佳子さまも鑑賞された映画『風に立つライオン』 | misaのブログ

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さだまさしさん原作の映画『風に立つライオン』の事をそろそろ書かなくちゃ、と思っていたら、紀子さま佳子さまが23日にさださんの隣りの席で映画を鑑賞されたというので驚きました。

佳子さまが、ご公務で映画を鑑賞されるのは3年ぶりとのことで、さださんも本当にすごい映画を作ったものです。

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そもそも「風に立つライオン」は1987年発売のさださんのアルバム「夢回帰線」の中に収録されている楽曲の一つでした。

アフリカ・ケニアで国際医療活動に従事した実在の日本人医師・柴田紘一郎さんをモデルに作られたこの曲は、日本に残してきた恋人に宛てた手紙を歌にのせ、壮大なスケールで綴る名曲です。

その曲に惚れ込んだのが、俳優の大沢たかおさん

彼はこれまで、「解夏」「眉山」という医療と人間をテーマにしたさださん原作の映画に出演してきました。

その大沢さんが、「風に立つライオン」の小説化・映画化を熱望したことから、今回のプロジェクトは始まりました。

彼の願いを受けたさださんが、同名の小説を発表したのが2013年でした。

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私もブログに書いています。
http://ameblo.jp/aries-misa/entry-11594425329.html?

そして今年、大沢さん主演による念願の映画が遂に完成!3月14日から公開されています。

<あらすじ>

1987年、日本人医師・航一郎(大沢たかお)は、大学病院からケニアの研究施設に派遣される。

アフリカ医療に生涯を捧げたシュバイツァーの自伝に感銘を受け医師を志した航一郎にとって、それは願ってもいないチャンスだった。

しかし、それは恋人との長い別れも意味していた。

父の跡を継ぎ、女医として離島医療に従事する貴子(真木よう子)を遠く日本に残さなければならなかったのだ。

理想を胸に研究と臨床の充実した日々を送っていた航一郎は半年後、現地の赤十字病院から1か月の派遣要請を受ける。

物見遊山のつもりで赴いた彼は、重傷を負って次々と運ばれてくる少年が、みな麻薬を注射され戦場に立たされた少年兵である事実に愕然としながらも、この病院への転籍を志願する。

過酷な状況ながらも生き生きと働く航一郎は、医療団からの信頼も厚かった。

一方、同病院に看護師として派遣されてきた和歌子(石原さとみ)は、確かなスキルと手際の良さで、航一郎と時折ぶつかりあいながらも互いに認め合っていく。

そして、心に傷を抱えた少年たちを「オッケー、ダイジョブ」と温かく包み込む航一郎は、いつしか少年たちの良き友であり、師となっていた。

そんなある日、病院に少年兵・ンドゥングが担ぎ込まれる。

彼は銃傷よりも、両親を目の前で惨殺され、麻薬でかき消された心の傷が甚大だった。

航一郎は、そんな彼の心の闇に真正面から向かっていくのだが……

公式サイトより



フルバージョン


心に傷を負った少年兵にかけた言葉。

「お前は9人の命を奪った。ならば、一生かけて10人の命を救うんだ。いいな、未来はそのためにある。」

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予告編を観るだけで泣けて来ます。

最も大きなテーマとなっているのが、時代と国境を越え受け継がれる「命のバトン」

「風に立つライオン」は、さださんのお父様の主治医だった柴田紘一郎さん(74)がモデルになっています。

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さださんが柴田先生の人となりを20年くらい前にこう綴っています↓

★★★★★★★★★★★★★★★★

柴田紘一郎さんは、長崎大学医学部を卒業されて、昭和46年から二年ほどアフリカのケニアに医療協力で日本から派遣された立派な先生です。

先生とは、僕がまだアマチュア時代に知り合いました。

僕は、この先生からアフリカに行った時のお話をうかがうのが大好きで、この先生の語るアフリカに憧れているんだか、実際のアフリカ大陸に憧れているのかわからないくらいです。

「ああ、アフリカは素晴らしい・・・・・・」とにかく、彼はアフリカを本当に愛しているんです。

ケニアのビクトリア湖には200万羽のフラミンゴがいるっていうんです。どうやって数えたんでしょうかね。

とにかく、そのぐらいの数のフラミンゴがいる、それもひとつの湖に。

それが夜更けになると、一斉に飛び立つんだそうです。すごいでしょう。

第一、ビクトリア湖っていったって九州がすっぽり入るくらい大きい湖なんですから。そのくらいの数のフラミンゴがいても、納得でしょう。

僕のことをよく知っている方は、ここから「風に立つライオン」という歌が生まれたことをご存知かと思いますけど、ある若い医者が日本に残してきたかつての恋人に宛てた手紙という設定は、この柴田さんからいただいたものなんです。

