新井白石、本居宣長以来、わが国の国文学、歴史学、考古学が、様々探し求めてきた邪馬台国。
その存在の鍵を握るのが、中国の3世紀後半に書かれた「魏志倭人伝」でした
邪馬臺がヤマトとも読めるというので、その解釈を巡って、九州説と畿内説に分かれて、邪馬台国がどこにあったのか論議されて来ました。
畿内説においては、いよいよ奈良県「まき向」が有力になって来ましたね
九州説の方は、有名な「金印」が博多湾の志賀島から発見されたのですが、未だに邪馬台国の場所が特定出来ないのです。
「倭人伝」の距離と方位に従うと、海の中になってしまうとか
その事が本居宣長らを悩ませる原因になりました
と、ここで私は重要な事を思い出しました
実は、私は宮崎康平さんの「まぼろしの邪馬台国」という本を持っていたではないですか
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何故かと言うと、宮崎康平さんがさだまさしさんと、すごく親しい人であったからなんです
もう、27年も前に買った本でした。
内容と存在-忘れてました
宮崎康平さんは、島原鉄道の社長でしたが、1948年天皇陛下が来られるというので突貫工事をした時の過労がたたって、32歳で盲目となってしまいました
その頃、乳飲み子を残して奥さんに出ていかれ、泣く子をオロロン、オロロンとあやしながら作った歌が「島原の子守唄」なんです
ここに来て、宮崎さんが、どんなに失明がショックだったか思い知らされました
昨年亡くした私の大切な人と同じ状況だったと、いまさらながら気がついたのです。
私の彼は、20代で網膜色素変性症と言う病気で盲目となりました。
そして、娘さんを残して、やはり奥さんが出て行っていました
本を買った当時は、将来にまさか宮崎さんと同じ盲目の人と関わりを持つなんて、考えてもいませんでした。
今は、全く違った所から、宮崎さんの気持ちを思う事が出来ます。
番組のお陰で、また一人、偉大な方を思い出す事が出来ました。
感謝です
次回に、もう少し宮崎さんの事、伝えさせて下さい