「時文」って、調べてみると その昔、遊女たちが自分のまごころを示すために夜明け時や日暮れ時などの決まった時刻に送った文のことなんです。これを「時文」と呼んだそうです。


所謂 遊女たちが自分のまごころを示すのも客の気持ちをつなぎとめるためのテクニックの一つだったわけです。いつの時代でも同じ時刻に文を書くということは生活の中に相手を思うことが組み込まれている。そしてそれは受け手側にもいえることですよね。昔から何かを伝えるために人は手紙を書きました。





時文も恋文でも 手紙を送る本当の目的は その人とつながっていたいからではないかな。僕は、昔から今でもよく手紙を書きます。それは現代のメールでも同じだよね。本当に便利な世の中だ。


それでもアナログ的でも、筆を持って手紙を書くことは大切に思います。なんていうか、直筆の手紙は心を映すというか、筆圧でも感情が現れるものだと思います。字が上手とか下手とかではなくてね。不思議なんですよね。 


感じるものとはね。筆は万年筆などは強弱や書き方の速さ遅さ。思考など。特に感じるものです。僕もいつも持ち歩くリモワのケースに万年筆と太いの細いのと筆筒を必ず所持しています。






最近では100均一のボールペンでもいいのだろうけど、できるだけサインしかり手紙などは個人のものを使ってました。無意識にも拘ってたんですよ。でも、、最近はそういった、こうでなければいけない…そういう頑固さがなくなった気がします。歳をとったのかなぁ。でも筆や万年筆はいつの時代になっても大切だと思うんですね。


何故ならば先にも述べたように 筆は心を映す道具だと思うからです。たとえ目に見えない不確かなつながり、すぐに切れてしまいそうな細い絆であっても人は誰かとつながっていることを大切に思うし、心から喜びを感じるものだと思うからです。


どんな世の中になっても人と人ですからね。これもまた言葉ではない表現方法なのかと思います。


最近はブログとかフェイスブックでもライン、タイムラインでも、見てくれる人も 受けとってくれる人がいるって嬉しいよね。幸せな気持ちになります。


流行りのインスタグラムでも世界多国籍において、言葉は解らなくたって、ピクチャーの表現方法で同じ感性や感じ方を共有できる人の反応や観てくれてるんだなって、それに気づいた時、自然に嬉しさや笑み、感謝の気持ちが湧いてきます。またこれが、感謝の毎日なのです。 





日々、今以上に感謝出来るようになっていたいと思っています。


ありがとう。ありがとうです。そして、愛用のMont Blancにも長い間…そしてこれからも…宜しくお願いします。感謝感謝ですね〜