忘れてもいいよ ~アルツハイマーの夫との日々~ -3ページ目

忘れてもいいよ ~アルツハイマーの夫との日々~

2004年12月に53歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された夫と ネコ3匹とのささやかな生活の記録です。

年金関連のキーワードで訪れて下さったかたがおられるようなので、たいした参考にはならないかもしれませんがその後を・・・・。



トッピーが若年性アルツハイマーと正式に診断されたのは、2004年12月です。2003年9月に退職してから厚生年金から国民年金に変わりました。



まだ、働いている時にも、何かおかしいと思ってMRIの検査をしたことはあるのですが、特に問題ないと言われました。


会社の退職理由も会社側の都合のリストラということで、トッピーの他にも同じ時期に数人退職しています。



で、今更なのですが、



もし、会社が、物忘れなどで、仕事に支障をきたしていると言ってくれて、詳しい検査をする時間があったなら、国民年金ではなく、厚生年金の障害年金を受給できたかもしれません。


若年性アルツハイマーとしての初診のときにどちらの年金に加入しているかで障害年金の請求先が決定します。


詳しく調べると凹みそうなので調べていませんが、、厚生年金のほうがかなり支給額が多いようです。



まぁ、それは置いておいて・・・



初診からおよそ一年半後に障害年金の申請ができます。



まず、市役所に行き書類をもらい、診断書は我が家の地域の場合は精神科医の診断書が必要で、そのためだけに、精神科の診察を受けたことは以前ブログにも書いたとおりです。



そんなこんなで、仕事の忙しさもあり書類を揃えて、市役所に提出したのが、2006年11月です。



国民年金裁定通知書が来たのは2007年4月。



実際の支給は2007年5月に2006年11月にさかのぼった約半年分が第一回分としてまとめて、振り込まれていました。




で・・・




ここでも、もし、最短の2006年6月にパパッと書類を揃えて提出していたらもう5ヶ月程早く貰えていたことになります。



支給してくれるのは、あくまで申請した日が起点ですよということです。




我が家はこの春予定通り、蓄えの底が見え始め、給料日前の通帳はATMで下ろせない3桁になり・・・・



細かい「損」はあるものの、障害年金のおかげで、なんとか夏のボーナス払いのローンも乗り越えられました。




今は、自立支援医療制度の申請をしようと思い、病院に書類を預けてあるのですが、受け取りに行けずにいます。(汗)



今月末の診察の時になりそうです。



こういうことは苦手で、つい後回しにしてしまっていましたが、収入も時間も限られているからこそちゃんと利用させてもらおうとは思っています。



こんな私が偉そうなことは言えませんが、もし、若年性アルツハイマーを疑っていて診察をためらっているかたがおられるなら、進行を遅らせるためにも、障害年金その他の支給をうけるためにも、早く診察を受けられることをおすすめしたいと思います。


在職中で、厚生年金加入の方は特に、退職を迫られる前に診断を受けておいたほうが、経済的には有利だと思います。










休みがなかなか合わず、お見舞いに行き損ねていた娘と父のお見舞いに行きました。

トッピーは、夜に用事があるので今回は留守番です。


出かける前に実家に電話をしたのですが、母は留守のようでした。


病院に行っているのかなと思い、途中で父の好きなお寿司を買って、昼頃病院に着いたのですが、母はいませんでした。


父に聞くと、茨城の病院に入院している叔父のお見舞いにいったとことでした。


先回のお見舞いから半月程経ってしまったのですが、大分スリムになっていて、ベッドに寝ている状態から起き上がり、足をベッドから下ろして座るという動作をひとりで、すんなりと出来るようになっていました。


食事は食堂に行って皆さんと一緒に食べるのですが、お迎えが遅いと自分で車椅子に乗って行ってしまうそうです。


「すごいねぇ~。随分ひとりで出来るようになったね。」


「うん。ただ前に一歩が出ないんだよ。片足で支える瞬間に膝が痛いんだ。」


膝の軟骨が減って骨同士が動いた時に直接ぶつかってしまうそうです。

何か解決策があるといいのですが・・・


父は娘が来たことをとても喜んでくれて、お茶や、お見舞いに頂いたお菓子もありったけ出して歓迎してくれました。


娘ともしばし歓談し、一時間ほどで帰りました。

帰り道娘が、


「おじいちゃん、元気そうでよかったわぁ~。

記憶力もバッチリだね。やっぱり、おとんのほうが危ないわ(笑)」


「そうだねぇ。でも、おとんも今の生活では困るというほどのことはないので、ありがたいよね。」


「うん。まぁ、困るといっても、シメジが毎日1パック増えるとか、キムチが常に冷蔵庫にあるとか、私の分のお菓子がなくなるくらいだもんね。(笑)」


「トッピーは自分の分を食べたかどうか忘れちゃうだけだから、大事なお菓子やケーキには名前を書いておけば?」


「そうだね。まぁ、そこまでして阻止したいものもめったにないけどね(笑)」


そんなこんなを話ながら、半分帰ったところで母から電話があり、今帰ったのでこれから父の病院に行くとのことでした。


1日には東京でひとり暮らしをしている息子がお見舞いに行って、今日娘も行けてようやく全員顔をみせることができました。


孫の顔を見るだけで喜んでもらえて、私たちも元気な様子に安心しました。 音譜




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10月15日の夕方の喜連川温泉郷の川です。

川の名前は「喜連川」ではなかったような…?

