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幾星霜遥かのブログ

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話は、石炭小屋に戻りまして…

この夜のふとんは便せんです。伝道した相手への手紙やUCに報告のために使用すべきものですが、寒さに耐えきれず使わせていただきました。翌日からはなんとか新聞紙を手に入れましたが、これが暖かい。――新聞紙は非常時の必需品ですね。新聞店の回収袋一つ分位は常備しておくことをお勧めします。

 

こうして40日開拓伝道の一日が終わり、苦闘の日々が始まりました。

 

寝ぐらの方は小学校の石炭小屋は不審者としてしょっ引かれることもなく、一週間程度で終わり、もうちょっと居心地の良い、資材置き場の小屋(あまり変わり映えがありませんね)を見つけてそこから駅前まで通っていました。よくも誰からも苦情等いわれることもなく、40日間過ごせたものです。確か開拓終了後教会に戻っての証では「神様が守ってくださった」など、なんとも幼い手前勝手な理由付けをしていと思います。まあ、UCの証の多くは次元の高低はあるにして我田引水であったり、手前味噌でしかないものでしたが。

 

開拓伝道の主旨はもちろん“伝道”です。原理講論や雑誌“心情圏”を販売していても目的は“原理”“み言”を伝えることにあります。篤信者にとってはまさに天命です。困難や迫害があればあるほど心に火が点くことになるでしょう。しかし、私は…トホホ…です。“原理”“み言”を語ろうとすればするほど、自分のうちに?が溢れてくるのです。自分の“信仰”で語れません。できるのは、とにかく「原理講論を読んでください。人生の問題、世界の問題がすべて解決します」と、購読を勧めることだけです。たまに立ち止まって話を聞いてくれる若者もいます。私の信仰的自信のない話に耳を貸そうというのですから、相当強く(人生の解を)求めていたのでしょう。しかし、私の答えは「だから、この本を読んでください」という結論に辿り着いて終わりです。これは“伝道”にはなりません。

 

出発点が「信仰について決着をつける」ということでしたから“伝道”などできる筈もありませんが、今思ってもよくも途中で放り出さなかったものです。40日の覚悟で出発した以上途中で止めると敗者になってしまう、それだけはいやだ、という消極的動機が毎日を下支えしていたようにも思えます。

そして、40日の半ば、3週間は過ぎた頃のことです。

 

とりあえず原理講論か心情圏は食いつなげる程度にはなんとか売れていました。しかし“伝道”はさっぱりです。さすがに夜が明け、朝を迎えることが堪(こた)えるようになりました。また同じ一日を迎える。いったい自分は何をしているのだろう。何をしようとしているのだろう。“伝道”などと烏滸がましいことをやっているけれど、人に何を伝えられるというのか。自分にそれだけのものがあるのか。お前に原理が語れるのか。どれだけの勉強をしたのか。どれだけの理解ができているのか。聖書すら読み切れてないではないか。“愛”だって?“愛”の欠片でも持っているというのか。義務感だろう。“ねばならない”という律法でしかないではないか。信仰?何を信じてる?え?神を信じているって?神に出会ったことあるの?頭の中だけだろう。理論理屈で神を語っているだけだろう。祈っているときだって、祈っている自分を見ていたではないか。この祈りは神に届くだろうかなんて。まるで偽物の祈りだな……

やめたら…開拓伝道なんてやめたら…

とにかくお前に出来っこないって!!

 

もう一瞬一瞬心の中は戦いです。そうです。サタンの“讒訴”です。そういいますよね、模範的UC信徒であれば。そして、“サタンを分立”しなければならない。そのための“蕩減条件”を立てることだ。“アベル”からはそう指導が入るでしょう。私もそう言っていましたから。

しかし、すべての葛藤は私自身の中で起こっていることです。とても“サタン”として対象化はできません。張り裂けそうな心と思い体を引きずるようにして、聖地として定めた公園に辿り着きました。

 

夕暮れに闇が増し、公園の木々の間に近くの家々の明かりが見えます。多分家族の夕餉の支度に取り掛かっている主婦なのでしょう、窓に映る人影が生き生きと動いています。しかし今の私にはそれはスクリーンに映った二次元世界であり、へたり込んだ芝生の上にゴロンとなり見上げた夜空の始まりにまだ残る薄茜色の雲が唯一語りかける相手となっていました。

 

疲れたというより、完全に脱力してしまいました。

何の意味も理由もなく、目尻からスーと流れ落ちました。

「え?自分は泣いてるのか?」

そんな自覚は全くないまま、穏やかな安堵感に浸され始めました。

「だめだなあ」

「無理だわ」

「自分にはできないな」

自分を否定してではなく、なんのわだかまりもない本音が、自然としかいいようのない現れ方で出て来ました。

心の扉が開けられ、止めていた堰も元々なかったかのように、中のものがあるがまま流れ出て来ました。心に浮かんでくることを声に出していました。

 

そんなに長い時間ではなかったと思います。心の内から出てくるものがなくなり、ただじっと空を仰いでいると、急に五感が研ぎ澄まされる感覚になり、まわりの光景が現実味を帯びてきました。公園近傍の二次元の家々が途端に自分も生きている三次元世界に切り替わったのです。

いつしか体も軽くなり、スッと、しかし、二本の足ですっくと立ち上がると、どうなったのでしょうか、体というか心というか自分の芯からムクムク力が湧いてくるのです。

もう止まっていることができません。公園を後にし、街中に戻ることにしました。

 

公園から主に“路傍伝道”をしていた駅までは歩くのに少し距離があったので、バスに乗ると、そのバスの中で乗客の全員に向かって訴えたい衝動が激しく襲ってきました。幸い(だと思います)にもこんなバスの中で声を上げるのは非常識だと考える理性は無くなっていなかったため、変人扱いされバスから蹴落とされるところまでにはいきませんでしたが…。でも、バスが駅に到着するまでとにかく乗客の一人ひとりに訴えかけたいという衝動を抑えるのには苦労しました。

 

駅前に着いても高揚感は続いていましたが、バスの中の見境もなくなりそうな内側から噴出しそうな情動は和らぎ、代わりに自分の置かれた状況を見つめる客観性が心の内に入り込んで来ました。何事が自分の身に起きたのか、まったく理解はできませんでしたが、気持ちに不安感はなく、無限のパワーが漲った感覚に異常感はありませんでした。その後の伝道路程でも、いわゆるUC的に“勝利”として証できる実績は上げることはできませんでしたが、私の内では、年月が経っても消すことのできない経験として残ることになりました。それどころか「あれは何だったのだろう」という『問い』がその後の人生で繰り返し頭を擡げることになります。