とある日のお散歩、
とある瞬間に、立派に線引きをしたチューリップがありました。
自然のツートーンカラーです。
植物で見かけた時、思わず
わあ
とか
すごーい
って思っちゃったり声に出ちゃうと思うけど、
これが人間だったら?
肌の色が違うだけで、能力が変わるかもとか、強そうとか、そんな事思われたら迷惑な感じがするし、内面的なものでいったら、見た目と違うからって、曖昧な態度で接されてもなんか、モヤァって受け取るし、
ひとつ、いっかしょ、ほんの少し違うからって、悪いことしてないのに仲間外れにされても、噂にされても困るんだよね。
この写真のチューリップの白い部分を私に置き換えると、【冗談がわからない】に当てはまると思ったんだよね。
でも、この白い部分を同じような色味で塗っていたら、それはそれは、とても重く苦しくて、引きっった顔にしかできなくて、胃が痛くなるんだよね。
私には通用しない言語みたいなものだから、隣の人がお笑いで笑っていても、左右の人たちが笑っていても、私は真顔で意味を考えてるなんてこと、あるんだよね。
面白くないと思ってるんじゃなくて、理解に辿り着けないから、反応できないのだよね。
周りと同じ色味になろうと塗りたくっても、いつかは落ちてきて、周りに責められる日が来たとかも、あったなぁ
そんな違いは、植物だと簡単に受け止められたり、認めてもらえたり、いろんな明るい方角を向けるのになぁって、すこし哀しくなっちゃったの。
髪の毛の色が違うくたって、指の長さが違うくたって、どうにもならないものを責められたり聴かれるのって、苦しいなぁ…
自由っていうのは、
お互いの胃が痛くならないことなのかもしれないね。
多数派の会話に合わせるために、私は腹痛を、幼い頃から毎日のように持っています。
私の話し方は、少し違う。あと、発想が止まらなくて、止まらなくて、逆に置いてきぼりにしてしまったりして、でも、そんな私の脳みそを
『脳みそ交換して欲しいくらい、羨ましいコミュニケーション能力だね』って言われた事もあったりねセリフが怖いよ〜
私のように、何が違うと言うことは、一目置かれやすいということは、孤独といつも隣り合わせ。
自由に喋れる、そんな環境は大事です。
誰だって我慢したり、引っ込ませてるものはあると思うけど、冗談がよくわからないのに、そこで真剣に考えてしまって、意味を深掘りするゲームを1人で初めてしまう私は、渦巻きの人間の中で過ごしている、それは見た目じゃわからない[しょうがい]を持つ傷み(いたみ)なんですよね。
傷だらけなんです。
冗談のほかに、
言葉のアヤという単語も、つい最近初めて知りました。
紐を使って遊ぶ
あやとり?とか思っちゃいましたけど、面倒くさいと言うか、そこまで関心がないので意味は調べていません。
【冗談】を真剣に調べてもぶっ倒れ寸前の負荷がかかってしまったので。あえて、調べることしません。
オヤジギャグが言えること、私にとっては喜びの強いレベルなんです。私はそれさえ返せれば良いかなって。
【冗談は万国共通だから、言葉のアヤってやつも万国共通かもしれない】私はそんな認識になってしまいました。
言葉のアヤとり
お笑い番組でやってたんだもん。
笑ってないから、つまらないとは限らない。
そんな単語もあることを、心の隅っこのコレクションにでもしてくれたら嬉しいな
ありがとう