こんにちは。

 

株式会社Aria(アリア)でございます。

 

お盆が明けて1週間ほど経ちました。

 

今年は早い方だと87日から15日までお盆休みを取得された方もいらっしゃると聞きます。

 

長期休暇を取ってしまうと、休み明けの仕事がつい憂鬱になってしまう方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

 

そんな気持ちを少しでも払拭できるよう、今回はバイタリティに溢れた日本の歴史上の人物を紹介したいと思います。

 

皆さんは渋沢 栄一しぶさわ えいいちという人物をご存じでしょうか。

 

現在放送中のNHK大河ドラマ「晴天を衝け」をご覧の方はご存じかと思いますが、明治から大正時代にかけて躍動し、「近代日本経済の父」とも称される実業家です。

 

現在の1万円札と言えば福沢諭吉の肖像画が有名ですが、2024年からおよそ40年ぶりに1万円札の新しい顔となることで一時期話題になりました。

 

明治から大正にかけて様々な会社の設立に携わり、その数はなんと470社にのぼります。

 

ここまで多くの会社の設立に携わった人物は、国内外問わず他に存在しません。また、設立した会社は今でも現在の日本を支える有名企業であるところも注目すべきでしょう。

 

以下はその一部ですが、現代においてもその存在が広く知れ渡る名の知れた企業ばかりであることから、改めて彼の功績の偉大さが分かるかと思います。

 

・第一国立銀行(現在:みずほ銀行)

・日本鉄道(現在:JR東日本)

・帝国ホテル

・東京海上保険会社(現在:東京海上日動)

・田園都市株式会社(現在:東急電鉄、東急不動産)

・東京瓦斯会社(現在:東京ガス)

・東京株式取引所(現在:東京証券取引所)

・大阪紡績株式会社(現在:東洋紡)

・抄紙会社(現在:王子製紙、日本製紙)

・共同運輸会社(現在:日本郵船)

・清水組(現在:清水建設株式会社)

・日本放送協会(現在:NHK

・株式会社日本電報通信社(現在:株式会社電通グループ)

・養育院(現在:東京都健康長寿医療センター)

・秀英舎(現在:大日本印刷株式会社)

 

 

そんな渋沢栄一の生い立ちについて調べてみました。

 

彼は1840年(天保11年)213日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)の農家の長男として生まれました。

 

生家は比較的大きな農家であり、幼少期は父親から手ほどきを受け、7歳になってからは論語学者の元で学問を学びました。

 

また、父と共に信州や上州を訪れ、家業である藍玉を売り歩いていたほか、14歳の頃には独り立ちして、自ら藍葉の仕入れに出かけるようになったそうです。

 

その後、22歳で江戸に出てからは儒学を学ぶ傍らで勤皇志士との交流を持ち、一時期「尊皇攘夷」の思想にも目覚めたそうです。

 

その思想の激しさは、親に勘当されてもなお、高崎城乗っ取りや横浜外国人居留地焼き討ちを企てるなど、今では到底考えられない過激なものであり、同じ尊王攘夷論者からも批判されるほどだったそうです。

 

幸い、親族の懸命な説得により計画は直前で中止になりましたが、その後京都に向かった渋沢は一橋慶喜と出会い、彼の家来となりました。

 

そして慶喜の15代将軍就任に伴い幕臣となった渋沢は、後にヨーロッパ渡航を経験し、各地で先進的な産業・諸制度を見聞きすると同時に、近代社会のありように深い感銘を受けたとされます。

 

大政奉還後に伴い帰国後は、主君・慶喜の元に留まることを望み静岡藩に出仕していましたが、程なくして明治新政府からの招状に伴い民部省(後に大蔵省に統合)に入省、それから約4年間、官僚として創成期の明治政府に携わりました。

 

34歳で大蔵省を退官すると、日本最初の銀行である第一国立銀行(現:みずほ銀行)の設立に携わり、頭取となります。

 

そしてその後はいくつもの事業会社の創設に力を入れ、生涯をかけおよそ470社もの企業の設立に携わりました。

 

渋沢栄一は会社設立だけでなく社会事業、福祉事業の設立にも大きく携わっており、生涯で関わった教育・社会事業の数は600以上にもなるそうです。

 

一例を挙げると、教育面においては商法講習所(現:一橋大学)創立に携わり、後に実業界で活躍する人材を幾多も輩出したほか、日本女子大学校(現在の日本女子大学の前身)設立にも貢献し、3代目校長も務めました。

 

また、医療面では、東京慈恵会・日本赤十字社などの設立にも携わりました。

 

 

いかがでしょうか。

 

彼の生涯を辿ってみると、幼少時から学問に秀でるだけでなく、14歳の時点ですでに独り立ちして働くなど、若くしてその商才を遺憾なく発揮していたことが伺い知れます。

 

また、20代の一時期は尊王攘夷論を掲げ、倒幕に向けて激しく邁進したものの、ふとしたきっかけで徳川慶喜と出会い幕臣となったかと思いきや、大政奉還後は明治政府の官僚になるなど、その身のこなしはある意味、「処世術に長けている」とも言えそうです。

 

しかし何よりも特筆すべきは、34歳の若さで第一国立銀行の頭取となり、その後470もの企業設立、600以上の社会事業に関わったバイタリティでしょう。

 

そして明治維新後の日本経済の目覚ましい発展は、その礎を作った渋沢栄一の存在なくしてあり得なかったのではないかと改めて思います。

 

事業に対する人並外れたバイタリティの源ははたして何だったのか―次回は渋沢栄一の事業に対する考え方についてご紹介したいと思います。

 

 

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