こんにっちはー
ある程度、忙しいながらも、新しい出逢いを楽しんでいる私ですが…
身近な人で、数ヶ月会っていなかったり、写真とかで顔を見てなかったりすると、だんだんと相手の顔を忘れてきてしまうことが…(よく)ありますぺこり
相手の笑顔も思い出せなくなって、顔の立体的なイメージも思い出せなくなってきたり…でもね、声は思い出せる事は多いんです。
声か、顔か。肩幅か…
なんだか人を部位で記憶してしまうクセが私にはあって、原点は絵を描くことのクセだと思うのですが…
だから、顔全体として、頭全体として、上半身全体として…じゃなく、鼻は鼻(影も含め)、目は奥行きまでとか、
カメラのアングルを各場所ドアップで、ぐーるぐる
声は、声という部分。
ひとつひとつのパーツを組み合わせて…って、なんだか福笑いみたいですね
観察するのが好きで、観察するクセが抜けない私の事なので、ホンモノに会えた時には、こりゃまたパーツごとにじぃ…と見てしまって、会話が上の空ーなんてことも、いま告白しておきますぺこり
自分の記憶と、目の前にいるホンモノの人を、照らし合わせないと次に進みづらくて
情報照会が完了すれば、会話が弾むでしょう(たぶん)
相手との距離によっては、爪の先の光まで観察し出しちゃったり
爪の白い部分まで、順番に見だしちゃったり
すみませんね性分なので
子どもの頃から絵を描くのが好きで、幼いうちから陰影を描き出しちゃって大人に引かれたりなんかして…そういう目をしているもんですから、相手を知りたくて、夢中になって、我に返ってと
心の中では、視線が突き抜けないように
がんばっています
じぃと知らず知らずのうちに何かを観察しだしちゃうのは、特性もあると思うんですけど、観察する事で、色付きの写真みたいに頭の中で整頓しやすくなるんですよね、わたしはね。(直接会った人に限ります)
相手の名前、髪の色、目の形、顔の輪郭、首筋から肩の形とか…全身の把握というか、そんな感じになっているのでしょう。
アレ、ソレ、あの人
そんな言葉を使って、出逢った人たちを指差したくない。
もし、私の事を知る人たちの中で、『ブログ書いてるハッタツノひと』って出だしになっても、たくさんいると思うから、ちゃんと、名前と顔くらいは思い出せるようにしてくれたら嬉しいな、なんて
そんな思い出してもらって嬉しいな
を感じる時って、うれしいよね。
あそこの社長
じゃなくて、
ちゃんと名前で呼べるように、私は努力しています。
だから、目上のひととか関係なく、名前で呼んじゃって、まわりにビックリされたりする日もあったりね。
先生って呼ぶのは、実は子どもの頃からモヤっとしていて、みんな振り向いちゃう。だから、名前を呼びたい。気に入ってもらえなかった時には、名前は無しにしてました。名無しですね…
へんな例えかもしれないけど
がっこうの
テスト、
名前/〇〇学校、何組の生徒
とは書かなかったよね、ちゃんと自分の持っている名前を書いたよね。
音声で言葉を話すとき、そんなふうにしたくないから、私は、どの立場でも名前を呼びたい。
そうしたら、笑顔のある記憶になれるから。
そんな感じで、あだ名もあまり
私は好きではありません。
重なってしまうと、困るからね
本当の名前を忘れたくない理由もあるんだよ。
「なにかあった時に、正しい名前を病院の人に伝えられなかったら、どーうしよー」って考えちゃう。
ひらがなでもいいから、正しい名前を、私は呼びたい。
わたしと直接会ったことのある人たちは、
このブログで使っている名前だったりするけど、あだ名の人って、居ないのが、私は嬉しい。
きちんと向き合ってくれているんだなって感じるから。
わたしは
『すみません』でもなければ、
『ちょっと』でもなければ、
『そこのあなた』でもありません。
むしろ、それだと自分だと気づかなくてスーーーッと遠くに行ってしまうかもしれない。
『お姉さん』とか『奥さん』っていわれても、モヤッとしちゃうけど、場所によるのはわかってる。
でも、やっぱり初めましてを経験したら、名前で呼び合いたい。間違えちゃったら、素直に謝って、覚えたい。
同じ名前だったりしちゃった時には、相手の容姿が混乱してドッキングしちゃうこともあるけど、喋っていたら、そのうち
【照会完了しました】ってなってくるはずだから、きっと、だいじょうぶ
なんだか、よくわからない感じのブログになっちゃったけど、そんな日もあるさ。
いつも
ありがと