母の命日に思うこと。数日前から気にはしていた。8年前に突然他界してしまった。あれほど、気丈で元気な母だったのにね、、もっと一緒に写真撮って残しておけば良かった。僕が幼少の頃のものばかり…


おねだりというか、駄々をこねては母を困らせる。。それでも笑顔で見守ってくれた母を今こうして昔の写真から思い出してる。どう死んだかよりどう生きたかこそ大事。今思えば…親孝行ってね、何かをプレゼントするとか、旅行へ連れて行くとかしてあげる事ではないんですよ。遠距離でなかなか会うことが出来なくとも、電話でもいい、多くのたわいもない会話をすることこそ1番の親孝行なのだ。






たまに電話したりするから、オレオレ詐欺にも引っかかってしまう。確かに歳を重ねていくと記憶は曖昧だ。気丈な態度であっても年老いていくということは齢くなっていく。年齢の齢は、よわいと読む。


もっともっと、母といろんな、たわいもない話をしたかったなぁ。


皆さんも両親が元気で健在ならば、日々日常的に過ごすだけではなく先延ばしにせず、今…少しでも会話をしてあげてほしい。1番の自慢の息子、娘との会話こそが一番の親孝行なのだから。




6〜7年前の記事を思い出して読んでいた。母が他界して残された犬たちを4頭引き取った。翌年の母の命日である。命日近くなると夜中に犬たちが意味不明な吠え方をする。嗚咽のような吠え方だ。近所迷惑もあり犬たちのところへいった。4頭の犬たちは珍しく全員起きている。6月26日は母の命日です。






先住犬たちは母が育てた犬たちだ。母が突然死んでしまって一番心残りはこの子たちだろう。犬たちには何かを感じているのだろうか。ふと…そこにお袋がいるのではないか。。そう思いました。晩年共に10年は一緒に過ごした4匹の犬たちは母のしもべたちだから。僕は当時この子たち、犬たちを通してずっと母のことを思い出していた。


今思えば…誰でも子どもの頃は思っただろう。強くて逞しく頼りにになっていた親も歳を取り少しずついろんなことが不便になっていく。一人では生きられずに子どもを頼る。その行為はもしかしたら自分が不甲斐なく、迷惑をかけている自分をいないものにしたいと思っているのかもしれない。






僕の父は平成10年だから、今から26年前に癌で先に亡くなった。これと言って親孝行なることもしていない僕は せめても生きている間だけでもと無理して30代初めに新築の家を借金して建てた。父、母を新しい家に迎え入れて同居することが唯一形としての出来ることだった。家を新築で建てて2年後、父は亡くなった。余命半年と言われてきたのに…2年一緒にいられた。病気は気からともいう。





本当はもっともっと親父と色んなことがしたかった。親孝行は死んでからは出来ない。生きてる時にしか出来ないものだと、そのとき僕は特別に痛感した。

あれから26年か。。…そういえば父を乗せて最後にドライブしたのはフェラーリだった。家の前で撮った写真が最後となった。病院に入院するため、病院までの送り届ける片道のドライブだったことを覚えてる。






母の命日に思う事。

今日は母の命日なんです。8年前の6月24日。あれほど元気だった母が突然倒れた。その2日後、亡くなった。まさか…とても現実が信じられなかった。受け入れられなかった。母の晩年は自由自的に大自然の山奥の山荘で のんびり生活していた。 僕の母はお節介なくらい人へは世話好きな人だった。でも人に世話されるのは大っ嫌いな人だったことも知ってる。


生前いつも言ってたことを思い出します。植物人間になるくらいなら…迷惑をかけたくない…だから…早く逝っちゃったのかな。

思えば…僕が50を過ぎたあたりからかなぁ。自然と…母に対して面と向かって産んでくれて育ててくれて感謝の気持ちが言葉として言えるようになった。母が倒れる半年前だったろうか。初めて母を連れて二人で温泉にも行った。虫の知らせだったのかもしれない…今思えばほんと行けて良かった。母と二人水入らず…偶然か必然か 宿泊した温泉旅館は老舗旅館で40年~50年前に父と母が行ったことのある温泉旅館だった。母はその場所にびっくりして、とても感激していた。ほんと良かった。これも必然だったのかもしれないね。


そんな親の老いは誰もが経験することなのだ。別居してたり…同居してたり…様々です。老いた親を時として 自分の都合で面倒と感じることも多々あるかもしれません…老いた親の存在でも とても幸せなことなのだと思います。






親のおかげで僕がいる。母がこの世に産んでくれたこと。それだけで、僕は一生かかっても返すことのできないものなんだと感じます。だから一生かかって行う親孝行。親が老いていくということ。それは子に命の仕舞方を教えてくれているということ。両親がいて僕があるということ。感謝感謝です。


あなたもいつか、いつかはこうなるのだと…ね。いつかは死ぬ時が来る。ある意味。それは親からの最後の贈りものなんですよね。




やっぱり親にはかなわない。とても悲しいことだけど…しっかり最後のプレゼント受け取り、それを僕は知った。そして自分の子供たち。生きているという証は 次の世代につなげていきたい。その、いつか…は、必ずやってくるのだから。僕の死も…いつかは子供たちが看取る時が来るのだからね。


歳を重ねていくと周りも同じように歳をとる。死はいつかと思ってたけど、いつかではない…いつでも突然やってくるものなのだど常々最近では思うようになった。だからこそ一日を大切にしないとね。





今日は午前中 お墓まいりに行ってきました。お母さん。元気ですかね。お父さんと一緒だろうから寂しくもないね。そして母が育てた先住犬たちもこの8年の間に4頭今では母の元に行きました。みんな一緒にいますからね。


人はどう…死んだかではなくて、どう生きたのか。生きた証。生き様こそ 男でも女でも動物たちも、カッコ良くも大切に…これからの人生 生き様こそです。生きていること。改めて…大切に尊重したく思います。


父と母へ 感謝とありがとう。