悪意がなければ何をしてもよい

訳では絶対にない

けれど

悪意を持って行われた行為と

そうでない行為は明確に違う


それこそ

自分の身或いは自分の子供の身に

なって考えて欲しい


良かれと思って後輩に指導した

誤って怪我をさせてしまった

幸い命に関わることではなく

後輩も大丈夫だと言った

勿論謝った


まさか後輩が

自分がわざと怪我をさせた と

思っているなんて夢にも思わなかった

その場に居なかった後輩の友人が

自分の謝り方が軽いものに感じた

と言われるなんて

想像力さえ出来なかった


悪意ある週刊誌に

悪意ある書かれ方をした


仲間が事情説明をする場を

作ってくれた

後輩は何も語らなかった

勿論後輩は自分の事を許してくれている

と信じて疑わなかった


彼女の日頃の人となりは知らない

その場に居たわけでもない


けれど この経緯をもって

彼女の人格を全否定して

未来をすべて取り上げる権利が

誰にあるのだろうか


亡くなった人にはその未来がない

のとは全く別の問題だと思う


無意識に悪意もなく

それでも誰かを傷付ける事はある

誰にでもある

それをすべて断罪するというなら

まず その悪意あるコメントを

垂れ流したすべてのコメント主は

未来を奪い去られなければならない

はずだ と思う


もうやめようよ

誰かのせいにしても

ぐるぐると同じところを回っているだけ

このハラスメント社会で

人を責められるような人間は

ひとりもいないよ