても良い…との承諾をもらった。
既に一部では話していたが(笑)。
日本民族とはいったいどこから来たのか、その由来も伺った。
宝徳大社の御祭神は、『天照白菊宝徳稲荷大神』
「稲荷」とは、イエスが天の父と仰いでいた「INRI」なのか?
しかも、私のインスピレーションが一致していた事があった。
天照大神を祭る神社で有名どころは、『伊勢神宮』であるが、それは表で、実は『裏』に真実が隠されていると私は何度も言ってきた。
宝徳大社はやはり、その『裏』に当たっていたのだ!
しかも、日本の中で一番古い神社だったのだ!!!
全身が身震いした。
死海文書に記述があったとされる次の文章が真実味を帯びる。
国越えて後(越後?)
黄金に輝く稲穂の国を
お前たち神の民に与えよう…
それ以外でも、なぜこの越後の地に、強大で巨大な大神殿である宝徳大社が立てられたのか…
あまりの規模の大きさで、最初に訪れた人が皆驚く。
勿論、信者の寄付で建てられた訳ではない。
(昔、私が11歳の時に父が死に、一家離散の危機に瀕した時に、反対にお金まで頂戴したくらい)
その真意を聞いて、驚愕した。。
やはり、日本民族覚醒の時が来たのかも知れない。
<抜粋終わり>
天照大神を祀る「裏伊勢神宮」で、日本で一番古い神社なのに、あまり世の中に知られていない事に驚きました。
まぁ、これまで隠されていたのでしょうね。
「稲荷」は、エジプトや古代イスラエル、イエスとの関連がありそうです。
次に、社長さんがキムタクのお母様と宝徳大社に行った時のブログです。
2014年12月の記事より抜粋
爆弾低気圧に新潟へ
あの『爆弾低気圧』のさなかに、新潟の宝徳大社に行ってきた。
キムタクママ(木村悠方子/まさこ)さん、そして神戸の駒川耕司先生をお連れして、僕の車で一緒に向かった。
行きの一昨日(12/17)は比較的スムーズで、雪は多かったが、思ったよりも早く着いた。
「これなら、12:30までに到着すれば、なんとか今日は、宮司先生にお会いできそうだ…」
その日におられることは、事前の電話で情報を得ていた。
そして丁度12:30に到着、宝徳大社は凄まじい猛吹雪で荒れていた。
当然ながら、全くと言っていいほど参拝客はいなかった。
雪をかき分け、容赦なく頬を打ち付ける横殴りの雪と戦いながら、後ろから歩いてくる二人を残し、 小走りで本宮に私だけ向かう。
本宮に入ると、奥の部屋に宮司先生のお姿が見えた。
いつも相談客が後を絶たないのに、さすがこの日だけは誰もいない。
「チャンス!二人に引き合わせる事ができる!」
これ幸いとばかり、先生の部屋にツカツカと乗り込む。
『お参りが先!』宮司先生の声が響いた。
…先代から、もう何度注意されただろうか(笑)、宝徳大社ではまず最初に祭壇の左右にローソクを上げ、それから中央後部で挨拶のお参りをする。
神に挨拶しないで通り過ぎる事は許されない…という事だろう。
東京都中野区の本井秀定です。
天照白菊宝徳様、、いつも私たちをお守り頂きありがとうございます。
どうか、宝徳様のお力が存分に発揮できる世の中になりますように。
そして、宝徳様の望まれる、幸せで平和な世の中になりますように。
そしてこの日本が、宝徳様と共に繁栄する国となりますように。。。
そして先生は私たちに、 1時間くらいいろんな話をされてくれた。
余程のことがなければ、これだけ時間は占領できない。
今日は一つだけお話ししよう。
「これだけの規模の神社は、今まで僕は見たことがありませんが、どうやって…」
下世話な質問なのに、気持ち良く答えてくれた。
『先代(宮司のお父さん)はな、ここに本宮を建てるのに神と約束した。
宗教で飯を食わないと。
これらは全部、自力で建設したんだよ。』
「えっ!?巷のお賽銭や寄付金とかではないのですか?」
『ばか!…神は仰った。神を利用して、お賽銭を当てにするのではなく、社会の中で自力で稼いで、そのお金で建設しなさい、それが真の神道…神の道です、とな』
「ど、ど、どうやって…」
火の鳥が飛ぶ神社と、祈願のほとんどが成就する神社だと言うくらいで、実は宝徳大社の実態をあまり知らない。。
先代では恐くて聞けなかったからである(笑)。
『先代は貧乏のどん底の中、苦学で大学を出て、無一文から様々な事業を行った。
東京では数千か所の借家のオーナーでもあった。』
「HONDAの原付バイクや車を買い取って、危機を救ったと言う話や大株主だったともありますね?
