28日 本日仕事納め
という日常の流れとは裏腹に、仕事が舞い込んだり 相談を持ちかけたり(仕事の)
忙しくパソコンに向かっている一日になりそう・・・・。
しかし、時間はそれにはかかわりなく過ぎて行って
昼からは注連縄を入口に飾り、門松を立てる仕事が待っている。(社主の仕事)
事務所には神棚の飾りつけと供え物
ニ礼二拍手一礼をして、食堂へ集まって酒を飲みながら一年を振り返り
仕事納めとする。
こうした行事を毎年繰り返している。
前にいた会社がそうした古くからの日本の習慣を持ち込んでいたので身についてしまったのだろう。
本日は朝の出勤時点で氷点下6度。何もかも凍らせてゆく。
これがリセットとなって、まだ遠いが春にはあらゆる命の輝きに変わる。
稲は苗を植えて、定着した時、そして穂が根元近くに形成された時(分蘗ピーク)と、登熟してゆく過程で葉の色が変わる。
この時に葉の中で何が起こっているかは不明だが、それ以降は幼苗が分蘗(ぶんげつ)し栄養成長を開始する。またそれが最も進んだとき、おそらく自らが摂取した窒素肥料を使い切った瞬間に、クロロフィルの衰退が見られ、黄色化する。この時根元近くに穂が内包される。そこからは生殖成長が始まるのである。
籾が大粒に成長するためには昼間は良く晴れ、夜は涼しい気候であることが条件で、呼吸エネルギーを夜間も活発にしなくてはならないような熱帯夜が続くと夜間消耗が起こり 籾はやせ細る。
米はタンパク質の含有量が6.8%未満のものが雑味がなくておいしい。こういったコメは登熟期に十分に炭水化物を籾に転流し、葉の成分の窒素分を使い切る事が重要で、余分な窒素が残っていると籾に転流し食味を損ねるのである。
米は弥生時代に揚子江あたりから逃れてきた船上生活部族が日本にもたらした穀物である。
米の伝搬と同時に酒造技術も入ってきたに違いないが
日本酒(清酒)というこの味わいを作り上げたのは日本人の独特の風土によるものではないだろうか。
今酒造メーカーでは、良質の米を求めている。
日本の気候の中でその良質なコメが生産できる地域は次第に狭まっていて
その地域は温暖化とともの北上を続けている。
コメの食味の良さとは
適度な粘りがあって大粒で白く輝き
雑味がないことが重要だが
この雑味というものの原因がタンパク質含有量である。
つまりピュアーな澱粉で出来たコメが最高の酒米となるが
気候変動で次第に難しい養生を経なければ生産できなくなっているという訳である。
今年も昨年も コメの生産高は豊作ではなかった。
これは秋口の残暑が影響している。
登熟期に高温が続くと、昼間せっせと澱粉を作るが夜も暑いためにエネルギーを消耗し
稲穂への澱粉の転流が思うようにいかない
そのためにやせ細ったモミや未完熟のモミが発生し、収量が落ちる。
日本の気候が初秋昼夜の寒暖の差が10℃以上ないと良いコメはできにくいのである。
また穂が出て花が咲くころ雨が続き日照時間が少なくてもおいしいコメはできにくい。
もちろん病害虫の被害にもあいやすくなる。
でうまいコメはタンパク質含有量(精米時)6.8%以下が必要で
そういったコメだけを選別することは非常に困難であるということである。
日本人が本当にうまい日本酒を味わえる時代はいつまで続くのだろうか。
本物のうまい清酒は高いよー
植物が水から水素、酸素を取りこみ空気中の二酸化炭素から炭素を取り込み自らの躰を形成します。
炭素と水素と酸素で全体の95%を占めます。
ミネラルを地中からとりますがこれの量は1%未満です。
数十億年地球上で連綿とつながった種の保存と淘汰の繰り返しの中で
彼らはその後のありとあらゆる動物の生命を発生させ自らの身を呈してエネルギーを与え続けています。
動物たちは太陽の恵みから自らを動かすエネルギーを発生させることはできません。
植物だけが光合成によってエネルギーを生成することができ、そのエネルギーを動物に供しているのです。
ところで 魂とは何でございましょう。
ありとあらゆる動物たちは もし 植物に生命を認め魂を認めるとしたら それらの生命を奪い、魂を食べていることになります。
ベジタリアンでないとしたら、その植物を食べて育った家畜を屠殺してまさに命を奪い肉を食らう訳ですが
そういった人間のどこに魂というものが存在し、そしてそれが永遠に輪廻転生してゆくのでしょうか
とふと考えることがあります。
といっても、スピリチュアルを解かった風な言葉遊びをしているわけではありません。
私たちが生まれながらに持ち合わせている五体は厳しく使うことで力をつけてきます。
この鍛えることによって強靭になるものと
頭脳も同様に厳しく使うことによってシナプスは増え、多くの回路が形成されてゆきます。
が 老化して死に至ればそれらの構成物はすべて消え失せて無になります。
この瞬間に生死による別れがあるのです。
私は死んで行く自らの命やあるいは消滅する魂というものそのものが崇高であるという思いはなく
まさに消えてゆくときに多くの別れが一瞬のうちに起こるという現象のほうが
生き残る人々に対して多くのドラマを生むきっかけになるということを感じます。
仏教では愛別離苦 と言います。
決して消える事のない苦しみなのですが
苦しみというか、魂の震えのようなもので、
時間の経過とともに次第にその振幅は弱まってゆきます。
五蘊皆空 とは 魂をも消え失せるということを言っています。
消え失せるというか、常に更新され続けていて
既に元の魂ではなくなっているということでして
何もありがたく崇め奉っておく という 代物では ございません。
自分の手足と同じように 生きている間だけ使える器のようなものでございます。
何事にも精魂込めて気を入れて・・・・・! ですかな。