地球上の厳しい環境の中で生き抜いて種の保存をするためには

生き物は成長を止め、形質のすべても遺伝子を一つの種子のなかへ胚芽として固定させる必要がありました。


この小さな芽のような形をした胚芽はある種の信号が入ってアプシジン酸が分解して成長誘導ホルモンに替るまでは何年でも中には2000年以上も眠り続けるのです。


この植物の成長を止め、種子や果実に栄養を蓄えるように働きかけるアプシジン酸は


植物が受けるある種のストレスによって発現します。






生命社会学 なんていうカテゴリはないのでしょうが


人間の一生もそのような植物がしている種の保存の生き方とどこか似ているように思いませんか。


生きるための環境が整っているうちは、命というものをあまり意識しないで人生の楽しみや喜びを謳歌します。


そして、逆境に出会ったり、夢や希望の実現に蹉跌をきたしたりした時


青年たちは命というもの、あるいは人生というものに正面から向かい合うようになるのです。



危機を経験すると人々は蓄えを始めます。


生きるためにどうすべきかを考え


そしてさらに自らの命が消えた時にどのような準備をしておくべきかを考えるようになります。



青春はそういった道理や理性を養う準備の期間でした。


子供ができてからの人生のスピードは殊の外早く感じます。


もちろん欲望なども自分の夢と家族のあるべき姿とを同時に斟酌するようになります。



そして50歳を過ぎたころから


自分を取り巻く社会がどのように脈動しているかを感じられるようになり


来し方を振り返り、未来がより遠くまで見通せるようになってきます。



そうして、伝え置かねばならないことを峻別し、伝導すべき人を選び、そして実行してゆく。




植物は種子という自らの形質をすべて凝縮した箱舟を作り出します。



生きる目的がそこにあったかのように


考えてみると、個の死のために個の生があって、


その死の後にポトンと残された小宇宙がまた新しい生命を展開してゆく。


植物を観察しているとそんなことをふと考えてしまう、  ような 年齢に達したのでしょうかね。