忘れてもいいよ ~アルツハイマーの夫との日々~ -4ページ目

忘れてもいいよ ~アルツハイマーの夫との日々~

2004年12月に53歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された夫と ネコ3匹とのささやかな生活の記録です。

先週、あの「桜、猫、電車」を含む、記憶力の検査を40分位かけて色々しました。


昨日、三ヶ月ぶりの診察で、結果をききました。


先回は半年程前でしたが、ほとんど、点数的に変化は無いとのことでした。

一番悪かったのは、初診のころの2年9ヶ月前で、その後は全てそれより上回ったままです。


先生は、アリセプトがまだ効いているのと、今の生活が功を奏しているのでしょうと云われました。


家族の接し方も大切で、無駄なストレスがない接し方が出来ているのでしょうと。


「気をつけます。」 と、言ったら、先生があわてて、


「あっ、たまには夫婦げんかはしても良いですよ。うちもしますよ。」 と。(笑)



分かっていますよ♪


でも、うちは、夫婦げんかは今までもほとんどありません。

なにせ、我慢強いのです・・・・・ トッピーが (^。^;)



トッピーに頼めることは、何でも頼みます。

話したいことは、何でも話します。



ただ、頼んでも忘れているなと思ったら、私もリセットしてまた「初めて」頼みます。



話も、前のことを思い出しやすいように、ポイントは途中であらすじのようにさりげなく繰り返し言いながら先に進むといいようです。



娘に診察結果を話したら、


「あんまり、変わらないと思っていたけど、気のせいじゃなかったんだね。良かった♪」



毎日、一緒に過ごしていると多少は物忘れがさらに多くなったかな?と思うこともありますが、トータルで見れば、この、三年間ほとんど変わらず過ごせているのは感謝です。



これからも、トッピーにとっても、家族にとっても いい日だったと思える毎日を積み重ねていけたらと思います。 ラブラブ






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今日は仕事はお休みです。

父のお見舞いも行かないでよいことになり、トッピーが海を見たいと言うので、昼12時出発で今、犬吠崎にいます。


この夏初めての海です。
天気も良く、風が爽やかで、海水もきれいで、泳ぐには少し冷たいですが、岩場をサンダルで歩いて足を冷やすのには丁度いい感じです。

片道4時間、海で2時間、帰りは??

混まないと、いいのですが…


次の休みは、一週間後。その日は、トッピーの病院の検査に行きます。


夏休み最後?(元々夏休みってあったっけ(笑)の思い出ができました♪

昨日は、トッピーと夕方に家を出て、父のお見舞いに行きました。


家を出るときに実家に電話をしても留守だったので、母は病院だと思ったのですが、一応実家の前を通ってみたら帰っていました。


金曜から普通病棟に移ることができて、面会時間が長くなったの今日は午前中から行って、父が昼食を食べる手伝いをして、夕方に戻ってきたそうです。


母は今日はもう行かなくていいというので、トッピーと二人でお見舞いにいきました。


病室に行くと、丁度いとこが来ていて、父と話していました。

顔色もよく、血圧や血中の酸素量も良いようでした。


まだ、鼻からの酸素吸入はしているのですが、調子が良いと鬱陶しいとはずしてしまっているときがあるのですが、はずすとやはり、血中酸素量が不足するようで、看護士さんに見つかると注意されるそうです(無意識にやっているのではなく、確信犯です ^。^;)