本田宗一郎さんの本や何かにも書いてあったと思います。」
『そんなのは大したことではないが、
GHQ、田●角●、小●野●治、堤●二…(略)』
海外を含め、日本の政財界の大物との親交があったようだ。
「やはりそれは、神の力で全て事業を成功させたのですか?」
『勿論、神の後ろ盾無しでは人間は何もできないし、成功などあり得ない。
だがな、やるのは本人なんだよ。』
「やはり、神からの啓示だとか…」
『それもあっただろうな、でも何度も言うように、やるのは自分自身の精進や行動力だ。
何もしないで神任せでは何事も成就しない。』
「失敗したことは?」
『そりゃあるさ。金融業だけは大失敗した。』
「えっ?それはなぜ?」
『だってお前、お金に困ってるからお金を貸すのが金融の仕事だろ?
先代は困っている人に保証も取らず貸しまくり、そのお金を返してもらわなかったから失敗しただけの事だ。』
一同笑いながらうなずく。
先代は厳しく恐い方だったが、誰彼とはなく分け隔てをせず、こんな私でも、とても優しく接してくれた。
<抜粋終わり>
宝徳大社では、火の鳥見たさに、みんな深夜まで外にいるので、そのまま神社の大ホールに布団を敷いて寝るのです。(宿泊費は無料・要予約)
おまけに、夕食も朝食も無料で頂けるのです!バイキングで好きなだけ。
宿泊するには、ご祈祷料5千円を奉納させて頂きますが、引換券にて翌朝、自分の名前入りの大きな木のお札とお供物を頂戴することが出来ます。
一升瓶のお神酒は、とても重たいのですが、日月様にお供えする為、頑張って頂いて帰りました!
これとは別に、夜、ロウソクの点火時間近くになると、農作物のお供物が無料で配られるので、皆さん行列に並んでいらっしゃいました。
私たちは荷物が重くなるので、いただきませんでしたが。
だけどこんな神社、見た事ありません。
2015年4月の記事より抜粋
火の鳥が見れる絶好ポイント
宝徳様で開催される「神幸祭」は、何十万本も上がるローソク畑の上にいきなり火の鳥が突然現れ、そして乱舞する光景を、この目で見れる世界でも唯一の神社だ。
去年も、あの暴風雨に出掛けて、0時過ぎまで粘って、実際に見られた会員さんは50人を下らない。
この世では決して見ることのできない、あの世の現象を実際にこの目で見えたものだから、どなたもが、その驚きと感動は尋常ではなかった。
ちなみに私は、導かれた7歳頃から見ているので、そんなに驚かない。
心の素直な子どもほど、特に良く見えるらしい(笑)。
朱色の鳥が金色に輝いて見える。
見える絶好ポイントは、奥の宮のトイレの脇の芝生だ。
そこから奥宮本殿の屋根越しに、ローソク畑上空を見る。
蝶々ほどのサイズで輝く大きさから数メートルもある巨大な火の鳥も見たこともある。(目が合った!)
朱色に輝く羽がキラキラ落ちてきたこともあり、それが目の前に降りて来て、とっさに掴もうとしたら、いきなりフッと消えたことが印象的だった。
<抜粋終わり>
宿泊所を兼ねている大ホールでは、色んな方の歌謡・演芸会が催されていました。
今年の一番のメインゲストは由紀さおりさんでした。
しかも!ノーギャラだったみたいです。
宝徳大社は不思議な神社
田中角栄さんを総理大臣にし、本田技研の本田宗一郎さんが著書で先代の宮司さんを大先生と呼び、西武の堤さんも信仰していたと言う。
さらには由紀さおりさんが、以前にお世話になった御礼にノーギャラでコンサートをする神社。
ホントなら由紀さおりクラスになるとコンサートのギャラは1,000万円もするらしい!
