筑後川と運命を共にするアリアケヒメシラウオ | 環学連通信

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皆さん、アリアケヒメシラウオという魚をご存知でしょうか?

アリアケヒメシラウオとはその名の通り有明海に棲むシラウオの仲間です。有明海と言っても、有明海に流れ込む筑後川と緑川のごく一部にしか生息していません。

有明海には「特産種」と呼ばれる日本ではここでしか見ることの出来ない種が多く生息しています。有名なムツゴロウやワラスボもその一つです。これらの生き物の多くは、氷河期の今より海水面がずっと低い頃に大陸から渡ってきた生き物たちです。そのため、今でも中国や朝鮮半島の沿岸にはムツゴロウやワラスボの仲間が生息しています。

しかし、このアリアケヒメシラウオは少し別物です。この魚は有明海で進化し、世界でここだけにしか生息しない固有種なのです。しかも、筑後川と緑川の個体群には交流がなく分化が進んでいるそうです。そのうち、新たな二種類になるかもしれない“新種の卵”というわけです。








しかし、現在このアリアケヒメシラウオは絶滅危惧1A類に指定されています。

アリアケヒメシラウオ(福岡県レッドデータブック)

つまり絶滅寸前の状況にあるということです。







なぜ、アリアケヒメシラウオは減ってしまったのでしょうか?






アリアケヒメシラウオが生息しているのは感潮域の上流側、筑後川では河口から16km~23km地点までととても限られています。




この23km地点にあるのが筑後大堰です。この堰によって筑後川の感潮域は7km程失われたそうです。この巨大な河口堰は、毎日約20万t近い大量の水を福岡市に供給しています。福岡市民の使う水の3割以上はこの堰から供給されています。

この堰によって、物理的に生息域が分断され、さらに流量の減少によってアリアケヒメシラウオにとって最適な生息域が減ってしまいました。






もちろん、アリアケヒメシラウオだけでなく、筑後川を代表する魚エツもその数を大きく減らしました。
干満の差が大きく、独特な生活史を持つ魚が多い有明海。とくに筑後川はエツやアリアケヒメシラウオなどの魚にとって繁殖には欠かせない場所でした。その環境の激変は彼らにとって大きな影響を及ぼしているようです。






もう一つ、筑後川では大きな環境の変化がありました。






底質の変化です。写真は下田大橋周辺の干潮時の川底です。軟泥質でとても歩けるような場所ではありません。

しかし、ここも昔は歩いて渡れたそうです。





これは有明海・八代海総合調査報告委員会に記載された資料です。見ての通り、筑後川から大量の砂が採取されたことがわかります。これは高度経済成長期のコンクリート用材だったそうです。川砂は海砂と違い塩分を含んでいないため多用され、漁師の話では砂が持ち出された川底は3.5mも深くなったそうです。

そして、深く流れがゆるくなった川底に有明海の軟泥質の泥が逆流し、現在の泥底が作られました。

平成6年の川底の状況を見れば、どれほど泥化が進んでいるのか一目瞭然です。


これは、有明海の生き物、とくにアリアケヒメシラウオやアリアケシラウオなどに壊滅的被害を与えました。


シラウオたちは、砂礫底(砂や小石が多い川底)に産卵する魚です。本来、彼らの生息地である下流域は砂礫底が多くを占め、産卵に最適な場所でした。
しかし、筑後大堰により感潮域が削られ、さらに産卵地となる砂礫底まで失われてしまいました。

もはや、筑後川下流域に棲むアリアケヒメシラウオや、そこで産卵するアリアケシラウオにとって最悪の状況になってしまったのです。





アリアケシラウオ
日本最大のシラウオで体長は15cmを超える。尖った頭が特徴的。





昔は大量にいたアリアケヒメシラウオやアリアケシラウオは、食用にされていたそうです。とはいえ、筑後川流域に住む人でも今ではアリアケヒメシラウオを食べたことがある人の方が少ないでしょう。

現在では漁獲どころか、見ることすら困難な魚になってしまいました。

アリアケヒメシラウオが絶滅寸前なのは悲しいことです。しかしながら“たかが小さな魚が絶滅しても誰も困らないじゃないか”と思う人もいるかもしれません。


果たしてそうでしょうか?