話も普通にでき、十月には北海道旅行を申し込んであることも覚えていて、どうやら、行くつもりでいるようです。


車椅子対応のツアーなので、車椅子に座れれば行けることは行けるのですが、母とはキャンセル料が発生しないギリギリまで様子をみようと話しています。


無理なようなら、父ががっかりしないように、時期を遅らせて、冬でも行ける方面の旅行を計画しようと思っています。


帰るとき、身体の位置を直すのに足を触ったら、前より細くなっているように、感じました。


一週間歩いていないのせいか、私の気のせいか・・・・・


帰りにもう一度実家に寄り、父の様子を母に話してから帰ってきました。



母も色々な用事が一気に増えてお疲れ気味です。



夜は、父の様子を心配しないでいいので、かえってぐっすり眠れると強がっていますが、、、



トッピーも父や母と会話して、帰りに生ビール付きで食事をして帰ったので、ぐっすりでした。


しばらくは、私の休みは、父とトッピーの病院通いで埋まりそうです。


昨日、母とICUにお見舞いに行くと、看護士さんのステーションのスペースの前で父が車椅子に座っていました。


鼻からの酸素吸入はそのままだが、顔色もよく、お昼ご飯もここで車椅子に座って食べたそうです。


3~4時間車椅子に座っていたようで、その後ベッドに戻り、看護士さんが、テレビを観たいなら持ってきますよと言ってくれたのでお願いしました。


到着したテレビは、歯医者さんにある口の中を照らす照明に似ている、角度を自由に変えられるアームの先に小型の液晶テレビが付いているようになっています。


ベッドで仰向けに寝ていても顔の前に画面を持ってこられる優れもので、思わぬ所で時代の流れを感じました(笑)


ICUは原則飲食物は持ち込み禁止なのですが、父が飲みたがっていたコーヒーと、お寿司を2~3個こっそり食べさせて、私たちが帰る頃にはテレビを点けたまま、ウトウトしはじめていました。


ずっと、寝ていたので、久しぶりに車椅子に座って疲れたのでしょう。


出来て当たり前だと思っていたことも、出来なくなると、それがどんなに素晴らしいことだったのかがわかりますねぇ。



母は、今はまだ緊張していて、あれもこれもと用事があるので動き回っていますが、母も体調を崩さないかと少々心配です。


「一人で頑張っちゃだめだよ。」


昨日もそう話して帰って、やり残していた急ぎの仕事があったので深夜に職場に行っていた間に母からの留守電が入っていていました。


自分だけが頑張って、他の人に迷惑をかけないようにと思っていたけど、それでは、かえって、父も寂しい思いをするかもしれないと思ったこと。

息子(私の兄)家族にも 大丈夫だから、忙しいんだから来ないでいいよと言ったけれど、来てくれれば父が喜ぶので、お見舞いに顔を見せてと電話をしたと言っていました。



そうだよ。


家族なんだからね。


迷惑だって、どんどんかけていいんだよ。


何も、言ってくれなかったら、それこそ、淋しいよ。汗


誰かに、助けてもらえたら嬉しいけど、音譜


誰かの助けになれたらもっともっと嬉しくて幸せでしょ。ラブラブ



だから、お母さん。


これからも、あれして、これしてと言って、私たちにも幸せを分けてね。ドキドキ



日曜日には、トッピーと二人でまた行きますね。車







二ヶ月に一度ほど、私の両親とトッピーの四人で外食をするのが恒例となっています。

13日も、仕事が休みだったので、実家に行って両親と車椅子を乗せて食事に行くつもりで電話をしました。



「もしもし、今日は何か予定ある?これから、行こうと思うんだけど」



「う~ん。実はおじいちゃん入院したの。」



「え~!」




父は外は車椅子ですが、家の中では柱や壁などを利用してつたい歩きをして移動できました。



それが、木曜日に身体の動きが悪くなり、それでも、這って自力でトイレに行こうとして、もともと足が不自由なのでうまく這えず、転んで(?)右手の小指と薬指を骨折してしまいました。



翌日、骨折の治療はしたのですが、土曜日になってますます身体の動きが悪くなり、

二階に上がる椅子式の昇降機にも乗れなくなり、近くに住んでいる私のいとこに来てもらってなんとか二階の寝室のベッドに寝かせたのですが、いとこを送りに母が下に降りたわずかな時間に父は、ベッドの横にある簡易トイレに座ろうとしたらしく、床に座った状態でまた動けなくなってしまったそうです。