敷地面積は靖国神社の数倍、毎年、火の鳥が現れ、手塚治虫さんのマンガ「火の鳥」のモデルになったとも言われている、それほど凄い神社なのに地元の新潟県の人も殆ど知らないと言う!
最も素晴らしいのは、その御利益の凄さ!
<抜粋終わり>
これほどの神社が、これまで公になって来なかったとは、逆にすごい話です。
さすがに時折、打ち上げ花火も上がっていましたので、地元の方も「あれは何?何処のお祭り?」と気づいているはずですが。
そう、それで肝心の火の鳥なんですが。。。
今年は、あまり飛ばなかったのです。
三度ほど、わぁ~と言う声が上がりましたが、誰の目にも見えるような大きなものではなかったようです。
雨の中、深夜1時まで頑張ったのですが、私は見ることが出来ませんでした。
でんでんさんは、火の鳥と言うよりクリオネ?みたいな細いのが飛んだのを見たそうです。
でも、その瞬間、私は上を向いたまま寝てたのでした(汗)あちゃー(笑)
私の心が純粋でないので見れなかったのか、それとも来年の景気があまり良くないのか、今年の火の鳥は残念な結果でした。
う~ん、次こそ大きく舞う火の鳥を見てみたいです!
だけど、火の鳥は見れなかったけど、すごく良い事があったのですよ。
そのお話は、次回にさせて頂きますね。
お祭りの日以外にも、宝徳大社には行けますので、ご興味のある方は是非訪れてみて下さい。
至る所の「菊の御紋」に圧倒されます。
さっそく興味を持った私は、社長さんのブログを読んでみました。
JES社長のブログより抜粋↓
宝徳大社とは
毎年11月2日(文化の日)の深夜、奥の宮の天空に忽然と鳳凰(火の鳥)が出現し、乱舞する幻想的な姿が見れる唯一の神社である。
宝徳山稲荷大社のHP
私は7歳の頃に不思議な力で導かれ、その時から、毎年何十回も見ているのでそれほど驚かないのだが、初めて見る人は皆ビックリする。
独立した頃、森ビルのお孫さんと知り合い、飲みに行った時、たまたまその「火の鳥」の話をした。
彼は神仏や霊界など全く信じてはいなかった。
「本井ちゃん、また騙されてるの?そんな事あるわけないじゃん。」
『いや本当なんですよ。いきなり天空に現れて、真紅に淡く輝きながら蝋燭畑の中に入っていき、祈願が終わるとまた天空に帰って行くんですよ。』
「実際の目で見えるの?」
『はい、でも小さな子供ほどよく見えるみたいなんです。きっと素直だからでしょうね。』
「大きさは?」
『そうですね、雀のような形のキラキラしたものから、鷲のように大きなものまで様々ですが、連帯で飛んでくるものもあります。』
「実際の鳥じゃないの?たとえば蝋燭畑の炎が反射して、光って見えるとか?」
『いえ、そんな事はありません。山の頂上ですから、実際の鳥が飛ぶこともありますが、明らかに光ってませんし、火の鳥とは全く違います。』
「じゃ、特殊映写機を空間で映し出す装置かなんかで、神社が広告のために映し出してるとか…」
『それもあり得ません。僕が7歳の頃にはそんな機械は発明されてませんでしたし、その神社は広告すら出していません。』
「でも途中で消えるんでしょ?」
『ほとんどはそうです。でも不思議なんですが、空間にトンネルがあって、そこに吸い込まれるように消えるんです。
中には、ずっと先まで飛んでいく姿が見えることもありますよ。』
「う~ん、本当かな?まだ僕には信じられない…」
『じゃ、今度一緒に行きますか?』
…という事になり、実家で一泊する予定で宝徳大社に行く事になった。
数十万本という祈願を書いたローソクが赤々と燃え、まるで山は火の海のように見える。
その神秘的で荘厳な雰囲気は、誰もが圧倒される。
途中に神木があった。
その神木に触ると、何らかの良くない事が起きると言う。
意地悪で森さんに言ってみた。
『森さん、こういうのも信じてないんでしょ?だったら触ってみます?』
森さんは一瞬私を睨み、ゴクンと唾を飲み、「いや…今日はよしとく…」と(笑)。
11月の深夜なので、凍てつくような寒さの中、「火の鳥」の噂を知っている信者さんたちが、じっと天空を眺めている。
神官たちの祝詞が始まった頃だろうか、10時過ぎ、いきなり火の鳥が現れた!
