このブログ、読んでくれてた人はいるのだろうか。
いつも不安定で変なブログばかりあげてごめんなさい。
ブログ更新しなくなってから3ヶ月くらいかな?
6月中旬
父が、亡くなりました。
最後の方に最期の様子を書いてます。
小学生の頃から父が怖かった
会えるのは週の半分くらい
その日が嫌だった
あぁ、今日はお父さん帰ってくる日かぁ
とか思ってた
中学生くらいになると、怖いに付け加えてめんどくさかった
酒飲んで、母と喧嘩するのも嫌だったし
それに巻き込まれるのも嫌だった
いま考えれば、あの頃から父は少し鬱病みたいな感じだったのかも知れない
飲まないとやってられなかったのかもしれない
それでも、たまに優しくしてくれることはあったし
完全に反抗期を迎えることもなかった
18で家を出て県外へ
大学卒業のとき、就職してから
父はずーっと帰ってこいと言っていたけど
田舎が嫌で
両親と暮らすのが嫌で
地元には戻らなかった
父の癌が発覚する数ヶ月前
出張で私の家の近くに来た父
帰ってきてくれない?
はじめて お願い された
帰ってこい、ではなくて、帰ってきて と
なんか、父も年取ったんだなぁ、と漠然と思ってしんみりしたけど
それでも、帰れません、と答えた
この時帰ってあげればよかった
父は少し体の調子が悪いって感じてたみたいだった
その数ヶ月後
父が癌と診断された
しかも初期ではない。
仕事中、滅多に連絡こない母から連絡がきて… 慌てて出た
泣きながら、病状を聞かされた
私も泣いた。その時、帰ることを決めた。
そこから2ヶ月ちょいで仕事を辞めてクリスマスに地元へ戻った
ちょっと見ない間に父は痩せてて
声はしゃがれてあんまり出せなくて
(けど、私が帰ってくる前はもっとでなかったらしい
クリスマス、病室で泣いてしまいそうになった
もっと、親孝行しとけばよかった、とこの時も思った
それからは、退院した父の3色のご飯を作ったり
母と3人で1.2時間のところへ遠出したり
入院してる父へお昼ご飯のおかずや晩御飯のおかずを差し入れたり
父中心の生活に。
病院も2人で行った
告知もふたりで聞いた
治ったと思ったらまたすぐ再発
そのたび父は落ち込んで、けど気丈に振舞って
痛いの嫌いなのに。抗がん剤辛くてやなのに。
毎回、抗がん剤や手術をがんばってくれた
これは、きっと家族のため
そして死ぬのが怖かったから
どんなにきつくても、不可能になるまでお酒もたばこもやめなかった
それで夫婦喧嘩してるのもつらかったけど
こんなにはやく亡くなるなら
好きにさせてあげればよかった、と思う
もちろん、やめてたらもっと伸びたかもしれないし
けど、そうじゃないかもしれないんだけど
最初の告知で1年、と言われたけど
1年半持った
2月末に急激に悪くなったけど
そのとき亡くなるかと思ったけど
何度も危なくなったけど
6月までがんばってくれた
6月頭に、もう、無理だってなったけど
私の誕生日まで生きてくれた
父の日も、がんばってくれた
もっと、めんどくさがらずに丁寧にご飯をつくってあげたらよかった
お見舞いも、1分でも長くいてあげたら良かった
もっとおしゃべりすればよかった
ごめんね、ありがとうって、2月にいってくれたとき、
全部後悔した
充分やったってみんなは言ってくれるけど
やれることはもっとあった
もっと気持ちを伝えればよかった
ありがとうって言えばよかった
今は、
父がいなくなって正直ほっとした気持ちもある
死んでほしくなかったけど
けどこれが10年続いたら?私はどうなるの?って思う事もあったから
父がいるから仕事もできなかったし、遊びにもほとんど行けなかった
けど、それだけじゃもちろんなくて
突然父のこと思って泣く事もある
そして後悔する
亡くなっても、平気だよ!覚悟してたから
大丈夫。心配いらないよって
私も母も周りに話す
落ち着いた?ってよく聞かれるから
落ち着いた、という意味では落ち着いたのかもしれないけど
それでも、たまには落ち込むよ
たとえば、癌の特集やってるときはやっぱりつらいし
たとえば、仏壇の前で泣いちゃう事もある
カメラロールの中の写真を見つけたときとか
父との会話がふいに思い出されたときとか
そういう意味では
まだ落ち着いてないのかも
父の最期は、夜中でした
母と私は病院に泊まり込んでて
兄夫婦もかけつけてくれました
家族みんなで見守る中、亡くなりました
その1ヶ月前くらいから
SpO2が80になったり60になったりしてて
どんどん呼吸が悪くなってて
もうほとんどお薬で寝てました
下がるたびに下顎呼吸になって苦しそうにしてた
これがいちばんつらかった
十分眠れる量の薬があるのに
目が開くの。苦しすぎて起きちゃうの。
最期はもう、計れないくらい低くなって…
けど下顎呼吸にはならなかった。
苦しくなかったんなら、いいなぁ
最期、もうとろうねって
先生が気管のチューブを見えるとこはとってくれた。
チューブの中にまで癌が進行してるのがわかった
そりゃ、苦しいよね、という感じ。
ずっと人口呼吸器つけてたけど、最期のほうは詰まることがあって
痰が詰まってると思ってたけどそれだけじゃなかったみたい
もし、このブログを読んでくれてる人がいたら
癌のひとや家族の人が読んでいたら
つらくなるかもしれない
けど、知って欲しかったので書きました。
父が頑張ったこと
癌の怖さ、辛さ
家族の辛さ
そして、最期に後悔しないようにしてほしいと思います