本日の松原照子さんの「世見」です。
幸福への近道
今、生きていることを喜んで
<世見>2014.6.12
大災害は人類にとってもっともなる脅威が存在します。
我国は地震大国。
神武神世の時代から地球の息付きを感じて暮らしてきた民族です。
大災害に遭遇したくないのは誰もが思うことです。でもネ。本当のところ誰もが大災害を恐れてなんかいないのです。
わが身と大切な人の安全が第一なのです。
だからこそ、昨日書いたようにご自分の動物的勘を信じて欲しいのです。
世界中には太古から幾度となく噴火している山々があります。
火山活動は地盤沈下をもたらし、現在も海に沈んだ街々があります。
ポッツオリの辺りも地殻の上下変動が動き始めたようです。
イタリアナポリ ポッツオリ
「大災害の歴史は繰り返される」ようです。
1991年は大噴火の当たり年でした。
長崎県の雲仙普賢岳の大噴火。フィリピンのピナツボ山の大噴火。
大噴火は地球環境にも影響を与えます。高温のガスや火山灰、火山礫の熱雪崩。
私は今なお東日本大地震は終息していないと思い込んでいます。
地球の動く時の流れと私達が過ごして感じる時の流れとは異なるのかもしれません。
ただ、私がこうしたことを書くからではなく、何かしらが近付いていると日本に住む人々は感じ始めている気が致します。
「今年はギリギリセーフ」
こんな言葉を年頭に何故感じたのかはわかりませんが感じました。
「ディアナ号の悲劇が起こる」
こんな声も聞こえた。
いつ何が起きるかわからない時代に入ってしまった今。恐れるより前に「今 生きている」ことを喜んで暮らしましょう。
<転載終わり>
ディアナ号!!
おお!我が家の近くの海の公園には、このディアナ号の錨がモニュメントとして置かれています。
三四軒屋緑道公園のディアナ号のいかり
過去に一体何が起こったのかご説明いたしましょう。
広報ふじより抜粋
ディアナ号の下田来航と大地震
嘉永7年(1854年)11月4日、後にいう我が国最大級の安政の大地震(マグニチュード8.4)が起きました。
この日、下田港には、日本との友好関係を求めるために、プチャーチン提督のロシア軍艦ディアナ号が入港していました。
ディアナ号は、地震による津波で大破し、船の修理のため、戸田港に向けて出航しました。
しかし、運悪く途中で嵐に遭い、船は宮島沖まで流されてしまいました。
漂着したディアナ号を発見した人々は、船員たちを救うために命がけで救助しました。
大荒れの海の中で、岸に向かうカッター(艦船に積み込まれるボート)を波打ち際でしっかりと支え、三日間かけて約500人の船員全員を助け出しました。
そして、自分たちも地震で大きな被害を受けているのにもかかわらず、彼らのために、悪天候をしのぐ小屋をつくったり、毛布や着物、食糧などを持ち込んだりして手を差し伸べました。
中には、目の前で着物を脱ぎ、体の冷えきった船員に着せてあげた人もいました。
プチャーチンは、船員を救った人々の親切心を、生涯忘れなかったといいます。
昭和29年と昭和51年、沈没したディアナ号のいかりが引き揚げられました。
いかりは、全長4.2メートル、重さ約3トンという巨大なもので、一つは戸田村に寄贈され、昭和51年に引き揚げられたものは、富士市の歴史を語る貴重な文化財として、三四軒屋緑道公園に保存されています。
「開国」と言えば「黒船」「ペリーの来航」を挙げる人が多いと思いますが、日本の開国を求め外国船が相次いでやってきた幕末に、ロシア軍艦ディアナ号の遭難により、富士市民とロシア人との人間愛あふれる交流が生まれました。
ディアナ号が漂着した150年前は、外国人との接触が禁じられていたにもかかわらず、先人たちは、500人ものロシア人を荒れ狂う海の中から救出し、温かくもてなしています。
これまであまり知られる事のなかった「もう一つの開国」の物語でした。
<抜粋終わり>
救助の時の様子が、ディアナ号に乗船していた司祭ワシーリイ・マホフの「ディアナ号航海誌」に書かれています。
http://egawatarouzaemon.sa-kon.net/page010.html
『私たちは見た。だが、この目が信じられぬほどの出来事だった。
私たちの運命を見守るべく、早朝から1000人もの日本の男女が押し寄せてきたのである。
彼らは奇特にも束になって浜辺を走り回り、何やら気遣っているようであった。
つまり、私たちのカッターや無鉄砲な救助隊員のことを心配していたのだ!
日本人たちは、綱に体を結び付けて身構えていた。
そして、カッターが岸へ着くやいなやそれを捉え、潮の引く勢いで沖へ奪われぬように、しっかりと支えてくれたのだ!
善良な、まことに善良な、博愛の心にみちた民衆よ!』
<転載終わり>
歴史は繰り返すと言います。
照子さんがおっしゃるように、もし、ディアナ号の悲劇が再び起こったとしても、駿河の国の先人たちの想いやりあふれた行動をも再び実行したいと思わずにはいられません。
今、世の中は「集団的自衛権」など、他国と戦争することばかりが焦点になっていますが、国境を越えて人々が交流する温かい心の方に私たちは、フォーカスしていきたいと思います。
ディアナ号の悲劇があったからこそのロシアとの交流。
「国を越えた助け合いの精神」その出来事を忘れないでいたいです。