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幾星霜遥かのブログ

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素直になってみませんか 楽ですよ

 

キラリ☆さんのブログにアクセスし、これは最初から読まなければならないと過去記事に遡り目にしたタイトルが「素直になる」でした。瞬時に何十年も前の体験が蘇ってきました。この時の感覚をどう表現していいか分かりません。分かりませんが、私はこういう動きをしていました。

仁王立ちになり、両の拳を握りしめ、「そうだ、その通りです」という思いで、その拳をグッと短く振りおろし、両足に力を入れる。

お分かりいただけますか。

ともかく、無条件の強い同意の気持ちが私を貫いたのです。

 

キラリ☆さんは、「素直になる」ことによって逃していなかった」「自分が考えたり感じたこと」を再確認しました。そして「自分に嘘をつくのだけは辞めましょう」という、他への勧奨ともとれる言葉で、自分が自分であることの決意が表されています。

私は当時はキラリ☆さんとは真逆で、自分で考えたこと感じたことをあまりに逃し過ぎて自分が分からなくなっていました。けれども極限状況に立たされたお蔭で(UCに感謝しなければなりませんね)、自己を完全に否定したつもりが爆発しそうな自己の発現を体験させられました。それは否定しようのないものであり、その時の自分はただ赤子のように「素直」な存在でしかありませんでした。

この体験は40日開拓伝道の残りの期間においても、その後の人生においても再び味わうことはありませんが、鮮烈な感覚は今なお生き続けています。岐路に立たされたとき、それが重い決断を迫られるようなものでなく日常の些細なことでしかなくとも、なんらかの選択が必要となるときは喧しい上辺の自分を沈黙させ、静寂の中で自分の心に「素直になる」ことによって、ここまで生きて来ました。

 

「素直になる」という言葉は平易で優しく、いつでもどこでも耳にします(「ありのまま」という言葉もよく聞きますが、私は「素直になる」とほとんど同義語と感じ取っています)。しかしながら「素直になる」ということは簡単なようで難しいですね。キラリ☆さんも「素直になる」ことによって避けていたお父さんに会えるまで10年かかっていますが、私も公園で「素直になる」端緒の経験をしたものの、否定しても否定し切れない自分の心に「素直になる」ことにより、UCとお別れを始めるまでには15年以上の歳月が流れてしまいました。

 

自分を偽り、「ありのまま」の自分から逃れた期間が長ければ長いほど、自分を取り戻すために時間がかかりより大きいエネルギーが必要となります。ましては、偽りの自分に気づいていなければ、それはいつのことになるでしょうか。

 

「何かおかしいな」「何か変」「このどうしょうもない違和感…」

 

――キラリ☆さんは「うっ!と 来たら NO!よ」でしたね――

 

こんなときは、一息深く吸ってゆっくりはいて、

静かに自分の心を見つめてください。

大丈夫です。サタンの囁きではありません。

平安で、落ち着いていて、暖かい気持ちが生まれてくれば

それは始まりも終わりもない

「今」

だけの時です。

その「今」を感じている自分に「素直になる」ことをお勧めします。