「邇邇芸尊の物語」に対する抵抗
いつも私達のブログをお読み頂き、誠にありがとうございます。
今、神代の物語は「邇邇芸尊の物語」を始めたばかりですが、何故か編集が進みません。それで、その理由を探ってみました。
この物語を収録するに当たり、巫女役はM・Iさんにお願いしましたが、どうもそのM・Iさんの魂は、磐長姫(いわながひめ)の流れをくむ魂の様であり、心の奥で邇邇芸尊様に対して何らかの引っかかりがあるようです。
皆様もご存じだと思いますが、磐長姫は妹の木花咲耶姫(このはなさくやびめ)と共に邇邇芸尊様へお輿入れをしましたが、邇邇芸尊様の意思により、磐長姫は実家に帰され、その後、嫉妬の念を燃やしたと言う事になっていますが、どうもその思いが伝わってきているようです。
また、それとは別に、この物語を阻止しようとする意思も感じます。
巫女役のM・Iさんには、十分なレクチャはしていますが、その転生の高次なる意味が今ひとつ不明確のままになっていました。
そこで、物語の第一章・第二部で出てきた「薬」の意味から、この数奇な人生の意味を探ってみたいと思います。
先ずは、私の守護霊に聞き、その後、磐長姫様にお話しをお伺いしたいと思います。
KUの守護霊より
Q: 磐長姫と邇邇芸尊、そして木花咲耶姫の三人の間で演じられた人生について考えるとき、「邇邇芸尊様の物語」の中で「薬」と言う言葉が出ていますが、このことについて気になりますので教えていただければと思います。
そうですね、様々な役割を演じながら、それは既に仕組まれた神仕組みによって、その様な道を辿ることとなっていたものであります。
過去の転生からの流れもあり、そして必ず未来へと繋げていくための必要な分岐点でありました。そこを一つの支点として、道は別れたのであります。
今、言われた「薬」としての、「煎じ薬」としての転生経験・出来事であった訳でありますが、人類が大きくこの支点を通ることによって、向上の道へとシフトされてゆくこととなったのでありました。
ここのところは、もしその経験無く安易に流れたならば、腰折れとなって、他の道を選択する事となっていたでしょう。
もちろんその道もありえた訳でありますが、我々はそれを選ばなかった。
ここで一つ確りと腰を入れて、力を踏ん張るところとして、一番ふさわしい時期にその役割を演じる事としたのです。
その思いの中には様々に、複雑な感情もあったでしょう。それを乗り越えていきながら本来の道を探ったのであります。
目に見えぬところ、気付かぬところに、大きな支点力点があるということを、学んだ転生ではなかったかと思います。
如何様な捉え方もあるだろうが、ここは三人が力を合わせて、大きな問題を乗り越えようとしたところであったと言うことを深く理解出来たならば、この転生の意味が、また一段とより深く感じられることであろう。
磐長姫様より
私と木花咲耶姫とは、もともと表裏一体の存在でありました。
一人の存在の中に、いくつもの一面が内在すると言う事を、私たちは知っております。
その一面一面をつぶさに見たとき、まったく逆のものを持っているのだと言うことを知るので御座います。それによって人の心というものは、錦の色に輝くように出来ているので御座いましょう。
その一つ一つの特性をさらに美しく輝かせるためには、総じて一つのものとして捉えるものではなく、一面一面の輝きとして取り出し、こと細かにその輝きを磨き、向上させる必要が御座います。
そのためには、砥石にかけて磨きあげる必要が御座いましょう。
それらが見事に磨かれた時、その集合体はさらに美しい輝きを放つ事となるので御座います。そのことは、多くの人々、全ての人々の中にもある話で御座います。
また、それらを体験することにより、さらに大きな進化を遂げて行くための手がかりとなるものでもあります。
私達は、そこを目指してこの時の転生を決意したので御座いました。
邇邇芸尊様と木花咲耶姫と、この磐長が如何様に関わることによりそれを見事達成できるやいなや、それを語りあったとき、この考えが出たので御座います。
そしてそれは、三人三様にそれぞれの喜びもあり痛みもありながら、それぞれの魂を向上させる事、これを堅く誓いあい、転生したので御座いました。
一つの存在を二つに分け、つぶさに磨き込むことにより、さらなる向上を目指したのだと、そしてその体験そのものが、人類の「妙薬」として役割を果たすことになると言う意味合いを秘めておりました。
三人三つ巴の人生で御座いました。
KUより
神仕組ですか?
