フリーメイソン山本五十六は生きていた | misaのブログ

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68年前の今日、尊い犠牲を払い戦争は終わりました。

戦争は、一部の戦争を起こしたい人々によって計画され、何も知らない若者たちが駆り出されていくのです。

この「戦争を起こす手口」の数々は、私の過去記事にも書きましたが、

戦争はなぜ起こるのか

1941年12月8日に起きた、日本軍のハワイ真珠湾奇襲攻撃の例を見てみましょう。

『アメリカの情報機関は、奇襲をすると言う日本の暗号を解読しており、ルーズベルト大統領は、その事実を知っていたにもかかわらず、現地の将軍には知らせませんでした。

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そして、日本の奇襲によってアメリカ太平洋艦隊は大打撃を受け、約3000人の将兵が亡くなりました。

そして大統領はこの日を「屈辱の日」とし「リメンバー・パールハーバー」というスローガンのもと、民衆は戦争へ駆り立てられて行ったのでした。

日本人の奇襲攻撃は、ルーズベルトには好都合でした。

なぜなら、当時のアメリカ国内は日本との戦争に反対する声も多く、民衆の足並みが揃っていなかったのでした。

しかも、ルーズベルトは、選挙公約で「戦争はしない」と国民に約束して大統領になった人だったのです。

だから戦争には大義名分が必要でした。

奇襲攻撃を受ければ、アメリカ国民も戦争を支持するはずだと彼は思った事でしょう。

日本軍の奇襲はアメリカ国民を戦争に結束させるのにまたとない機会だったのでした。』

この時の奇襲が太平洋戦争・第二次世界大戦への引き金になっていくのです。

この時、ルーズベルト大統領と繋がって手引きをしていた人物が日本にいたのです。

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山本五十六です。彼はルーズベルトと同じくフリーメイソンだったのです。

山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、史上最低の高級軍人だったと云われています。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/9dc61647065a9a12f649571611e3ab50より抜粋します。

山本五十六は、連合艦隊司令長官でありながら、空母六隻を出撃させながら、パール・ハーバー奇襲の指揮を執らず、部下の南雲忠一・中将にそれをさせて、自分は瀬戸内海に浮かぶ「戦艦ホテル」で優雅な日々を過ごしていた。

バール・ハーバー奇襲は、山本五十六本人の発案である。自分が陣頭指揮を執るからと、海軍全体の了解を得たものである。

ところがいざ出陣になると、山本は、「公約」を破り捨て、"率先垂範の指揮"という海軍伝統をも無視し、カード三昧の日々であった。

1942年6月の、ミッドウェー海戦の場合はもっとひどく、山本五十六の指揮官としての臆病ぶりは、日本の戦史にも世界の戦史にも、こんな武将は前例がない。

ミッドウェー島攻略戦の発案者で最高指揮官でありながら、しかも戦艦「大和」に坐乗しているのにもかかわらず、空母四隻の前方にいるべき山本の「大和」が、あろうことか空母四隻よりはるか後方に「逃亡=職場放棄」していた事実。

四隻の空母の、三隻(赤城、加賀、蒼龍)が轟沈していくとき、山本五十六は、「遊び人」らしく将棋を差していた事実。

ミッドウェー海戦は、日本海軍が戦力は圧倒的に優勢であり、空母を分散して十分な戦艦による護衛をつけていれば全滅する可能性は全く無かった。

空母を密集させて護衛をつけなかったことはわざと全滅するように仕向けたとも考えられる。

山本五十六は、自分の命を惜しんだというよりもわざと負けるように仕組んだと見るべきだろう。

<抜粋終わり>

山本五十六は、「大和」「武蔵」などの大型戦艦を攻撃隊に加えることなく、戦力の小出し投入を行なった為、戦艦「大和」はついに「大和ホテル」などと呼ばれるありさまでした。

なぜ山本五十六がこんな態度を取っていたかは、彼がフリーメイソンでアメリカ側と繋がっていたと考えると、全ては氷解します。

山本五十六は、連合艦隊司令長官にあるずっと以前からアメリカ側と連絡をとっており、まず真珠湾を奇襲し日本へのアメリカ国民の参戦気分を一気に高揚させるという計画を練り上げていたのです。

日本の艦隊や輸送船、飛行隊の動きはすべてアメリカによって把握されていた事から、五十六は、海軍が使用していた暗号電報をアメリカ側にすべて筒抜けにさせていたのでしょう。

つまり、日本を敗北させることが山本五十六の大きな役目だったのです。

やがて、山本五十六の使命も終り、姿を消す時期がやってきたのでした。

山本五十六はブーゲンビル島上空でアメリカ軍に撃墜され「戦死」したとされています。

アメリカ軍に暗号電報を傍受され、山本長官搭載機撃墜計画が練られ狙われたとされていますが、これも、ルーズヴェルト大統領との約束に基づいて計画された事であり、実際彼は生き延びていたのです。

詳細はこちらをお読み下さい。

山本五十六は生きていた

撃墜される日、山本長官は草色の第三種軍装を身にまとい、ジャングルを逃亡する際に目立たない格好にしていました。

そして米軍機攻撃の際、一早くパラシュートで脱出し、打合わせの場所からガダルカナル島米軍基地へと逃亡したようです。

山本五十六の身替わりとされた男(恐らくは風貌の似た人物)は、座席に縛り付けられ毒殺されています。

山本五十六は、こうして戦線から姿を消したのですが、山本長官と共に1年4ヶ月の海戦を戦った将官達は、極度な無能ぶりにも関わらず戦後様々な戦記作家によっていずれも名将、名参謀として称えられているのが現状です。

こうして考えると、真珠湾攻撃でだまされて日本に恨みを持ったアメリカ人が戦争に駆り出され、日本人も何も知らないまま戦争をし、互いに多くの命が失われました。

そして、広島・長崎に原爆が落とされ、アメリカ人の多くは戦争を早く終わらせる為に原爆投下は必要だったと思わされています。

元をたどれば、ルーズベルト大統領と山本五十六が仕掛けたワナによって、これだけ多くの人々が犠牲となり、未だに苦しんでいる事になるのです。

彼らの罪は大きいです。

ふたりは天国で反省しているでしょうか。

隠された真実を知って下さい。私たちはこうした手口に、もう二度とだまされないようにしなければならないのです。

いかなる理由によっても、戦争には絶対に参加しません。