この10月に歴史探求社が歴史小説を発行するという事をお聞きしました。
この中に間人姫と兄の中大兄王子との事を書いた部分があります。
間人という諱(いみな)は聖徳太子の母の中宮の事を穴穂部の間人と言いました。
穴穂部の間人皇后は聖徳太子の父、池辺雙槻宮(用明天皇)の亡きあと田目皇子と再婚して子も生んだと伝えられています。
穴穂部間人皇女の場合には再婚相手がかつての夫と義姉の子です。
もう一人 間人と呼ばれた姫は
皇極天皇の娘で孝徳天皇の皇后になりましたが
其の後別れ、一人身を通したわけですが
この姫を間人と呼んだのには何か深い訳が隠されているとみなさねばなりません。
この時代兄弟の結婚と言えば母違いでは可能であったと思われますが
父違い、同じ母を持つ兄弟での結婚は許されなかったのではないでしょうか
書記の中では天智天皇、間人皇女、天武天皇は皇極天皇を母とした兄弟です。
父は舒明天皇という事ですから
もしこの事を以て兄弟婚の人としてあるまじき行為に及び子を成したとしたら
間人と呼ばれても仕方のないことではないか
このあるまじき行為が間人と兄の中大兄の皇子の間にあったとしたら
その子はたとえ時の天皇の息子であったとしても出生を無かったことにする必要があって
はるか都を遠く離れ
神の国である信州の安曇野の 弥勒菩薩と共に降臨したとしても不思議は無いのかもしれません。