この先生と酒を酌み交わす。いいでしょう。うまい酒が飲めます。その柴田先生が、酒を飲んだ時、僕にこういったことがあります。

「医者なんてのは、野垂れ死にすべきだ」

僕が目を丸くして、徳利を持ったまま「どうして」と聞くと、こう答えたのです。

「まさしさん、人の命を預かる外科の執刀医は、いつも自分の責任を強く感じるんです。

たとえ患者が現代医学ではとても救うことができないほどの重病であっても、その患者の身体を切開した時に、『もし失敗したら、俺のせいだ』って思ってしまう。

これは百人中百人がそう思うんですよ。

もしも俺以外の人が担当医であったら、ここに奇蹟が起きて、この人は助かるんじゃないか。奇蹟が起きないのは、自分のせいじゃないかってね」

僕もあんまり先生が思いつめたように話すから、酒をすすめながら、「先生、先生みたいに、そんな患者の命まで責任とってくれるようなお医者さまって、少ないんじゃないかな」っていったら、彼はこういうんです。

「それはちがうばい。まさしさん、医者であれば、誰もが同じ思いです。間違いありません。それは信じてください」

僕を説得しようと必死なんです。

つまみなんか、食べない。真面目な顔で、酒を一気にのどに流し込んだ。

だから、僕も自分でついで、グッと飲んで、「何いってるんですか。先生が担当してくれたおかげで助かった患者さんだってたくさんいるんだし、先生の手術のおかげで助かったひともいるじゃないですか」

そしたら、もっとムキになって、また、グビッと飲んで、「いや、まさしさん、それはちがう。医者というのは、特に外科の執刀医というのは、自分が治すんじゃなかとです。

まさしさん、病気を治すとは医者じゃなか」って言い張るんです。

杯を持ったまま、「じゃ、誰が治すんですか」っていったら、なんていったと思います?

「神様です。これは逃げでいうんじゃありません。患者と神様が相談をするとですよ。そして、患者が治ろうと努力し、神様が『うん、治してあげよう』という機会を与えてくれた時にはじめて、医者の出番が来る。

つまり、医者の仕事というのは、神様の仕事の邪魔をせんことなんですよ」

ね、いい言葉だと思いませんか。僕が反発しないと、先生、今度はにっこりと笑って、ゆっくり酒を僕につぎながら、「だから、僕は手術にあたって、間違わないようにしようと思ってる。

神様の足を引っ張らないように、患者の足を引っ張らないように、そういう神様と患者の媒体をやってるのが自分たちなんだよ」

これはとっても素敵な発言だと思ったんです。

それで、思わず、僕も徳利を取り返して、「なんで、先生は、そんなに人の生き死にに関して責任をとろうとするんですか」って聞いたんです。

そしたら、先生、あふれそうな酒を口からお迎えにいったあと、急にしんみりとして、こんな話をしてくれました。

この先生が若い頃、すぐに入院しなければならないほど危険な状態だっていう若い奥さんがあって、先生が入院をすすめたんだそうです。

ところが、ベッドがいっぱいで入院できないんで、先生は信頼している個人病院をすすめたんだそうです。

ところが、その患者は大きな病院でなければ嫌だって言い張る。

でも、とにかく入院して手術をすぐに受けなければ危険だからと、再三再四家まで行って説明し、懇願したけれど頑として「病院のベッドがあくまで待つ」といって、入院しなかったそうです。

そして、それが原因で死期を早めてしまい、とうとうそのひとは亡くなったそうです。

先生はショックを受けて、お通夜の日に出かけていったんです。

行っちゃいけないよ、医者は、お通夜になんか。

案の定、亡くなった奥さんのご主人に玄関先で「お前が女房を殺したんだ。帰ってくれ!」って怒鳴られた。

その時に、彼はどう答えていいかわからず、「力不足で申し訳ありませんでした」としかいえなかった。

その思いが、彼の心を深く傷つけ、いまだに医者としての責任感を支えていたんです。

僕はこの話を聞いて、客観的に考えても、彼の責任を追及するのは酷だと思います。

でも、それを、自分の責任だと考えるタイプの人なんですよ。だから、僕は彼を名医だって言い切るんです。

たしかに、まだ若い頃に、医者になりたてで、「お前が女房を殺したんだ」なんていわれたら、傷つくよ。

人生観も変わると思う。でも、これも彼にとって、いい意味で、経験になったんじゃないか。

彼にとっては切ないことだったかもしれないけれど、そうしたことがあったからとても素敵な先生になった。

しかも、この人は代々医者の家で生まれたんじゃなくて、突然医者になろうと思った人だ。

だから、僕は、お酒の追加を頼みながら、聞きました。

「先生、なんで医者になろうと思ったんですか?」

そしたら、こう答えました。

「子供の頃、おじいさんが一冊の本をくれたですよ。それを読んで医者になろうと思ったとです」って。

その本の名前は『アフリカの父』。あのシュバイツァー博士の伝記だったそうです。

生命の尊厳と対峙しているからこそ、神の領域に挑む不遜さを知っている。

ケニアの自然のなかで、彼は神と共にあったのかもしれない。

僕はその答えを聞いて、またうれしくなって、その日はたくさんたくさん酒を飲みすぎて、翌日昼すぎまで枕から頭が離れませんでしたけれど。

★★★まとめ終わり★★★

元を辿れば、この映画は「シュバイツァー博士の伝記」からなのですね。

「命のバトン」はやはり、時代と国境を越えていたのです。

「風に立つライオン」は、この時代だからこそ沢山の方に観ていただきたい映画です。

一人でも多くの人に、命を救う立場の人になってもらいたいですね。

「命と希望のバトン」考えさせられるテーマです。

私も早く観に行こうっと。

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