「うおぉぉぉ~!!!」
一斉に歓声が上がる。
その時に一番大きな声で驚いていたのが、当の森さんだった(笑)。
その後もあちこちの方面から何羽も飛んできた。
神社では「金鳥」と呼び、日本の神々が宝徳大社に集まるための、神々の道案内なのだそう。
「鳥居」とは、鳥が居ます…つまり、道案内の役割なのだ。
エジプトの神「Eduf(エドフ)」も鳥…
今度はしばらく30分経っても現れず、空を見上げている人の数も大分少なくなったので、『もう帰りましょうよ…』と私が何度も言っても、「いや、もう少し…」と言ってなかなか帰ろうとしない。
とうとう翌日の1時になり、やっと諦めて帰ろうとした途端、後ろでひときわ興奮した数人の歓声が上がった。
7羽の火の鳥がVの字で連帯を組み、南西の空に羽ばたいて消えていった。
伊勢神宮、または出雲大社の方面だろうか?
神社の言い伝えでは、日本の神々が11月2日、一斉に宝徳大社に集まり、来年の日本について計画を練った後、出雲大社に向かう…とある。
ずっと真紅に輝いたままだった。あまりの神々しさで圧倒された。。
実家への帰りの車中、森さんは終始無言だった。
「あの世なんてあるもんか!」と、人目もはばかりなく言っていた彼にとって、この現実はよほどのショックだったに違いない。
そしてその後、森さんの言動が変わった。
ある講演会では…「皆さん、あの世は間違いなく存在します。神仏はいるんです!」…と(笑)。
さて今回、朝一番で伺ったお陰か、神社で宮司先生と会談する機会があった。
そこで衝撃的な話を聞いた。。
今まで、「火の鳥の存在を公に話してはいけない…」と、口止めされていたが、私ならそろそろ話しても良い…との承諾をもらった。
既に一部では話していたが(笑)。
日本民族とはいったいどこから来たのか、その由来も伺った。
宝徳大社の御祭神は、『天照白菊宝徳稲荷大神』
「稲荷」とは、イエスが天の父と仰いでいた「INRI」なのか?
しかも、私のインスピレーションが一致していた事があった。
天照大神を祭る神社で有名どころは、『伊勢神宮』であるが、それは表で、実は『裏』に真実が隠されていると私は何度も言ってきた。
宝徳大社はやはり、その『裏』に当たっていたのだ!
しかも、日本の中で一番古い神社だったのだ!!!
全身が身震いした。
死海文書に記述があったとされる次の文章が真実味を帯びる。
国越えて後(越後?)
