2日の「報道ステーションSUNDAY」を見て驚いた事がありました。
それは、869年に起こった貞観地震での津波の浸水域と、昨年の東日本大震災での浸水域がほとんど同じだったからです。
赤い破線が貞観津波の到達ラインです。
こちらの写真の宍倉さんの記事がありました。
http://sankei.jp.msn.com/smp/affairs/news/110328/dst11032819290055-s.htm
【東日本大震災】「研究成果を生かせなかった…」貞観地震の研究者
「貞観地震の再来だ」。
東日本大震災が起きた11日、超巨大地震のデータを目の当たりにした産業技術総合研究所の宍倉正展さんは「背筋が凍りつくような恐ろしさを感じた」と振り返る。
宍倉さんらは宮城、福島両県のボーリング調査などから、869(貞観11)年に東北地方を襲った巨大地震・津波の実態を解明し、「いつ、再来してもおかしくない」と警鐘を鳴らしていた。
だが、日本の災害史上最大規模の地震・津波は、研究成果を防災に生かそうとする途上で襲ってきた。
「なぜ今、起きてしまったのか。1千年単位の長い周期のうち、たった数年待ってくれれば、防災対策を立てられたのに…」
産総研で海溝型地震歴研究チームを率いる宍倉さんは、声をつまらせる。
貞観地震の研究に着手したのは平成16年。
宮城、福島県の沿岸の地層をボーリング調査で解析し、貞観地震の津波が運んだ砂の層の分布から津波の到達域を特定。
太平洋沖を震源とする巨大海溝型地震が、大規模な津波を起こしたことを突き止めた。
岩手県や茨城県ではボーリング調査による津波堆積物の特定が難しく、海水は砂層よりも内陸まで到達していたはずだ。
「それを考慮すると、貞観地震の規模はマグニチュード(M)8・3より大きい」と推定。
ボーリング調査では、東北地方は500~1千年の間隔で、繰り返し巨大津波に襲われていることも判明した。
直近の巨大津波は、貞観か室町時代(14~16世紀ごろ)で、「いずれにしても、いつ起きてもおかしくない状態にある」と結論づけていた。
「防災に生かさなくてはいけない」
政府の地震調査研究推進本部に報告した成果は「海溝型地震の長期評価」に盛り込まれ、4月にも公表されるはずだった。
推進本部は今年に入ってから大きな被害が予想される自治体に赴き、貞観地震再来の危険性を説明。
しかし、自治体の防災担当者は「そんな長い間隔の地震は、対策を練っても仕方がない」と、鈍い反応だったという。
「研究者自身が説明しなくてはだめだ」。
宍倉さんは3月23日に、福島県の防災担当者に直接説明する予定だった。
「絶対に、対策の必要性を理解してもらわなければ」と意気込んでいた矢先の3・11-。
研究成果を防災に生かせなかったことが無念でならない。
「1千年スケールの災害が起こり得ることを、行政の人たちも分かったと思う。同じ思いはもうしたくない」と、宍倉さんは声を振り絞った。
<転載終わり>
皮肉な事に、研究成果は活かされず、震災は起こってしまいました。
地震学者の古村孝志教授は、こうした研究成果が聞き入れられない理由として「地震のデータのそろっている最近の地震に目が行きがちで、昔のよくわからない地震、古文書や地質学で分かる自然が残した警告には、耳を傾けてこなかった。」と振り返りました。
多くの被害者を出してしまった東日本大震災は、予知が出来ず地震学の敗北とも言われました。
そこからようやく過去の地震からの警鐘に気づいたのです。
地質学者 藤原治博士「地震による過去の痕跡は、地震の化石とも自然からの警告とも言える。
色々な分野から見ることで、より真に迫るものになる。」
これまでは、過去の痕跡・歴史から学び取る「地質学」と、科学の「地震学」とは相入れないものでした。
しかし今回の大震災で、複合的に地震予知に取り組んでいく事がいかに重要かが分かったのでした。
話はこれで終わりではありません。
今、房総沖は危険が高まっている領域として注目が集まっているのです。
房総半島の東方沖は、北アメリカプレートと太平洋プレートの境界域である日本海溝の南端部に当たります。
東日本大震災により、岩手県沖からおよそ400キロにわたり地殻の破壊が進んでいきましたが、北アメリカプレートの下に沈み込んだフィリピン海プレートの北東端が地殻破壊の南下を食い止め、茨城県沖で止まりました。
その為、房総沖に歪みが蓄積されているようなのです。
この歪みに耐えている領域は、過去に延宝房総沖地震(M8)が起きた津波の波源域と一致しているというのです。
貞観地震の時のように、似た地震が起こる可能性があるのです。
1677年(延宝5年)に発生した延宝房総沖地震は、揺れは小さくても津波は大きいという、特殊な地震だったようです。
古文書によると「諸浜津波入り、人大ぜい死す。その夜は天に雲一点も無く、風、木の葉を動かさず、海に波立たず、その後十四、五日の間は地震する。」とあるそうです。
こうした歴史資料から、延宝房総沖地震による津波は、宮城県塩釜市から八丈島まで約600キロにわたる沿岸を襲った事が分かりました。
この地震と同じ規模であれば、東京は2メートルの津波だったようですが、更に房総沖にふたつの新たな活断層が発見されて事情は変わりました。
東洋大学の地形学者 渡辺満久教授は、「この活断層は最近は動いていないが、いつ動いてもおかしくない。もし地震を起こせば、M8を超えるものとなる。」といいます。
活断層津波シミュレーションによると、房総半島にはわずか10分ほどで到達し、複雑にあちこちに打ち返しながら、90分ほどで東京湾の奥まで押し寄せ4メートル近い津波となって川を遡上して行くそうです。
これまで2メートルを超える津波は来ないと言われて来た東京湾ですが、4メートル以上も覚悟しないとならないようです。
駿河湾にも6メートル以上の津波が来てます。
この津波想定に対し東京都のとっている対策は、可動式の高潮防潮堤。
しかし、扉の開閉は担当者が現地で行う為、東日本大震災の時には到着が遅れ、津波の到達に間に合わなかったそうです。
自然の猛威にはなす術がありません。高い所にすぐに逃げるしかないですね。
沼津の内浦地区では高台移住が決まったようです。自然に逆らわず、それが一番いい方法でしょう。国の補助がないと難しいですが。
いつ来るか分からないから、どうする事も出来ない地震ですが、日々生かされている事に感謝しながら生きていきます。
当たり前の生活は、当たり前ではないのです。
見えない存在にも感謝を捧げます。
こ~んなに長くなってしまったのに、最後まで読んで下さったあなた、いつも読んでくださって本当に本当にありがとうございます。