すべての出来事は、やはり必然的なものなのですね。
そして、それらのことには意味があり、その意味もまた複雑に絡み合っているものだと云う事でしょう。
それでは、物語を阻止しようとしている方においで頂きましょう。
大国主命様より
私は出雲の国において、邇邇芸尊と相対峙した者である。
私には邇邇芸尊に対する、思いがある。
互いに国を治めんとして、相対峙した時の思いをそのままに持っておる。
現在只今のところも、その思いにいささかの変わりもない。
天照様は、私にその地位を譲られたにもかかわらず、邇邇芸尊は私の総てを追いやり奪い去った。
積年の思いがある。
これについて、その物語になるものを今編纂せんとして、その仕事をなし得るものがここに居ることを、少なからず不快に思うものである。
我の存在を、はたへ追いやり、その者達の好き勝手に語られる事は、いささかおもしろくない。ましてや、二人の姫を今もなおそばに置きおる事、鼻持ちならん。よってこれを阻止するものである。
Q:はいご意見賜りました。それではこちらの方から質問をさせて頂きます。
今現在只今、出雲神社は貴方様、大国主命様をお祀りしておられるのではありませんか。本来なら、出雲の国から国替えをされ因幡の国へ行かれたはず。しかし、また元に戻られたと言う事ではないでしょうか。
ここで、貴方様が物語に対して阻止されると言う事になりますと、また過去におきた様に、出雲の国から出て行って頂かねばならない事がおきると思いますが、いかがなものでしょうか。
そなた達は、今一度奪い返そうとしている思いを、私は受け取っている。
それに対して、もの申しているのである。
Q:確かに、その様に思っています。それは、何故、大国主命様が出雲の神社に祭られているのか、本来ならば、須佐之男尊様が中心の筈、そして、それを受け継いだ邇邇芸尊様を共に祭るのが本筋というものではないでしょうか。
では何故貴方が国替えをされなくてはならなかったのか、それは、貴方の統治の仕方に問題があったのであり、国が乱れたので天上界より邇邇芸尊様を天降ろされた訳で有ると思いますが、どの様に思われますか。
貴方も日本の神の一人の筈。本来ならば天上界の意思に沿って、統治しなければならないものを、貴方個人の思いを優先された。ここに問題があったのではないですか。
確かにそこのところは三次元的なる思いで統治した。それ以上の世界について、思いを致した事はあまりなかった。
それにしてもどうにも収まりがつかん。
私の心の内の拘りが溶けておらん。
Q:はいおうかがい致しました。貴方様は今世、主のおそば近くで修行されていると聞いています。心の統御は総て貴方様次第だと思いますが、しかし、私達に対してこれ以上の邪魔はさせません。そこのところ、ご理解頂ければと思います。
んー、分かっておる。しかし、実際はほんの小さなとこで拘りが溶けず、何時までも思い続けているということが続いている。しかし、どうしようもないのだ。
戦いを望んでいる訳ではない、しかし、我の立つところ、これを我は死守する。
Q:私は貴方が、大いなる神の御心に沿って出雲神社に居られるのであれば、異論はありません。しかし、そうで無い場合は出て頂く方向で、時代は流れると思いますよ。
今は未だ、その事について十分な思いの変化を認めることは出来ない。
Q:そうですね、今後、もう少し時間をかけて話し合っていきましょう。
KUより
んー、この文言をブログで出して良いものか、出雲神社は最近、天皇家より縁が出来、また今世下生された大国主命様は、幸福の科学の組織の中で活躍をされて居られます。
その現実があるのに、あえてこの文章をだすか? と言う事でしょう。
しかし、出雲神社と大国主命様の問題は、何れ避けては通れない問題でしょう。
現存する史歴を見ても、何故大国主命様が祭られているのか、その理由が見つかりません。
また、私達に対して明確な邪魔をされているのであれば、強い意志で以て対応せざるを得なくなりますが、その様なことが無いように願いたいものです。
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