黄金に輝く稲穂の国を
お前たち神の民に与えよう…
それ以外でも、なぜこの越後の地に、強大で巨大な大神殿である宝徳大社が立てられたのか…
あまりの規模の大きさで、最初に訪れた人が皆驚く。
勿論、信者の寄付で建てられた訳ではない。
(昔、私が11歳の時に父が死に、一家離散の危機に瀕した時に、反対にお金まで頂戴したくらい)
その真意を聞いて、驚愕した。。
やはり、日本民族覚醒の時が来たのかも知れない。
<抜粋終わり>
天照大神を祀る「裏伊勢神宮」で、日本で一番古い神社なのに、あまり世の中に知られていない事に驚きました。
まぁ、これまで隠されていたのでしょうね。
「稲荷」は、エジプトや古代イスラエル、イエスとの関連がありそうです。
次に、社長さんがキムタクのお母様と宝徳大社に行った時のブログです。
2014年12月の記事より抜粋
爆弾低気圧に新潟へ
あの『爆弾低気圧』のさなかに、新潟の宝徳大社に行ってきた。
キムタクママ(木村悠方子/まさこ)さん、そして神戸の駒川耕司先生をお連れして、僕の車で一緒に向かった。
行きの一昨日(12/17)は比較的スムーズで、雪は多かったが、思ったよりも早く着いた。
「これなら、12:30までに到着すれば、なんとか今日は、宮司先生にお会いできそうだ…」
その日におられることは、事前の電話で情報を得ていた。
そして丁度12:30に到着、宝徳大社は凄まじい猛吹雪で荒れていた。
当然ながら、全くと言っていいほど参拝客はいなかった。
雪をかき分け、容赦なく頬を打ち付ける横殴りの雪と戦いながら、後ろから歩いてくる二人を残し、 小走りで本宮に私だけ向かう。
本宮に入ると、奥の部屋に宮司先生のお姿が見えた。
いつも相談客が後を絶たないのに、さすがこの日だけは誰もいない。
「チャンス!二人に引き合わせる事ができる!」
これ幸いとばかり、先生の部屋にツカツカと乗り込む。
『お参りが先!』宮司先生の声が響いた。
…先代から、もう何度注意されただろうか(笑)、宝徳大社ではまず最初に祭壇の左右にローソクを上げ、それから中央後部で挨拶のお参りをする。
神に挨拶しないで通り過ぎる事は許されない…という事だろう。
東京都中野区の本井秀定です。
天照白菊宝徳様、、いつも私たちをお守り頂きありがとうございます。
どうか、宝徳様のお力が存分に発揮できる世の中になりますように。
そして、宝徳様の望まれる、幸せで平和な世の中になりますように。
そしてこの日本が、宝徳様と共に繁栄する国となりますように。。。
そして先生は私たちに、 1時間くらいいろんな話をされてくれた。
余程のことがなければ、これだけ時間は占領できない。
今日は一つだけお話ししよう。
「これだけの規模の神社は、今まで僕は見たことがありませんが、どうやって…」
下世話な質問なのに、気持ち良く答えてくれた。
『先代(宮司のお父さん)はな、ここに本宮を建てるのに神と約束した。
宗教で飯を食わないと。
これらは全部、自力で建設したんだよ。』
「えっ!?巷のお賽銭や寄付金とかではないのですか?」
『ばか!…神は仰った。神を利用して、お賽銭を当てにするのではなく、社会の中で自力で稼いで、そのお金で建設しなさい、それが真の神道…神の道です、とな』
「ど、ど、どうやって…」
火の鳥が飛ぶ神社と、祈願のほとんどが成就する神社だと言うくらいで、実は宝徳大社の実態をあまり知らない。。
先代では恐くて聞けなかったからである(笑)。
『先代は貧乏のどん底の中、苦学で大学を出て、無一文から様々な事業を行った。
東京では数千か所の借家のオーナーでもあった。』
「HONDAの原付バイクや車を買い取って、危機を救ったと言う話や大株主だったともありますね?
本田宗一郎さんの本や何かにも書いてあったと思います。」
『そんなのは大したことではないが、
GHQ、田●角●、小●野●治、堤●二…(略)』
海外を含め、日本の政財界の大物との親交があったようだ。
「やはりそれは、神の力で全て事業を成功させたのですか?」
『勿論、神の後ろ盾無しでは人間は何もできないし、成功などあり得ない。
だがな、やるのは本人なんだよ。』
「やはり、神からの啓示だとか…」
『それもあっただろうな、でも何度も言うように、やるのは自分自身の精進や行動力だ。
何もしないで神任せでは何事も成就しない。』
「失敗したことは?」
『そりゃあるさ。金融業だけは大失敗した。』
「えっ?それはなぜ?」
『だってお前、お金に困ってるからお金を貸すのが金融の仕事だろ?