アリアケヒメシラウオの減少は、本当に私たちに関係の無いことなのでしょうか。






これはサヨリ網と呼ばれる漁具です。




クルメサヨリという、汽水域に棲む小型のサヨリを捕まえる専用の漁具でした。漁師の話では、夜に明かりを灯し舟の先頭に立ってサヨリを掬ったそうです。短時間で舟の中が真っ白になるほど捕れたのだとか。

しかしクルメサヨリが激減してしまった今では、この漁は現在行われておりません。またひとつ、伝統漁が潰えてしまいました。この漁具もたまたま漁師が保管していた貴重なものです。








同様に、筑後川の初夏の風物詩であるエツ漁も衰退してしまいました。


エツの漁獲量は1980年代までは100~110tで推移していたそうです。しかしその後20tまで落ち込み、2016年には10t程の漁獲量しか無かったそうです。

ある漁師は、筑後川下流域で取れたシジミは1日の漁でサラリーマンの数日分の収入になったと話していました。

また、筑後川下流域が軟泥質化した泥が大水の際に有明海へ流れ込むことで、浮泥となり堆積し底生動物に悪影響を与えています。

それとは対照的に筑後川の上流では、砂が堆積しアユの餌場が埋まってしまった場所もあるそうです。下流では必要な砂がなく、上流では不要な砂が溜まる。川の機能が正常に作動していないのでしょう。


現在、筑後川や有明海の漁業は悪化の一途を辿っています。乱獲や諫早問題など、原因は数多くありますが、有明海に大量の水と栄養塩類を供給する筑後川の変調はその大きな要因です。

アリアケヒメシラウオの減少は、なにも“アリアケヒメシラウオのみの減少”ということではなく“アリアケヒメシラウオを含む筑後川に棲む多くの生き物たちの減少”を示しています。

複雑に絡み合った生物多様性の中で、無関係な生き物などいないのです。

一見それほど重要ではないように思えるかも知れませんが、アリアケヒメシラウオが絶滅してしまうような筑後川では、きっとエツやクルメサヨリ、そして多くの生き物が消えていくでしょう。

そういった生き物の減少は、漁業や周辺の食文化に大きな影響を与えます。“豊饒の海”だった有明海が荒廃し、漁師町や産業が廃れてもなお、これらの生き物の減少が私たちに無関係と言えるでしょうか。
(かつて貝類が大量に採れた有明海沿岸では缶詰産業が盛んだったそうです。しかしながら、貝類の消滅とともにそれらの産業は廃れてしまいました。)

筑後川の特殊で限られた環境にしか棲めないアリアケヒメシラウオは、その環境の悪化を私たちに教えてくれています。













かつての日本は豊葦原中国と呼ばれていたそうです。そのころは豊かな葦原が茂っていたのでしょうか。筑後川下流域には写真のような葦原がまだ残っていたりもします。きっと昔は、どこもこんな感じで、葦原の中には無数のカニがいて、ウナギも沢山捕れたのでしょう。

生き物の減少は、もちろん経済的な問題もありますが、生き物好きの私にとっては“アリアケヒメシラウオ”という“世界中でここだけにしかいない”が、私たちの地元・筑後川にいつまでもいて欲しいというのが本心です。

豊かな自然があって、そこから多くの生態系サービス(漁獲資源や葦原や干潟の水質浄化機能など)が受けられれば、こんなに良いことはありません。

まあ、何にせよ現在進行形で進化を遂げているこのアリアケヒメシラウオ、氷河期から続く命の物語を後世まで伝えていきたいものです。