邪馬臺 宮崎康平氏を偲ぶ | misaのブログ

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昨年秋、「まぼろしの邪馬台国」は映画化もされました。

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私は、ちょうど離婚の真っ最中だった為、残念ながら見てはいません ガクリ

原作者の宮崎康平氏は、私の尊敬する、さだまさしさんのお父様の古くからの親友でした。

さださんにとって、宮崎さんは、とても大きな存在だったのです !

「関白宣言」は宮崎夫婦がモデルだと言います。

そうそう、先日亡くなられた森繁久弥さんも、宮崎氏とは知り合いでした。


宮崎康平氏は、島原鉄道の工事中に出土した土器によって、邪馬台国にとりつかれてしまいました。

その後、失明すると言う不運に会いながらも、古事記や魏志倭人伝には、間違った当て字が使われていると気づき、音を耳で聞いて覚えると言う事は、盲目の自分にしか出来ない、失明は古代の謎を解くために、天が与えてくれた試練ではなかったのか、と考えたと言うのですから、彼のポジティブさには驚きました ビックリマーク

邪馬台国の所在を突き止めたいと言う強い願いが、宮崎さんにとって、一筋の光だったのでしょう アオキラ


その願いを聞いて、友人が「目となりペンとなる女房を是が非でも捜し出してやる」と言って世話してくれたのが、和子さんでした。

宮崎氏は、著書の中では、九州説を取り、邪馬台国を島原あたりと推定していました。

しかし、場所の特定よりも、奥さんが目の見えない康平氏に古代の本を読み聞かせ、彼の目となり杖となり、二人で九州を訪ね歩き、共同で「まぼろしの邪馬台国」と言う本を世に出したという事に、大きな意味があると思います!

結果より、夫婦で過ごした過程こそが、かけがえのないものだったのではないでしょうか。

その康平氏は1980年60歳の時に、脳出血で亡くなりました 泣き1

その時の不思議な話があります。

康平氏は寝室で倒れ、病院に運ばれ、その夜に亡くなられたのですが、誰も運んでいないはずの、彼の愛用の白い杖が病室に置いてあったというのです。

飛梅伝説の様に、愛用の杖が主の死を知り、病室まで追いかけて行ったのでしょうかはてなマーク

私の彼も、脳管出血で倒れ、意識が戻る事なく、その晩に亡くなりました 涙

彼がいつも持ち歩いていた、折りたたみの白い杖を思い出しました。

私も、杖と同じ気持ちです。

私も、和子夫人の様に、盲目の彼を助けたかったです。

離婚が成立して、まさにこれからと言う時に亡くなってしまいましたから。

宮崎氏は、和子夫人と巡り会って、本当に幸せな人生だったと思います。



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さだまさしさんが、宮崎氏のために作った歌があります。

YOU TUBEは → こちら

音譜 <邪馬臺 > 音譜

盲いた詩人はいつも
ザボン口に運び乍ら
想い出たどる様に
見えない目を開いて
静かに海を観てた

幻の国の事を
まるで故郷を語る様に
道程について 風景について
優しく僕に話した

有明の空の雲だけが
あの人の寂しさを知っていた
そう弥生の風に 追われる様に
あなたが逝った 晩に
眠れないまま息を密めて
不思議な夢を観た


雲仙(やま)は噴煙(けむり)を吐いて
霧は針摺瀬戸(かいきょう)を包み込んで
異国の便り乗せた 小さな舟がひとつ
静かにすべってくる
盲いた詩人がひとり その小舟に座っている
得意の笑顔みせて はにかむ様にじっと
静かに海を観てる

有明の海に風が吹く
あの人を追いかけて夢が吹く
ああ悲しい程に 焦がれ続けた
幻の人が 今
きっとあなたを抱きしめている
不思議な夢を観た 



音譜 「島原の子守唄」も聞いてみて下さい → こちら  


長い文を読んで下さって、ありがとうございました ラブラブ