母の嫁入り道具

母は、岩手から。

東京の二枚目が自慢の父に嫁入りした。

嫁入り道具は、家一軒。

父が、借地を探し出し。

母の父、ぼくの祖父が岩手の山から木を切り出し。

東京に家を建てた。

大正生まれの、母は!

自慢一つしなかったが。

父が教えてくれた。

第二次大戦後。

家があっても、サラリーマンは食うのに大変だった。

母は、戦後のどん底に、家に間借り人を置くことで。

家計を助けた。

間借り人に、飯つきで部屋を貸すのである。

まぁまぁの金になる。

健康だけが、自慢の母は寝る間も惜しんで働いた。

そうこうするうち。

出入りの、工務店が。

埼玉に、お徳用の中古アパートがあるから

買わないかと言ってきた。

土地代だけの値段で、埼玉の中古アパートが

買えた。

今から30年前の埼玉では、いくらの値段でも

なかったろう。

母は、あのアパートは建ぺい率が高く。

マンションでも経つ、上物の物件だと教えてくれた。

100坪ぐらいだった。

それから、まもなく。

僕の就職先が、埼玉に決まった。

極右と、極左が、混在して経営するおっかない会社だった。

Ari__backは、歯を食いしばって働いた。

そして、同期の入社した人々は一人去り。二人去り。

同期入社では、僕だけが残った。

そして、5年目のかたたき。

大学院で、31歳まで、時間を浪費したari_backには

もう就職は無いと思った。

と。。。。。

母に相談して。

埼玉のアパートを高く売った。

アパートを売った金で。

住居をアパート兼用に、建て直した。

僕が母に頼んだのである。

僕は36歳で、3流大学大学院卒だから。

もう、まともな就職は無いと思う。

かーさんの、得意技。

嫁入り道具の、「アパート経営」を、ぼくにください。・・・と。

母は、そのときすでに挽回不可能な傷を負った僕を知っていて。

かわいそうにおもったのだろう。

東京の住宅を、アパート兼用に建て替えてくれた。

Ari_back 59歳!

母と、父に、複雑な感謝を!

  © ari_back



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