MBSラジオ 作業員が語る福島第一原発 | misaのブログ

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MBSラジオ たね蒔きジャーナル報道特別番組「作業員が語る福島第一原発」をまとめました。

非常に重要な話を暴露していますので、長いですが最後まで目を通して頂きたいと思います。

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福島第一原発については、重大な情報が隠されていた事が次々明らかになった。

SPEEDIを使って、事故直後から放射能の拡散を予測できていたにもかかわらず、官邸も保安院も文科省もどこも情報を出さなかった。

その為、逃げるべき方向が分からなかった住民が、無用な被曝をしいられた。

メルトダウンについては、事故の翌日3月12日に保安院のある審議官がその可能性を示したのだが、官邸はこれをすぐに否定。メルトダウンの事実は隠された。

一年たった今でも本当の情報を入手するのは非常に困難だ。

原発作業員の実態もそのひとつだ。

ここにラジオだからこそ知り得た貴重な証言がある。20人の作業員から話を聞いた。

原発から40キロ離れた福島県いわき市には、原発作業員の3000人のうちの多くが滞在し、朝5時には大型バスに乗って原発作業に出かける。

マイクを向けると、マスコミの取材に答えたらえらいことになる、と話をきかせてもらえない。

報道関係者と接触する事を会社から禁止されているようだ。

しかし、重い口を開いてくれた作業員の多くは崩壊した原発の凄まじさを目の当たりにし、足がすくむほどの脅威を感じた事を話してくれた。

中には大量の放射性物質に対しての認識がない作業員もいた。

事故の翌日3月12日、福島第一原発は水素爆発を起こしていたにもかかわらず、枝野官房長官は「放射性物質が大量に漏れ出す事はない」と会見していた。

水素爆発は14日15日も続いたが、政府からは切迫感を感じた情報が与えられなかった為、作業員も放射能に対し緊張感はなく作業をしていた。

痛みもないので何が危ないのかが分からなかったという。

作業員には放射能障害を予防するヨウ素剤が配られていたが、飲んでいない作業員もいた。

ヨウ素剤が何かも説明されていなかった為だ。

高い放射線量の中での作業は過酷を極めていた。

全面マスクは蒸れて呼吸も困難で、コミニュケーションも取れなかった。

年間被曝量の1ミリシーベルトを浴びるのに30分もかからなかった。すぐに警報ブザーが鳴った。

でも、痛くも痒くもなく、何故鳴ってるんだ?といった感じ。

こうした現場の労働実態を政府はどれだけ理解していただろうか。

4月3日に菅総理が、事故作業の拠点基地となっているJビレッジにヘリコプターで訪れた。

20キロ離れたJビレッジに行っても現場には決して来ない総理に作業員は苛立っていた。

現場の実態を菅総理は分かっているのか、作業員の憤りは作業環境だけでなく、賃金体系にもあった。

12時間も拘束されて、1日の日当が7000円、5次請けの作業員だ。

原発で働く作業員は、元請け、下請け、孫請け、ひ孫請け、5次、6次請けと幅がある。

同じ仕事を同じ量して同じように被曝していても、賃金に差が出るのだ。

仲介している人間は、何も作業をしていないのにマージンを取っている。

何故この状況を国は改善してくれないのか、と作業員は憤る。

元請けに近い業者に話を聞くと、最低賃金の3倍、一人2万5千円はもらっているという。

取材しただけでも、賃金の7割以上がピンハネされているのが分かった。

そういう状況を隠すためか、いくらで雇われているのかお互い聞いてはいけないルールがあると言う。

信じられない労働の実態がそこにはあった。

下請け構造は20次まで及ぶ事があると言う。

東電は1日あたり10万円支払うが、原発作業員が実際に得ているのは、わずか6500円というケースもあり、93%がピンハネされている計算になる。

これについて東電に取材した所、請負会社と契約しているのでその先は把握していないとの事。

被曝をし続けながらの作業も問題になっている。

福島の原発作業員は被曝線量の上限が250ミリシーベルトに引き上げられた。

この値は、将来ガンになる確率が確実に上がるものの急性障害は出ずに済む被曝量とも言われている。

しかし、こうした事実が作業員に充分に伝わっていない。また、時間とともに危険に対する感覚がマヒしている。

そんな労働環境が実際にそこで働く人でなければ語れない真実として伝わってくる。

ある飲み屋で一日の疲れを癒す作業員に話を聞いた。

しかし作業員たちは仲間と飲む事は少ないようだ。そこに作業員を孤立させる驚くべき事実があった。