それで、まだ居てくれたいとこと相談して、夜中に母一人の時にまたベッドから降りてしまったらどうにもならないので、土曜の夜に救急車で入院したそうです。



原因はまだはっきりしていないのですが、そのとき、すでに熱もあり、入院したあと39度台まであがったようです。



それで、身体が動きにくく、意識も多少混乱していたのでしょう。頑張りやの父はいつも出来たことができなくて、いらいらもしていたたようです。




母は、大丈夫だからとまだ言っていましたが、大急ぎでトッピーと実家へ行き、母を乗せて病院へ行きました。



父はICUで、鼻から酸素吸入、点滴、心拍数を管理する為と思われるコードがつながれて、右手の指二本は曲がって、手全体が紫色という状態でした。



熱のせいか、若干話していることが、変なところはありましたが、まあ、思ったよりはしっかりしていて、ホッとしました。




丁度、行ったときに主治医の先生とケースワーカーの方から話を聞くことが、できました。



心臓と肺の機能が低下していること、入院している間に歩けなくなる可能性もあることも含めて、現在の状況を聞きました。



医師が家族に決定してもらわなければならないこととして、主に三つのことをきかれました。



一つ目は、いつ、病状が変わるかわからないこと。それで、自力での呼吸が困難になったときに、人口呼吸器を使用するか、また、心停止したときに、心臓マッサージをするか、つまりどの程度の延命措置を家族としては希望するかということです。



二つ目は、ここは救急病院なので治療が終わった時点で退院しなければ、ならないが、家で介護を続ける意志があるかということ。



三つ目は、家で介護が出来ない場合どうするか、ということです。




母は過度の延命措置は断っていました。



今後のことは、父の回復の状態をみないと、なんとも言えないのが現状ですが、家で看るとして、一階だけで生活できるようにするとか、ある程度の設備を新たに整えなければならないと思います。



母は出来るなら、父が家で暮らすことを、希望しています。



でも、救急病院からダイレクトに家に帰るのは無理と判断し、とりあえず、数ヶ月待ち覚悟で、介護老人保健施設に予約をし、予約の順番が回ってくるまえに今の病院を退院しなくてはならなくなった場合、老健に入所できるまで入院できる病院を紹介してもらうということに、しました。



その間に、父がまた、家で暮らせるように平衡して改築もする予定です。




私として、最も心配なのは、母です。




母自身、もう高齢で、以前に骨折して自分も障害者手帳を持っています。



今までは、ヘルパーさんに来てもらうこともなく、デイサービスも利用したことがありません。






実質、本当に一人で27年父の介護をしてきました。






でも、これからは色々な助けを借りて行かなければ、母が倒れてしまいます。






父は右半身マヒで左半身も右よりは動きますがやはり、マヒがあります。傍から見たら、やっと動けるくらいの状況です。




なのに、驚いたことに、介護認定は「要支援2」だったそうです。






父は、時間がかかっても、頑張って頑張って、一人でトイレにいき、左手にフォークやスプーンを使って食事をし、お風呂も見守る程度で手すりをたよりに何とか入れていたからだそうです。






医師はこうも言いました。



「かろうじてでも、自分で排泄と食事が出来たら、認知症が認められない場合は介護度は低くなることが多いです。」



何だか、私としては複雑な思いです。




昨日は、病院に行く前に区役所に行って、介護認定の見直しの申請をしてきました。



母自身ヘルパーの仕事はしていますが、これから、父のためにどう利用していくか、一緒に考えて行こうと思います。




「これからは、一人で頑張っちゃだめだよ」



「そうね。」






帰りに、家の前で、私の車が曲がるまで見送ってくれる、母の姿がいつもよりもっと小さくにじんで見えました。



「私が手伝うよ」と言いきれない状況が辛かった。