草薙の剣は「アロンの杖」 | misaのブログ

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伊勢神宮についての記事がずっと続いておりますが、ようやく最初のテーマに戻って来られました。

「三種の神器」

これは、天皇の王権を示すものであり、天皇が新しく即位するためにはなくてはならないものです。

前の記事で、日本の「三種の神器」はイスラエルの「三種の神器」と同一だとする飛鳥昭雄氏の推理をご紹介いたしました。

「八咫の鏡」=「十戒石板」
「八坂瓊の勾玉」=「マナの壺」
「草薙の剣」=「アロンの杖」


「八咫の鏡」は、天岩戸開き神話において天照大神がお姿を写したとされる鏡で、真賢木(まさかき)に掛けられていました。

後に、天照大神が天孫ニニギ命に託し、これは自分の分身であると告げ、これによって日本を統治するのは天照大神の子孫という事が決まり、その証となりました。

「八坂瓊の勾玉」も、天岩戸開き神話に由来する神器で、八咫の鏡と一緒に真賢木に掛けられました。

勾玉は、その形が魂に似ている事から、神の御魂の象徴とされています。

「草薙の剣」は、天照大神ではなく、スサノオ命ゆかりの神器です。

高天原を追放されたスサノオ命は、ヤマタノオロチを退治し、その時尻尾の先から出て来たのが「天叢雲(あめのむらくも)の剣」でした。

後にスサノオ命は、この剣を天照大神に献上し神器のひとつになりました。

やがて時が経ち、日本武尊(やまとたけるのみこと)が天叢雲の剣を持って東方遠征に出掛けました。

その途中、静岡の焼津で野火を放たれた時、天叢雲の剣で燃える草を薙ぎ払いました。

この時からこの剣は「草薙の剣」と呼ばれるようになったのです。

一方、「十戒石板」は、預言者モーセがシナイ山で絶対神ヤハウェに授けられたもので、10カ条の戒律が刻まれた2枚の石板からなっています。

「マナの壺」は、マナという食べ物を入れた黄金の壺のことです。

預言者モーセに率いられて荒れ野をさまよった時、天からウエハースのように甘い食べ物マナが降ってきて、イスラエルの人々は飢えから救われました。

この出来事を記念して、マナを入れた黄金の壺を神宝として祀りました。

「アロンの杖」は、預言者モーセの兄アロンが持っていた杖の事で、その杖は一瞬にして蛇になるなど数々の奇跡を起こしていました。

アロンは祭祀を司るレビ族の人間でした。

幕屋の中に置いてあったアロンの杖に、弦が巻いて葉が茂り芽が吹いたなどの奇跡を象徴するために神器に加えられました。

飛鳥氏が「草薙の剣」が「アロンの杖」であると推測するには理由がありました。

源平の「壇ノ浦の合戦」の時に草薙の剣が平家によって持ち去られ、二品禅尼が幼少の安徳天皇を抱き、草薙の剣と共に瀬戸内海に身を投げたと云うお話があります。

しかしその後、草薙の剣は海に沈まずに浜に打ち上げられたのです。

この事から、草薙の剣は鉄製ではなく木製ではないかとされるのです。

それが木製である「アロンの杖」ではないかと。

そして今、伊勢神宮の内宮の地下には「十戒石板」が、そして外宮には「マナの壺」が安置されていると思われます。

ここからが重要なんですが、昨日の記事に書いたように本来の伊勢神宮は「伊雑宮」なのです。

今、そこには神器がありません。伊勢三宮は三種の神器を祀ってこそ、初めて成立するのです。

察しのよい方は、もうお分かりでしょうが、「草薙の剣」=「アロンの杖」はこれまで愛知県の熱田神宮にありました。

本来ならば、それは伊雑宮にあって然るべきものでした。

時が来れば、「草薙の剣・アロンの杖」は伊雑宮に返還されるでしょう。

そして、それが伊雑宮の心御柱となり、3つの神器が全て揃う時、伊雑宮は復活するのです。

伊勢神宮の三宮にそれぞれ三種の神器が安置され、伊勢神宮が本当の姿を表した時に一体何が起こるのでしょうか。

ここに今年の式年遷宮が絡んでくるようです。

う~ん、ゾクゾクします。。。が続きます。

*本日のオマケ*

3Dで見えてますか?

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