その作業員は、去年はしおらしくしていた東電も、最近は元のお山の大将に戻りつつあると語っていた。

だが、まずい事を言うとみんなが原発作業に出られなくなると言った。

つまり、5~10人グループでの連帯責任というルールがあり、誰かひとりでも問題を起こすと全員帰ってもらうというもの。

代わりはいくらでもいるからと。

これも東電に聞くと、そんな事は聞いたことがないと言われた。

東電への不信感が様々な形で話に出てきた。

正確な情報を何ももらっていない事。どこが放射線量が高いとか、自分たちで調べるしかない。

最近、タイベックスと言う防護服を行き帰りは着なくて良いと言われたそうだ。

線量が下がっているからだと。

チャコールフィルターもやめて薄いダストフィルターにしてくれと言われた。

自分たちを被曝から護ってくれない態度にがく然としたと言う。

どうして情報は隠されるのか、その場面を目撃した作業員もいる。

吉田所長が現実を全て話そうとしたら、それを東電サイドのたくさんの人間が止めた。

彼が歩くたびに2~3人の取り巻きが常についており、しゃべらせないようにしていたそうだ。

本当の事を話して、みんなに案をくださいと言った方が、世界各国からいろんな対策が集まるのに、と作業員は語った。

情報を隠そうとする体質が事故の収束を遅らせる。

一年経って現場の作業はどう変わったのか。

実は何も変わっていなかった。一年前と同じように、作業員は高い放射線量におびえながら作業をしている。

事故から9ヶ月を過ぎた12月16日、野田総理は胸を張って事故の収束を宣言した。

現場の作業員は言う。収束したって言うけど、何も変わっていない。何を持って収束と言うのか。

総理の収束宣言は、作業員の見る福島第一原発の状況とはあまりにも違っていた。

原発について作業員は「原発なかったら雇用は減るだろうね。」と、何とか原発の存在理由をみつけようと考えながら悩みながら話した。

「これだけリスクがあるものと初めて知った。それでもまだ動かそうと言う動きがあることが信じられない。」と話す作業員もいた。

福島第一原発の中に入って初めて感じた原発の恐ろしさ。

作業員の言葉をどのように活かしていくのか、原発に向き合う為の重要な証言である事に間違いはない。

作業員の中には関西弁で話す人が目立った。という事は、福島だけでなく全国から人が集まってきているということ。

それぞれの地元で仕事がなく、職を求めて原発の作業にたどり着く人たち。

その背景には貧困の問題がある。

原発のリスクを実感していても、生活のためにそこで働かないとならない人がいる。

こうした人たちの働きなくしては、原発事故の収束はあり得ず、貧困とセットになって原発システムが維持されている。

作業員からみた福島第一原発の実態と、政府・東電の発表とは大きな隔たりがある。

これを原子力の専門家たちはどう見るのか。

原発の危険性を訴え続けてきた京都大学 小出裕章氏と、原発の必要性を訴えている東京工業大学 澤田哲生氏に話をきいた。

(この部分は、別の機会に詳しく記事にします。)

この議論で明らかになったのは、これから本当の事故収束に向けてどれだけ多くの作業員が被曝するのか分からない、また具体的にどんな作業をするのかさえ分からないという事。

最後に作業員の声を。

「例えば、ガンになる確率が高い、白血病になるかも知れない、失明するかも知れない、という事を考えたらじゃあちょっとでも気休めでもいい対処法があるのかなと書物をあさったりした。
そんな風に紛らわせていないとやってられない。
もし病気になった時に、国は原発で働いていた人に補助とかしてくれるのかが気になる。」

「家には連絡してない。連絡ないのは元気だからと言ってある。逆に連絡すると帰りたくなるから。ここはきついから。」

「放射能はずっとつきまとうものだから、不安はあるね、やっぱり。
冷たい目で見られるのが一番怖いね。
原発行ってたと分かって他での仕事を断わられたり、彼女が出来た時にも、もし話してさよならなんて言われるのが怖い。
原発行ってた事を隠して結婚したとして、後で分かった時を考えたら、いくら大丈夫と言われても目に見えんものだから不安は残る。
原発で働いてたと自信を持って言いたいけど、言いたくても言えない。言って何言われるか分からんから、それが一番心配。」

福島第一原発で働く人たちの肉声。

そこからこぼれてくる命を削る覚悟。差別される事への怖れ。

誰もが普通に望む幸せな暮らしへの夢を絶たれる人たちがいる。

しかし、彼らがいなければ私たちの安全は一日も保たれない。

それが原発の今の姿なのだ。。。

<まとめ終わり>

こんな現状があるのにそれがおおやけにはなっていないのは問題だと思います。

誰かの犠牲の元に、原発は存在しているのです。