先代は困っている人に保証も取らず貸しまくり、そのお金を返してもらわなかったから失敗しただけの事だ。』
一同笑いながらうなずく。
先代は厳しく恐い方だったが、誰彼とはなく分け隔てをせず、こんな私でも、とても優しく接してくれた。
<抜粋終わり>
宝徳大社では、火の鳥見たさに、みんな深夜まで外にいるので、そのまま神社の大ホールに布団を敷いて寝るのです。(宿泊費は無料・要予約)
おまけに、夕食も朝食も無料で頂けるのです!バイキングで好きなだけ。
宿泊するには、ご祈祷料5千円を奉納させて頂きますが、引換券にて翌朝、自分の名前入りの大きな木のお札とお供物を頂戴することが出来ます。
一升瓶のお神酒は、とても重たいのですが、日月様にお供えする為、頑張って頂いて帰りました!
これとは別に、夜、ロウソクの点火時間近くになると、農作物のお供物が無料で配られるので、皆さん行列に並んでいらっしゃいました。
私たちは荷物が重くなるので、いただきませんでしたが。
だけどこんな神社、見た事ありません。
2015年4月の記事より抜粋
火の鳥が見れる絶好ポイント
宝徳様で開催される「神幸祭」は、何十万本も上がるローソク畑の上にいきなり火の鳥が突然現れ、そして乱舞する光景を、この目で見れる世界でも唯一の神社だ。
去年も、あの暴風雨に出掛けて、0時過ぎまで粘って、実際に見られた会員さんは50人を下らない。
この世では決して見ることのできない、あの世の現象を実際にこの目で見えたものだから、どなたもが、その驚きと感動は尋常ではなかった。
ちなみに私は、導かれた7歳頃から見ているので、そんなに驚かない。
心の素直な子どもほど、特に良く見えるらしい(笑)。
朱色の鳥が金色に輝いて見える。
見える絶好ポイントは、奥の宮のトイレの脇の芝生だ。
そこから奥宮本殿の屋根越しに、ローソク畑上空を見る。
蝶々ほどのサイズで輝く大きさから数メートルもある巨大な火の鳥も見たこともある。(目が合った!)
朱色に輝く羽がキラキラ落ちてきたこともあり、それが目の前に降りて来て、とっさに掴もうとしたら、いきなりフッと消えたことが印象的だった。
<抜粋終わり>
宿泊所を兼ねている大ホールでは、色んな方の歌謡・演芸会が催されていました。
今年の一番のメインゲストは由紀さおりさんでした。
しかも!ノーギャラだったみたいです。
宝徳大社は不思議な神社
田中角栄さんを総理大臣にし、本田技研の本田宗一郎さんが著書で先代の宮司さんを大先生と呼び、西武の堤さんも信仰していたと言う。
さらには由紀さおりさんが、以前にお世話になった御礼にノーギャラでコンサートをする神社。
ホントなら由紀さおりクラスになるとコンサートのギャラは1,000万円もするらしい!
敷地面積は靖国神社の数倍、毎年、火の鳥が現れ、手塚治虫さんのマンガ「火の鳥」のモデルになったとも言われている、それほど凄い神社なのに地元の新潟県の人も殆ど知らないと言う!
最も素晴らしいのは、その御利益の凄さ!
<抜粋終わり>
これほどの神社が、これまで公になって来なかったとは、逆にすごい話です。
さすがに時折、打ち上げ花火も上がっていましたので、地元の方も「あれは何?何処のお祭り?」と気づいているはずですが。
そう、それで肝心の火の鳥なんですが。。。
今年は、あまり飛ばなかったのです。
三度ほど、わぁ~と言う声が上がりましたが、誰の目にも見えるような大きなものではなかったようです。
雨の中、深夜1時まで頑張ったのですが、私は見ることが出来ませんでした。
でんでんさんは、火の鳥と言うよりクリオネ?みたいな細いのが飛んだのを見たそうです。
でも、その瞬間、私は上を向いたまま寝てたのでした(汗)あちゃー(笑)
私の心が純粋でないので見れなかったのか、それとも来年の景気があまり良くないのか、今年の火の鳥は残念な結果でした。
う~ん、次こそ大きく舞う火の鳥を見てみたいです!
だけど、火の鳥は見れなかったけど、すごく良い事があったのですよ。
そのお話は、次回にさせて頂きますね。
お祭りの日以外にも、宝徳大社には行けますので、ご興味のある方は是非訪れてみて下さい。
至る所の「菊の御紋」に圧倒されます。