子供達が小さい頃はここでバーベキューをしながら川遊びをしたお気に入りの場所です。

15日から一泊で那須に行ってきました。

途中、喜連川温泉の川に立ち寄り、釣りをしている人を見たり、川の中をのぞいたり、流れをぼ~っと見たり・・・



一応、釣竿は持って行ったのですが、トッピーやる気なし。(笑)

スケッチブックも持って行ったのですが、トッピー描く気なし(笑)



途中、趣味のスーパー巡りをしながら早々に那須のホテルでのんびりまったり。



今日は、今回の目的地である茶臼岳の紅葉を観にいったのですが、うちのかわいいターボなしの軽自動車が頑張って山を登るにつれ、どんどん霧が濃くなってきました。ライトも点灯し、ロープーウェイ乗り場の駐車場に着いたときには、三台先に駐車している車も見えないほどで、真っ赤に紅葉しているであろう景色はもちろん、ロープーウェイの駅もどこだかわかりませんでした。



まぁ、雲の中に入るという経験も普段はできないので、よしとして20分程で雲見物は終了して降りきました。


雲がかからない高さの木々はまだ紅葉していませんでしたが、自然の中のドライブは快適でした。



「まだ、紅葉には早かったな」



「ちがうよ~。ネットで調べたら上のほうは見ごろだったので来たんだよ。あの雲の中は紅葉しているはずだったの。」



「そうか~。残念だったな。」



那須は以前から毎年のように来ていて、大好きな場所です。


緑が豊かで、確かお店の看板なども景観を損なわないように色使いなどのルールがあると以前聞いたことがあります。



娘へのおみやげはおいしいチーズケーキと、藁で納豆菌を発酵させた藁包みの納豆にしました。



おみやげ屋さんやスーパーでトッピーが


「ほら、干し貝柱があるよ」とか、


「あんずが売ってるよ。すきだろ?」


と、私が好きなものを見つけると教えてくれました。


「えっ、私が好きなもの、よく知ってるね!」


「あったりまえだろ」と。


あまりそういうことには無頓着な人だと思っていましたが、さすがに27年も一緒にいると言わなくてもわかっていたようです。


そんな、ちょっとした会話が嬉しいんですよね。



来週からしばらくまた忙しくなりますが、トッピーと一度くらいは本当に紅葉を観に行きたいと思っています。






9月19日に父は救急病院から、リハビリの整った実家の近くの病院に転院しました。

治療というよりは、支えられて立ち上がったり、ベッドや椅子から車椅子に移動する動作の訓練をしているようです。


救急病院のリハビリはたいしたことをしてくれなかったようです。

母は、ここに長くいたら、歩けるものも歩けなくなってしまうとやきもきしていたので、一安心です。


とりあえずは3ヶ月をめどに、家に戻れるかどうかはどの程度回復するかにかかっている状況です。


父は足腰以外はいたって元気で食欲もあり、冗談まじりに、もう病院は飽きたから来月には帰ると言ったりしています。

お見舞いに来てくれた親戚の話や病院での出来事もよく覚えていて話してくれます。



さすがに、10月に申し込んでいた旅行はキャンセルしました。

同じようなツアーはまた春に計画があるということなので、それに行くか、別のところに私たちと行ってもいいんじゃない?ということになりました。





母はもう、27年も父の介護を続けている訳ですが、いつも、父を第一に考えていて本当に頭が下がります。


27年前に父が頭蓋骨骨折をして、救急病院に運ばれた時、母は先生に

「出来ることは、何でも、して下さい。お金はありますから大丈夫です!」

と、きっぱり言い切って頼んでいました。


20代の私は心の中で『家にそんな大金あるの???』

とびっくりしました!


二人きりになったとき、

「本当にお金、大丈夫なの?」と聞くと


「お父さんさえ、助かったらなんとでもなる。とにかく、出来るだけのことはなんでもしてもらうから。」と。


その時父は、緊急開頭手術を受け、ICUにほぼ1ヶ月いました。他の人は1~4日程で普通病棟に移って行くのがほとんどでしたから、かなり重症だったのでしょう。


ICUは一回の面会は5分の決まりでした。


毎日通っていたある日、父のベッドの側の薬を入れてある、冷蔵庫の前で二人の先生がどの薬を使うか話し合っているようでした。

聞くともなしに聞こえてしまったのですが、一人の先生が

「この患者さんは、費用の方は大丈夫と言われています。」

と、言っていました。


何せ、27年も前のことですから、少なくとも当時は今よりももっと脳外科の治療は手探りだったのかもしれません。

保険のきかない高価な薬もあったのでしょう。


そのとき、費用の心配はしないでと言った母の一言が先生方の治療方法の選択の幅を広げたかもしれないと、思いました。


父は色々ないわゆる不幸中の幸い的なタイミングとかもあって、助かりましたが、もしかしたら母の一言で使う薬が違っていたらどうだったのかなと今でもふと思うことがあります。


勿論、当時の医療費は払い終えてます。(笑)



私にとって、両親の人生そのものが「介護」の原点となっています。



今日も母は父の喜びそうなおかずを少し持って毎日病院に行ったようです。

父も母が来るのを心待ちにしています。

父も家に帰りたいし、母も家に帰って来てもらいたい。


ぜひ、二人の願いを叶えてあげたいです。


父は要支援2からいきなり要介護4になりました。

母はそんなに悪いのかと泣いたそうです。


でも、それは、使える介護サービスの幅が広がったと考えるて、入浴などの介助やデイサービスをうまく利用するなら、家に帰ってもお母さんの負担が少なくて済むんだよと話ました。


先のことが、まだはっきりしませんが、私も両親にとって一番良い方法を考えようと思っています。


この一ヶ月余りは父のお見舞い、トッピーの病院、私の人間ドック、それににゃんこの動物病院2回と病院三昧と仕事は残業三昧で終わってしまいましたが、トッピーと一緒の時間もかえって多くてそれなりに、充実してたようにも思います。 病院 車