私たちが着いた頃、ホピの乾いた大地は、20日間も雨が降っていなかったようで、雨乞いの儀式が行なわれる事になりました。
その頃のアリゾナの気温は日中42度でした。
日本でも最近はとても暑いですが、日本と違いアメリカは湿度が低いので、カラッとしてはいますがジリジリと刺すような暑さでした。
私たちが帰国した後は、さらにアリゾナは熱波が襲っているようですね。
山火事が発生したり、地面で目玉焼きが焼けたりと、異常な暑さとなっているようです。
その暑さの上に、雨が降らないとなると、作物は育たず深刻な事態です。
雨乞いの儀式は、ただのお祭りではなく、彼らがどれだけ真剣に行うかがお分かりになると思います。
部外者はほとんど参加できないその儀式に、私たちは、ちょうどタイミング良く招かれたのでした。
お祭りの前夜、私はトムさんにホテルの外に呼び出されました。
星空の下、トムさんから儀式に参加するにあたっての心得をお聞きしました。
「カチーナダンス」はホピの神聖な儀式だから、撮影はもちろんメモを取ってもいけないし、女装している方たちを笑ってもいけないし、おしゃべりもいけない。
服装も、派手で肌の露出の多いものやサンダル履きもダメ。伊勢神宮を参拝する時と同じくらいの神聖な場所に行くような心構えが必要。
そして、観光客として傍観するのではなく、祭りを一緒に行っているような意識で参加する事が非常に大事なことだと。
私は、ホピ族にとって生きる為の壮大な儀式に参加できるという喜びをかみしめながら、ホテルの部屋に戻り、同室のクリスティさんとサリーさんに心得をお伝えしました。
皆、翌日への期待感は相当なもので、私たちは寝るのも忘れ、祭りに参加できる奇跡を語り出したのでした。
そもそも、羽田空港からの飛行機が2時間も到着が遅れ、ロスで乗り継ぎ便に乗れなかったのが始まりでした。
そこでトムさんが、天からスケジュールの変更が求められている事に気付き、セドナやグランドキャニオンを観光する予定を大幅に変更し、真っ先にホピに向かったのでした。
その決断がなかったら「カチーナダンス」には参加できなかったのです。
最初の予定では、儀式が行なわれる15日に、ホピ入りする事になっていたのですが、その日は祭りで村は空っぽになる為、Rさんの家すら探し出す事はできなかったでしょう。
仮にお祭りがメサで行なわれている事が分かったとしても、部外者はメサには上がれず、しかも、あのたくさんの人の中からRさんを見つける事は困難です。
そう考えると、いきなりホピを目指したトムさんの選択は、神がかっている程のすごい直感だったのです。
また、この儀式は1ヶ月前に日程が決まり、3週間かけて練習するそうで、私たちが旅を決めた3月には、まだ儀式の日は決まっていない事になります。
それはまるで、私たちの旅の日程に儀式が合わせてくれたかのようでした。
神聖な儀式にする為に、ホピの方たちが身を清めておくように、私たちも前日までにそれが行なわれていたようです。
5月4日の増川いづみさんの講演会に出てから、528ヘルツの音叉と4096ヘルツのクリスタルチューナーを毎日部屋で鳴らしていたのは、自分の浄化の為に、この儀式の為に必要な事だったのだと私はあらためて気づかされました。
クリスティさんたちも、浄化の塩や砂を買っていたのは、自分たちを浄化する為だったのね、と分かったのでした。
だから、「預言の岩」の所で創造主とつながる儀式や、Rさんから受けたマッサージは、あの空間、あの時間が聖なる浄化の儀式だったのです。
全てが「カチーナダンス」に向けてだいぶ前から用意されていた事であり、私たちの旅の目的はまさにこの儀式に出る事だったんだ、と私たちは気づき鳥肌が立ったのでした。
ホピでの出来事に比べてしまうと、セドナやグランドキャニオンさえも色あせてしまうくらいに思えるのです。
私たちの興奮はしばらく収まりませんでした。
そして朝になり、私たちはRさんの待つ家に向かいました。
前日の朝から晩まで、私たちをあちこち案内して下さり、最後にはマッサージもして下さったRさんは、さぞかしお疲れだとは思っていましたが、その予想以上にRさんは憔悴しきっていました。
こりゃ~大変!!
私たちは、慌ててRさんをみんなでマッサージしました。
そして、ようやく元気を取り戻したRさんに連れられ、いよいよ「メサ」へと出発です。
あら、ここまで意外と長くなってしまったので、儀式の様子は次回にします。
引っ張っちゃってごめんなさい。